11:ごめんなさい
「で、これからどうするつもりだったんだよ。仮に、リオが何も知らないまま紛争が起こったら」
「あぁ。……もう恐らく意味が無いから言ってしまうが、紛争が起きたら、リオには里を出てもらう予定でいた」
「嫌だよ?」
「そう言うと思ったから、何も言わずに事を進めようと思っていたんだが……」
「ま、土台無理だったって話だな。なんせコイツはカンが良すぎる。さっきも言ったが、気付かれんのも時間の問題だったってわけだ」
わしわしと頭を撫でられ、ぐらぐらする視界の中でメルニャさんが苦笑しているのが見える。
けれど、里を出てもらう予定でいたとは……。
「その口振りじゃあ、人間どもがいつ攻めてくるのかもわかってんのか?」
「一応、な。情報源はフォッグの奴だ。流石に敵陣のど真ん中にいるくらいだ、信憑性は高い」
「……成る程な。んで?」
「話によれば、作戦決行まではまだ時間がある。少なくとも、一年はあるそうだ。恐らくはモンスターの数を揃えるのに必要な時間でもあるだろうから、此方から仕掛けてモンスターの数を削ることが出来れば……」
「まだ猶予が伸びるかも、ってとこか」
神妙な面持ちで頷くアルマさん。
フォッグという名に聞き覚えはないが、この二人が信頼を置くくらいなのだから、余程有能な人なのだろう。
……それにしても、一年か。
「随分、時間かけるんですね」
「向こうからしてみりゃあ、この里は虎の穴だ。過去に何度も攻めこんできては返り討ちに遭ってるからな」
その言葉に、ちらりとクリスを見てみると、彼女もまた真面目な顔で頷いてくる。
そういえば、あの兵士も被害は万を越えるとか言っていた。散発的に攻撃を仕掛けるだけでは、無駄に被害を増やすだけだと悟ったのだろうか。
……それにしては、気付くのが遅すぎると思うのだけれど。
「確実に此方を殲滅出来る戦力が揃うまで、人間は軽い牽制しかしてこないはずだ。今までのもそうだったんだろうが……まぁ、一人も帰ってこないのを確認しているだろうから、もういきなり襲ってきたりはしないだろう」
「モンスターを集めてんのも、これ以上被害を受けんのを嫌がったからだろうな。……本当、そこまでして消したい理由は何なのかね」
「仕方がなかったとはいえ、此方も大量の人間を手にかけている。諸悪の根源が何であれ、今の我々は人間にとっては憎む敵にしかならないのだろう」
「殺された数なら此方が遥かに上だっつうのによ……。それでも、何もしてこなけりゃこんなことにはならねぇってのに」
呆れたように、そして諦めるように溜め息をつくアルマさんに、同意はするが仕方がない、と小さく呟くメルニャさん。
取り敢えず六歳の子供の前でする話では無いと思うが、既に六歳児扱いされてないんだろうということで納得しておく。実際、獣人の六歳は見た目的に青年にしか見えなくなるので、この対応も当たり前と言えば当たり前に……ならないとは思うが。まぁ、そんなことはどうでもいい。
「里の連中は、そのこと知ってんのか?」
「詳しい事情はまだ話していないが、攻めてくる可能性は伝えてある。まぁ、各々常に最低限の準備はしているだろうから心配はいらないだろう」
「それもそうか」
「い、いいんですかそれで」
いくら何でも軽すぎるんじゃないか、その対応は。
そう思ってアルマさんに視線を向けると、あぁ、と彼はキセルに葉を詰め直しながら、
「人間達が里を襲ってくんのは元からだ。それを考えれば、大体とはいえ攻めてくる時期がわかってる今の状況は、むしろ好都合ってもんだからな」
「僕達は、基本警戒しているのが当たり前になっているからね」
アルマさんの言葉にメルニャさんが続き、それにクリスが頷く。
成る程、確かにいつ攻めてくるかわからない状況よりかは、軽いちょっかいに警戒しつつ、来るべき日に備えて万全を期する方が遥かに楽だ。
……それにしても、本当に。
彼等は別段怯えたような素振りは見せないが、立場的には攻められるのをただ待つのみの状態だ。
いつ攻められるかわからない状況なんて、普通に考えれば辛いだろうに。
先程アルマさんが言っていたが、少なくともこの里にいる人達は、何もしてこなければ人間に害することはしない。それは、きっとその行動に意味が無いと理解しているからだ。
それでも向こうから襲ってくるものだから、仕方無しにそれを排除する。
排除してしまえば、人間達はそれを理由に更なる攻撃を仕掛けてくるのだろう。
この終わりの見えない悪循環は、いったい何時から始まってしまったのか。
「さて。リオ」
「うん」
「まだ年端もいかない君にこんな話を聞かせるのは酷なことだ。だが、全てを知った今でもまだ、君には道が残されている」
メルニャさんの視線が、僕の目を真正面から捕らえる。
言いたいことはわかる。
