二人称文
次に、二人称文をみてまいりましょう。
これは実に、我が創作神様の泣き所でもあります。なにしろ彼の神の筆が生み出す二人称文は煽動に近いものでありますゆえ、創作神様はその技を己に禁じておられるのです。
二人称文そのものに関しては、何の難しいこともございません。『あなた、君、そなた、お主』などの二人称を使用して文章を書くと言うことなのですから。
結局、皆様が惑っておられますのは、「二人称」に向けて書く文章と、「二人称」の相手を書いた文章の違いでございましょう。しかし、つき詰めて考えれば実は単純なからくりがございまして、『あなたへ』を書く文章ではなく『あなたは』を書けば良いだけの話でございます。
例をあげてみましょう。
“わたしは、あなたを思いながらこの文をしたためております。”は、『あなた』に対する一人称文。
これに対して二人称文は……“あなたは知った。その人物がどれほど心を込めてこの文をしたためたのかを”と、多少の決め付けと、ドラマチック度が上がるのです。
実際に体験していただきましょう。もっとも、創作神様ではなく私の筆によるものでありますゆえ、未熟はご勘弁を。
“その女性をみた瞬間、あなたの身体は全ての活動をとめたかというほどに静まり返った。それは遠い記憶が呼び起こす凪。
(ああ、どこかで、確かに会ったことがある)
あなたは躍起になって、薄く忘れかけた記憶を呼び戻す。あれは……何年前のことだろう。彼女は赤いランドセルを背負っていたのだから、それよりも二つ年上であるあなたは、中学を卒業しているはずがない。”
これで作品一つを書きあげるのは大変なことでございましょう。結局に小説などと言うものは、読み手様の共感に頼るところが多い芸術。特に二人称文は『あなた』を描くものでありますゆえ、その傾向はさらに色濃く、その創作全体を支配するのであります。
ですから、少しの油断で相手の共感を失うことが多い。人知を越えた異形の所業、常人の行きつけぬ異常者の心理など、いきなりに『これがあなたなのです』と言われましても、鼻白むばかりでしょう。
はあ、『あなた』に対して書くからこそ、感情移入しやすい文章? 馬鹿をおっしゃってはいけません。ご自分の創作世界の中では全てを支配し、万物を作り出し、運命の一かけらさえ操るあなた様とて、現実世界の人間の感情までを意のままにする事は出来ますまい。
ところが二人称文では、共感と驚嘆を与えることによって読者を物語の主人公に仕立てるがキモ。つまり人心を操る所業なのでございます。ええ、我が創造神様がひどく煽動的な二人称をお書きになってしまうのも、それをさりげなくみせることが苦手でありますが故でございましょう。すなわち、
“見るが良い、足元に広がる大海を。そして手のひらに載せたちっぽけな大地を。そして己の頭が大気の外まで抜け、雲海を見下ろしていることにも気づくであろう。
そう、この創造世界においては、あなたこそが真の神!”
というのが、彼の神の二人称文なのでございます。