10:大好き
妙に重苦しい雰囲気の中で、最初に口を開いたのはアルマさんだった。
彼は、懐から取り出したパイプで煙を燻らせながら、メルニャさんへとその目を向ける。
「今回のこと、俺も詳しい話は聞いちゃいねぇからな。亜人根絶運動が激化してるらしいことは知ってるが、それだけだったらリオを見回りに連れ出す必要がねぇ。そこんとこ、どうなんだ?」
「それだけって……」
「コイツが本気になって暴れりゃあ、国の兵士なんて虫けら同然に蹴散らせるからな。それに、この里にいるのは全員が獣人だ。クリスと比べりゃ見劣りするだけで、自分の身くらいは自分で守れる連中ばかり。多少攻められた程度じゃあ、危険とは言えねぇのさ」
僕の感覚で言えば充分な大事でも、彼にしてみればさほどではないらしい。
国の兵士なんて、とは簡単に言うが、純白の鎧を着込む王国の兵士と言えば、一兵卒であろうとエリート中のエリートだ。アルマさんの言葉が本当ならば、この里はクリスを含めると多大な戦力を保有していることになる。
相当底知れない事実ではあるが、今は問題はそこじゃない。
「リオを見回りに参加させた理由は、彼に伝えた通りだ。リオは今のままではあまりにも無力過ぎる。少しでも、自分を守るための力を付けて欲しかった」
「その、力を付けて欲しい理由を聞いてんだ。コイツ一人も守れねぇくらいの軍隊でもやってくるってのか」
「…………軍隊、ではない」
「あ?」
メルニャさんの言葉に、アルマさんの目元がぴくりと動く。
軍隊ではない、ということは。それに準ずる何かが、この里に襲い掛かってくる、ということなのだろうか……。
背筋に悪寒が走り、ぶるりと身体が震える。なんだ、この期に及んで、まだ嫌な予感がするというのか。
そんな僕を一瞥してから、メルニャさんはひとつ間を置いてから、何か覚悟を決めたように口を開いた。
「――人間達が此方にいたずらを仕掛けてきた頃合いから、周辺地域のモンスター達の数が激減している。調べてみれば、案の定、国の周りに大量のモンスター達が不自然な程に固まっていた」
「……それって」
「いや、テイマーではない。恐らくは奴隷紋での強制使役だろう」
思わず質問しようとして、その前にメルニャさんがそれを否定する。
しかし、今度はアルマさんが怪訝そうな顔付きで、
「奴隷紋だぁ? 大量ってこたぁ、百や二百じゃきかねぇんだろ?」
「遠くから見ただけだが、少なくとも千は下らない。今も尚増えていると考えていいだろうな」
「有り得ねぇ。千単位で奴隷紋を刻もうとしたら、呪術師が百人単位で倒れちまうぞ」
「しかし、不可能ではない。テイマーを千人集めるよりかは、余程現実的だ」
メルニャさんの言葉に、声を詰まらせて黙りこむアルマさん。
それだけ、彼方が本気だってことさ、とメルニャさんが続けると、アルマさんは苦虫を噛み潰したような顔で引き下がった。余程、説得力のある言葉だったのだろう。
「確かに、ただの兵士であったなら、この里にとっては大した脅威にはならない。実際、私達だけなら、そのモンスター含め万の軍勢を持って攻められたとしても、そうそう全滅することはない」
「……俺達だけなら、か」
苦々しく呟いたアルマさんの声。
それで、僕もようやくメルニャさんの言いたいことがわかった。
「わかったか。私達がいくら奮戦しようとも、数の暴力に晒されれば見えない部分も出てこよう。恐らくだが、あの数で一斉にこられたら、我が身はともかく里までは守りきれない」
「わかった、理解したよ。確かにそれじゃあ、コイツを里に隠しておけねぇわな」
「……そういうことだ」
成る程。それで、なるべく自分の身を自分で守らせる為に、見回りに参加させてステータスの強化を目論んだ、と。
話の流れから予想はついていたので、そこにはさほど驚きはしなかった。むしろ、これだけの事態に陥っているというのに、自分達自身はどうってことない、と言い切るメルニャさんにびっくりだ。
と、ここで未だに一言も喋らないクリスへと視線を向ける。
丁度、彼女もこちらを見ていたようで、バッチリ視線が合ってしまっていた。
「クリスにも、ちょっと聞きたいことあるんだけど」
「っ!」
