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最終話です。
ルドヴィークはうんざりしながら目の前で項垂れている男を見た。
「ツィリル、いい加減諦めろ。うっとおしいぞ。」
「・・・インドラ・・・。」
「はぁ。お前どこまで馬鹿なんだ?人を疑うという事を少しはしたらどうだ。」
詳しい事情を聞かされないままインドラとの婚約を無かったことにされたツィリルはひどく落ち込んでいた。
それなりの日数はすでに経っているというのにまだ未練があるらしい。
というのもいまだこっそりとインドラと密会を重ねているらしく、最早ルドヴィークは呆れるしかなかった。
ただ「絶対に抱く事はならん。」ときつく言い含めているせいか、お付の者を連れた清いものでまだ一線は越えていない。
もし事に及んだとしたら今度こそ目も当てられない。
面倒になったルドヴィークは投げやりにある事を持ちかける。
「お前、無神経にもアマリエに会いたいと言っていたな?」
「え、・・・はい。彼女がまさかあんな事になるとは思いもしませんでしたからね。心から謝罪をしたいです。」
「・・・いいだろう。会わせてやる。」
「いいのですか?今まで頑なに拒否していたのに?」
「この際、一石二鳥だ。」
「・・・一石二鳥?なんの話です?」
話の見えないツィリルが不可解な声を上げると、ルドヴィークはニヤリと食えない笑みを浮かべた。
ついにアマリエがフューリヒ子爵夫妻と面会する日がきた。
残念ながら当初同席してくれると言っていたルドヴィークは来ることができなくなってしまったが、グスタフがアマリエ側として同席してくれるという。
弟の存在も有難かったがやはりルドヴィークがいないことに少々不安を覚え、お守りとして瑠璃色のロベリアの花を押し花にして持っていた。
悲しい事にロベリアはシーズンが過ぎ、ほとんどが枯れてしまっている。
そんな時に侍女の1人が押し花にして持ってきてくれたものだ。
彼女の温かい心遣いに胸がいっぱいになる。
面会する部屋に着くとすでに子爵夫妻とインドラが待っていた。
どことなく待たされたことに不服そうで、インドラにチクリと嫌味を言われたが無視をした。
インドラの口が歪む。
それが視界に入っているが構わず夫妻と目をしっかり合わせた。
「久しぶりだな、アマリエ。」
「はい。お久しぶりです、フューリヒ子爵。」
「・・・元気でなによりだわ。」
「ありがとうございます、子爵夫人。」
夫妻は他人行儀なアマリエに違和感を覚える。
以前ももちろん他人行儀な所があったが、ちゃんと父・義母と呼んでいたはずだ。
「どうしたんだ、アマリエ。いつものように“お父様”と呼んでくれ。」
「そうよ。まさか数ヶ月会っていないだけで忘れたという訳ではないでしょ?」
媚びるような声を出し、アマリエの答えを待つ。
きっといつものように弱々しく笑い、従順な言葉を発するだろうと思っていた。
しかしアマリエは弱々しいどころか真っ直ぐな視線で夫妻を見る。
「忘れてしまえたらどれほどいいでしょうか。残念ながら覚えていますわ。」
「そ、それならどうして呼んでくれない?」
怯んだ子爵の声にふっと笑う。
「どうして縁もない人間をそう呼べるのでしょうか?私にはわかりかねます。」
「何を言って!私たちは貴女の家族でしょう?」
途端にアマリエの視線が蔑んだものへと変わる。
「家族?夫人こそ何をおっしゃっているのですか?言いましたよね、私は覚えていると。」
「あ、ああ・・・。」
「貴方方があの時私に言い放った言葉の数々・・・。忘れたくとも早々無理ですわ。それに私と縁を切るとおっしゃたそうではないですか。」
「違う!!そうじゃないのよ、アマリエ。あの時は私たちも動転していて・・・。」
「そうだ!!どうして可愛い娘にそう言えるというんだ。」
「おかしいですね?私ははっきり聞きましたが。あの時は本当に嘆かわしく恥ずかしい思いをしましたよ。」
「っグスタフ!!お前!!」
今まで黙っていたグスタフが肯定すると夫妻は彼をきっと睨む。
しかしグスタフはそれを平然と流し、優雅に紅茶を飲んでいる。
「それで今更どうなさったのです?」
「アマリエ、本当にすまないと思っているんだ。怪我をしたお前を放っておいて・・・しかし私たちにも体面をいうものがあってね。」
「そうよ。ずっと気になっていたの。早く家に帰っていらっしゃい。いつまでもここでお世話になるわけにはいかないでしょう?ふふふ、後々ここに戻ってくることになるんでしょうけど。つまらない意地なんて張らないで。ね?」
どこまでも食らいついてくる夫妻に蔑む価値すらないとアマリエは表情を失くした。