僕は彼等とは違う、人間だ。捨てられた身でも、いいや捨てられた身だからこそ、今の僕にはしがらみというものが存在しない。
今――もしくは、紛争が始まる前までにこの里を出れば、少なくとも目に見える危険は避けることが出来る。
けれど、それこそ今更なことだ。僕にはこの里こそが故郷なんだ。それを捨て、彼等から離れる判断を下すには、少しばかり遅すぎた。
「うん。嫌だ」
「……危険だよ? 一年も経てば、君も今よりは身を守る術を持てるだろう。けれど、向こうの容赦の無さはここにいる全員が知っている。僕ら側についているならば、彼等は君を躊躇いなく殺すだろう」
「……それでも、嫌だ。僕はここに残って、少しでも皆の力になりたい」
「敵は君と同じ人間だ。君は、同族を殺せるのか?」
「…………」
言われるだろうとは思っていた。流石に、それに即答出来る程に覚悟は決まっていない。
皆と共に戦うのなら、殺し殺されるのは当然覚悟しなければならないだろう。
なおのこと、僕は『最弱』なのだ。上手く力を抑えて敵を無力化させる、なんてことをしようとしたら、間違いなく隙を突かれて殺される。戦うならば、端から殺すつもりでいかなければ話にもならないだろう。
「直ぐに決めろとは言わないよ。まだ猶予はあるんだから。その代わり、しっかりと考えて、他の誰でもない君が納得出来る答えを出して欲しい。それがどんなものであれ、僕達はそれを尊重するから」
そう言って、メルニャさんは立ち上がる。白衣を脱いだ彼はそのまま奥の部屋へと向かって歩いていった。
それを、アルマさんが呼び止める。
「おい、まだどうするか決まってねぇだろ」
「これからどうするかは、リオの気持ちが決まってから話し合った方がいい。わかるだろう?」
「……お前は何しにいくんだよ」
「もう一度偵察に行く。少しでも情報が欲しい」
会話が終わり、彼は今度こそこの部屋を後にした。
それを見送ったアルマさんは、パイプをくわえたままバリバリと頭を掻く。珍しく、憤りのようなものが彼からは感じ取れた。
しかし直ぐに落ち着いたらしく、立ち上がってから僕に視線を向ける。
「俺は帰る。お前らも今日は帰って休め。何を考えるにしても、まず一眠りしてからにしろ。じゃあな」
プカプカと煙を浮かべながら、彼はそう言ってドアを開けっ放しで出ていってしまった。
確かに、今日は少し色々と有りすぎた。窓から覗く空も、気が付けば赤く染まりはじめている。少し早いが、もう休んだ方がいいのかもしれない。
「リオ。私達も帰ろうか」
「うん」
ベッドから降りて、立ち上がる。
それまでじっと部屋の隅で待機していたナイトが駆け寄ってきて、僕はその頭を軽く撫でてあげた。
姿を隠していたサピィも僕の肩に現れて、なぜだか僕の頬をその小さな手で撫でている。指先で同じように頬を撫でてやると、いやいやしながらも満更でも無さそうに顔を緩ませていた。
「ナイトウルフと、スピリット?」
「うん。僕の仲間だよ」
ナイトはともかく、サピィの姿を見て目をパチパチさせているクリス。そういえば、クリスの前では姿を見せてはいなかったか。
何だかんだいって、サピィも普段は姿を消していたから、あまり人の目には当たりたくないのかも知れないな。
「……ねぇ、リオ?」
開け放たれたままのドアを抜け、きちんと閉めたところでクリスから声をかけられる。
それに、振り向くことで反応を示した僕だったが。
「……ううん、なんでもない。さ、帰ろ」
「……? うん」
その姿は夕日の逆光で影になっていて。どんな表情をしていたのかはわからないまま、彼女は前を向いてしまう。
駆け寄ってその顔を覗いても、既に彼女はいつものように微笑みを見せるだけ。けれど、それがどこか張り付けただけの表情に見えてしまう。
隣を歩くだけの僕には何も出来ず、結局最後まで無言のまま家に着いてしまっていた。
そして、夜。
既にランタンの日は消えていて、窓から射し込む月の明かりだけが、部屋の中を柔らかく照らしている。
その中で、僕は眠れないでいた。
「…………」
聞こえるのは、隣にいるクリスの寝息だけ。
いつもなら彼女に捕まっているはずの僕の身体だが、今日は互いに背を向けていた。それが、眠れない原因のひとつでもある。
温もりのない夜。すぐ近くにいるはずなのに、今日はとても心細い。
「…………」
起き上がり、窓から里の風景を眺めてみる。
小高い丘にあるこの家からは、月明かりに照らされた里の姿が一望出来た。
人口は五十人に満たない、どう贔屓目に見ても小さなこの里。
こんな小さな里に、千を越える軍勢が攻めてくる、らしい。なんて、現実味のない話なのだろうか。
人間達は、こんな小さな里を潰したとして、一体何を得るというのか。本当に、何かを得られると思っているのだろうか?