露骨に肩を震わせるクリスに、仕方ないとはいえ罪悪感が生まれる。
と、いうか。今は多分何を聞こうがこんな反応しか返ってこないだろうから、あまり気にせずに言葉を続けた。
「まず、口調が変わってたのは、なんで?」
「……昔から、戦わなきゃいけない状況になると、ああして自分を切り替えることにしてるの。そうしないと、色々と鈍るから」
「鈍る……?」
「ちょっと、色々あって」
顔を下げて、力なく呟くクリスを見て、掘り下げて聞くのは取り止める。別にそうしなきゃいけなくなった理由を知る必要はないし、無理になんて聞き出したくもない。
普段とは全く違う、尊大とも言える口調。それに見合う堂々たる態度は、初めてその姿を目撃する僕ですら違和感を覚えないくらいに堂に入っていた。少なくとも、最近始めた付け焼き刃ではない。
……次の質問をしよう。
「じゃあ、次。……最近、傷付いて帰ってくること多かったよね。あれは、今日と同じことがあったってことでいいのかな」
「……うん」
「……殺した、の?」
「…………」
返事はない。それはつまり、肯定したということでいいのだろう。
仕方ない。だって、殺さなければ殺されるのだ。それに抵抗を覚えるのは、きっと僕がまだ人間側の感覚でいるから。
最後に残ったあの男の言葉にはヘドが出る思いだったが。一体何をどうすれば、あれだけ亜人を下に見ることが出来るのか。
……もしかして、あれが今の人間達の常識なのか? 何も知らずに過ごしていたら、僕もまた、ああいう風に教えられて、あの男と同じような考えを……。
「……怖いよね。そうだよね。当たり前、だよね」
「え」
深く考え込んでしまいそうになり、しかし聞こえてきた悲しげな声に顔を上げる。そこには、やはり悲しげな顔をしたクリスの顔があって――。
「…………」
そこから先の言葉は、続くことはなかった。
そして僕もまた、彼女にどう声を掛けていいのかが、わからずにいる。
先程の言葉に対して答えを返すならば、それはノーだ。現に今、彼女を怖いとは思わない。それは、一年間彼女と共に過ごしてきた中で、意味も無くあのようなことをする人ではないと知っているからだ。
しかし、あの惨々たる光景に少なからず衝撃を受けているのも事実。そのふたつの感情が、僕から言葉を奪っているのだ。
「クリス」
――でも、まぁ。
「……えっ」
「ん」
しょぼくれた彼女の身体を、横から手を回して抱き締める。
衝撃を受けたのは、事実。けれど、彼女を怖がる必要なんて、結局どこにも見当たらないのだ。
それを、うまく言葉にして伝えてあげられないから。
「リ、リオ?」
「…………」
「気付いてやれよ。それは精一杯のそいつの気持ちってやつなんじゃねぇのか」
アルマさんの言葉に肯定する意味で、腰に回した腕に力を込める。
暫くして、頭が撫でられる感触がして、そこでようやくクリスの身体から顔を離した。
見上げたその先には、泣き笑い、といった複雑な表情をした彼女がいて。すぐに、何時ものように僕は彼女に抱きすくめられた。
「まだ、私の傍にいてくれるんだね」
「……僕には、クリスしかいないから」
彼女の胸に埋まりながら、今度は胸の内を言葉に出すことが出来た。
里の皆は、敵であるはずの人間の僕に、驚く程優しくしてくれている。
その中でも、クリスは僕にとって特別な存在だ。捨てられて冷えきっていた僕の心を、いつだって優しく包んで暖めてくれた。
彼女がいなければ、今の僕はここにいないのだ。
「僕は、クリスが大好きだよ。だから、傍にいる」
「っ……うん。私も、大好き」
ぎゅっ、と。苦しいくらいに抱き締められて、けれど心地好いその感覚に頬が緩む。
出来ることなら、この満たされた気分のままでいたいところではあったが、それはアルマさんのわざとらしい大きな咳払いで中断させられた。
「仲が良いのは結構結構。だがよ、まだ確認したいことが山程あんだ。いちゃつくのはそれが終わってからやってくれや」
「えー」
「えー、じゃねぇ」
まだ少しぎこちないが、それでも何時もの調子で返すクリスに、呆れたように息を吐くアルマさん。
なんだかんだいって、アルマさんは周りへの気配りが上手なんだな、なんてとりとめもなく思うのだった。




