番外編②
引き続きミラン視点です。
あの悲劇を目の前にしてアマリエを助けることが出来なかった私は失意のどん底にいた。
伸ばされた手が空を切り、アマリエの体が空中に舞う…。
幸いにもアマリエが落ちた先には植え込まれた草木があり、それがクッションとなった。
命は助かったが重症を負い、その姿はひどく痛々しいものだった。
私がどれだけアマリエを追い詰めたのかと思い知るには十分だった。
残忍な子爵夫妻もそんなアマリエを見れば後悔するのかと思えば、彼女の命が助かったとなると青ざめていた顔はふてぶてしいものへと瞬時に変わり、邪魔なものを見るかのようにアマリエを見た。
終いには「余計な金を使わせて」「外聞晒しだ」などと文句を言い始める。
診療所の人間はそんな2人を信じられない思いで見つめていたのだが、彼らは果たして気づいていたのか。
子息であるグスタフに窘められてもその口が塞がる事はなかった。
しまいには社交界でアマリエの噂が瞬く間に広がると、うちにはそんな娘はいないとばかりにアマリエとの縁を切るという暴挙に出た。
あまりのことにさすがの私も絶句した。
あのようなアマリエを放り出すなどと狂気の沙汰というしかない。
それはグスタフも同様だったようで蒼白な顔をして何も言えず呆然としていた。
しかしアマリエに救いの手が差し伸べられた。
その男はフューリヒ子爵家にやって来て、アマリエを引き取りたいと申し出たのだ。
供の者を1人だけ連れて来た男は、服装に関しては地味ではあったがよく見れば質は良く、銀髪に赤い瞳という容貌が目を引いた。
子爵夫妻は名乗りもせずアマリエを引き取るという男を訝しんだが、その男の行いを愚かなと評した。
あのようななんの価値もない娘を引き取るなどと。
そして娘でもなんでもないから勝手にしろと言い放つ。
夫妻の一方的な話を聞いているうちに男は無表情だった顔をだんだん険しくさせていった。
凄みを利かした瞳は端整な容貌と相まって迫力があり、2人はやや竦みがちであった。
その瞳がちらりとこちらを向いた時、私の中にひっかかるものがあった。
―――赤い瞳に見事な銀髪……何処かで?―――
そのような知り合いはいなかったはずだが、どうにも気になって仕方がなかった。
確かこの国の第2王子も…まさかとは思ったがグスタフとの様子を観察していると恐らくそうであろうと確信する。
知らぬこととはいえ、王子相手に不躾にものを言い、果てには治療費を請求する夫妻には本当に恐れ入る。
気付かない愚かさは救いようはなく、だがそれを教えてやる気は全くなかった。
彼らが後に何らかの処分を受けようがどうでもいい。
むしろそうなって痛みを覚えた方がいいと思う。
それよりも私はなぜそのような方がアマリエを引き取ると言ったのかも疑問であったが、どうも他に引っかかるものがあった。
それが何かわからず胸のつかえはしばらく取れることがなかった。
胸のわだかまりは比較的すぐにわかった。
当初はもしかしたらグスタフが王子にアマリエのことを頼んだのかもしれないと考えていた。
以前から交流があったのはなんとなく聞いていたので、あまりの酷い状況に頼っただろうと。
しかしそうではなかった。
王子は自ら望んでアマリエを引き取ると言ったのだろう。
それを知ったのはグスタフが王宮にいるアマリエを見舞うようになって少し経った頃のことだ。
私は会うことが叶わないアマリエのために、せめてと彼女の好きな花ロベリアをいつも持たせた。
初めはただの見舞いの花だと思っていたグスタフも、同じ花ばかりが続くのを不思議に思ったようだ。
「ロベリアといったか。なぜいつもこの花なんだ?」
「ロベリアはアマリエ様が大変お好きな花なのです。特にこの瑠璃色の花が」
「へぇ、そうだったのか。…私は姉上のことを何も知らないな」
「これから知っていけばよろしいのではないでしょうか」
落ち込んだ様子を見せたグスタフに私は励ますようにそう言った。
そう、今からでも遅くない。
グスタフは自分とは違ってアマリエに会えるのだから。
そういった気持ちがあれば、きっとアマリエは受け入れてくれるはずだ。
グスタフは私の言葉に目を開くと、嬉しそうに微笑んだ。
彼のこういった顔を見るのも久しぶりなような気がした。
「そうだな。ありがとうミラン」
「いいえ」
「そういえば、殿下もこの花がお好きみたいだ。これが飾ってあると嬉しそうに頬を綻ばせている。あの方も瑠璃色が一等好きとおっしゃっていた」
「…殿下が、ですか」
「ああ。なんでも思い出深い花だと」
どうしてかそれを聞いて私はある事を思い出した。
昔、まだアマリエが小さい頃泣きはらした目なのに満面の笑みで私のところにやって来たことがあった。
その手には…そう、瑠璃色のロベリアの花が握られていた。
それを不思議に思って尋ねると「お兄ちゃんにもらったの!!」とはしゃいでいた。
疑問に思いさらに聞くと「銀色のきらきらした髪に、苺みたいに真っ赤な瞳をしたお兄ちゃん!」と返事が返ってきたのを覚えている。
いまいち求めていたものとは違い、もういいかとあきらめて「そうですか、よかったですね」と私は答えた。
当時の背景も関係して、その時のアマリエは本当に嬉しそうに頬を染めていたので、印象に残っていたのだ。
「もしかして…」
「ん?どうした?」
「いえ。…殿下はアマリエ様とお会いしたことがあったのではないかと」
「そうなのか?ああ、でもそうならばあそこまで気にかけて下さるのも納得いくかもしれないな」
あの時のアマリエは母親を亡くして間もない頃で泣いてばかりだった。
それを見た夫人―――当時はまだ愛妾であったが―――によく叱られていた。
その度に「ごめんなさい」としゃっくりをあげながら謝る姿は可哀想だった。
私の慰めにも一応反応するが、その時ばかりはあまり効果がなく塞ぎこんだ毎日を送っていた。
それがどうだろう、何処の誰かは知らないがあっという間にアマリエを笑顔に変えてしまった。
たった一輪の花で。
アマリエはその花を大事に飾っていたが、花はいつか枯れるもの。
その時の落ち込み様に焦った私は同じ花を探しだし必死に宥めたものだ。
それからアマリエが落ち込んだ時にはロベリアの花、というの方式が不本意ながら私の中に出来上がった。
私はなんとなく敗北感を感じていた。
悲しみに暮れるアマリエを笑顔に変えてしまった男が今またアマリエを救おうとしているのでは?
そう考えていた私はグスタフから聞いた話に驚くことはなかった。
グスタフは感心したように私を見ていた。
「お前の言う通り、殿下は昔姉上とお会いしていたよ。よくわかったな。殿下も驚いていらっしゃった」
「そうですか、やはり…」
「殿下がお前ならば見舞いに来ても構わないとおっしゃっていた。次の機会に一緒に行くか?」
「…私がですか?」
「そんな昔の些細な事を覚えているくらいだ。お前が姉上を深く思っているからだろう。それが殿下にもわかったのだろうな」
「……」
思わぬ誘いに胸が高鳴った。
もう二度と叶わないと思っていたアマリエに会えると。
…―――だが
「いいえ。申し訳ございませんが、私は遠慮致します」
どうしてアマリエに会えるというのだろうか。
彼女を絶望の底に突き落とした張本人の1人である私にはそんな資格はないのだから。