「眠れない?」
「うん」
僕と同じく眠れなかったのであろうクリスが、僕の身体を包み込むように、後ろから抱き抱えてくれた。
その温もりに安心感を覚えつつ、僕は頭の中をぐるぐる回っている疑問を口にする。
「……何の為に、人間達はこの里を攻めてくるんだろう」
多大な戦力を注ぎ込んで、膨大な被害を出してまで、亜人を根絶やしにしようとする人間。
その行動に、一体何の意味があるというのか。仮に亜人を一人残らず駆逐したとして、その先には何が残るというのだろうか。
僕には、それがわからない。
「……昔ね。この里と同じような状況になった、別の里があったの」
静かな部屋で、僕にだけ語りかけてくるクリスの声。
それに、口を閉じて耳を傾ける。
「そこはここよりも大きな里でね。私と師匠の他にも、強い人達が沢山いた。だから、よっぽどじゃない限りは里が潰される心配はないって思ってた」
「思って、た?」
「うん。結果だけ言えば、その里は完全に潰された。私と師匠は何とか生き延びたけれど、他の人達は皆、殺されるか奴隷にされたでしょうね」
悲しげな声で、最悪の結果を告げるクリスに、僕は思わず息を飲んだ。
そんな僕の身体を抱きしめながら、クリスは続ける。
「敗因を挙げるなら、私達の甘さがそれだった。それまで私達は、襲ってきた人間全てを殺さずに、生かしたままで返していたの。最低限動ける状態まで追い詰めて、最後は脅して逃げさせる。それが出来る、圧倒的な力の差が私達と人間の間にはあった」
「それが、なんで」
「……一人の獣人が、力加減を間違えて、人間の一人を瀕死に追いやってしまったの。彼は命乞いする人間を抱えて、里の中へと帰った。最低限の治療を受けさせて、あくまでも生かして返す為にね」
……話の先が、読めてしまった。
それが、その里の命運を決めてしまったのだろう。
そう考えて、クリスは少し自重するように笑ってから、僕の予想通りの結果を口にする。
「そして、治療する為に人間を寝かせた瞬間に、彼はいきなり笑い始めたの。動ける状態じゃなかった。なのに、彼はぼろぼろの身体で立ち上がって、懐から小さなガラスの瓶を取り出した」
「まさか」
「うん。その中身は毒だった。猛毒の、すごく感染力が高い病原菌入りのね。嫌な予感がして私は彼を殺そうとしたけれど、それよりも彼の手の方が速かった。笑いながらそれを飲み干した彼は、見る間に顔を青くして真後ろにひっくり返った」
そして、数分もしないうちに感染病は里全体に広まっていき、対策万全の兵士が里を瞬く間に制圧してしまう。
元からステータスが高く抵抗力があったクリスと、祝福のおかげで感染しなかった師匠はどうにか逃げ延びることが出来たというが……あまりにも衝撃的な結末に、僕は言葉を失う他なかった。
「その時、私も今のリオと同じことを思ったよ。なんで、人間達はここまでして私達を殺そうとするんだろうって。もう戦争は終わったのに、私達はただ静かに暮らしたいだけなのにって」
「……それで?」
「でも、私見ちゃったんだ」
こん、と頭に当たる衝撃。クリスの息が首もとに当たり、彼女が額を乗せてきたんだと理解する。
そのまま、クリスは喋り続けた。今までに聞いたことのない、泣いているような弱々しい声で。
「逃げ出す直前に、自らが感染源となった彼の手を、泣きながら握りしめてる別の人の姿を。『仇を討ってくれたんだな。ありがとう』って、涙を流しながら彼に伝える人の姿を」
「…………」
「それで、もう私、本当にわからなくなっちゃって。あんな姿見ちゃったら、彼らと私達、どっちが正しいのかわからなくなって」
そこから、クリスは何も喋らなくなった。
確かに、そんなものを見てしまえば、彼女がそんな気持ちになってしまうのもわかる。
――だが、待て。
今の話、おかしくはないか。
クリスの話を信じるならば、亜人側は人間を一人も殺さずに返していたはずなのだ。なのに、『仇を討ってくれた』なんて泣きながら言うだろうか?
――そういえば、今日のあの男。あいつは、なんて言っていた?
「――でも」
「っ」
不意に放たれた声に、思わず肩が跳ねた。
それに気づかなかったのか、それとも気にしていないのか、クリスはそのまま言葉を繋げる。
「私は『守人』だから。人間が私達と同じように悲しんでいるとしても、ただ黙って殺されていく仲間を見てるなんて、耐えられないから」
「…………」
「だから、ごめんなさい。私は、人間を殺すのを躊躇えない」
絞り出すような声で告げるクリスに、返す言葉が見当たらずに黙りこむ。本当に、こんなとき、少し口下手な自分が憎らしい。
きっと、クリス自身も、明確な答えは出せていないのだろう。
しかし、殺さなければ殺される状況を生きていく中で、彼女は背を向けずに『守人』としての役目を果たすことを選んだ。
口調を変え性格を変え、自己暗示にも似た形で甘さを捨ててまで。
「僕は……」
そして思う。
状況は違えど、僕もまた、選択を迫られているんだと。
この状況から背を向けて目をそらすのか。それとも、覚悟を決めて立ち向かうのか。
……答えは決まっているようなものなのに、最後の一歩が踏み出せないでいる。
踏み出せない理由は、ただひとつだ。
――僕は本当に、人間を――