18年もこんな人間に屈してきた自分を情けなく思う。
「それは気になるでしょうね。私が王族の方とお近づきになっているんですもの。しかも畏れ多くも王子妃になるかもしれないと想像していらっしゃるのでは?その恩恵にあやかるためには縁を切るなどとはもってのほかですものね。さぞかし必死でしょう。とても醜いですわ。」
「!!」
「体面、ですか。ではもっと体面を気にしなければいけませんね。二度も婚約を破棄にされた子爵家はどのような目で見られるのでしょうか?姉から婚約者を奪った妹・・・言葉は悪いですが、所詮妾の子は妾。人の者を奪い取るのが大変お上手と見えます。ああ、それとも今回もそうするのでしょうか?ツィリル様とは破談になりましたし、それより好条件の殿下を今度は標的になさる?夫人、早速計画を立てないといけませんね。」
今まで反抗されたことのなかった子爵夫妻は唖然とアマリエを見ていたが、徐々に顔に怒りが見えてくる。
「何て事を言うんだ、この恩知らず!!こちらが下手に出たと思って・・・誰がお前をここまで育てたと思っているんだ!!」
「貴女は黙って私たちの言う事を聞き、それに従っていればいいのよ!!今までの様にね!!」
様々な罵詈が飛び交う中、インドラは紅茶をアマリエにぶちまけた。
「!!」
「アマリエ姉上!!大丈夫ですか!?」
これにはさすがにアマリエも表情を崩し、グスタフも驚いた。
幸いほとんど冷えており火傷をする事はなかったが、ぽたぽたと顔から滴が垂れる。
1人だけ控えていた年嵩の侍女が素早く布を持って対処する。
その時部屋の奥でカタンと音が鳴ったが、それには誰も気が付かない。
「あんた生意気なのよ。なに、その態度?王子が助けてくれたからって調子に乗ってんじゃないわよ?」
「・・・。」
「あんたなんか見てくれがちょっと綺麗なだけのなんの面白みのない女じゃない。どうせすぐに捨てられるにきまってるわ。馬鹿じゃないの?」
「・・・。」
「だいたいむかつくのよね、その顔。本当にむかつく。どれだけ虐めてもへらへらしてさ、うっとおしい。なんで生きてるの?あのままさっさと死ねばよかったのよ。あんたがあんなことしでかしたせいで婚約破棄されるし・・・。まあ、あの男退屈だったから別にどうでもいいけど。」
「・・・。」
「なに黙ってんのよ?さっきまでの勢いはどうしたの?はん、今頃怖気づいてんの?そうね、今なら許してあげるわ。そうだ、そこに膝を着いて謝りなさいよ。許しを請いなさい!あんたは一生私の下なのよ!!」
インドラは笑いながら勝ったと思った。
ふーふーと肩で息をしながらアマリエを見るが、彼女はインドラの予想したものとは全く正反対の毅然とした態度でじっとインドラを見ていた。
アマリエは目を伏せると手の施し様がないとばかりに首を振る。
「ほとほと呆れて何も言えなかったため黙っていただけです。謝るなどと言語道断、むしろこちらが求めたいくらいです。いえ、もう金輪際関わりたくありませんのでどうぞお引き取り下さい。」
「はぁ!?誰がこのまま引き下がると―――」
「その辺で止めた方がいいと思うが?」
突然の第三者の声に皆の視線が一斉にそちらを向く。
そこにはルドヴィークと真っ青な顔をしたツィリルが立っていた。
それを見て子爵夫妻とインドラも顔を真っ青にする。
慌てて言い繕おうとする夫妻にルドヴィークは聞きたくないと手で止め、ドアへ向かうと外に控えていた騎士に無情に命令した。
「フューリヒ子爵夫妻、令嬢のお帰りだ。送って差し上げろ。」
「はっ。」
3人がルドヴィークのそばを通り過ぎる時、小さな低い声で囁く。
「まさかこのままで済むとは思うまいな?」
「!!で、殿下・・・。」
顔色の悪い3人を引きずるように連れて行く騎士たちを見送ると、ルドヴィークはぱっと振り返りアマリエを抱きしめた。
「よくやった!!アマリエにしてはなかなか大したものじゃないか。痛快だったぞ、なぁグスタフ?」
「はい。姉上があのように話すなどと大変驚きました。」
「ああ、こんなに濡れて可哀想に。早く着替えないとな。・・・ん?どうした?」
「アマリエ姉上?」
反応を示さないアマリエに2人は顔を覗き込む。
そこにはぼろぼろと涙をこぼすアマリエがいた。
「・・・う、・・・こ、怖かった・・・。」
ルドヴィークとグスタフは顔を見合わせると小さく笑い、ルドヴィークはアマリエを軽々と横抱きにする。
ぐすぐすと泣き続けるアマリエの頭にルドヴィークは優しくキスを落とす。
「本当によくやった。もう安心していい。」
「ふ、ふぇ・・・。」
「さあ、部屋へ戻ろうか。―――と、ツィリルこれが事の真相だ。わかったか?さっさとインドラの事は忘れろよ?といってもあれだけインパクトがでかいと逆に忘れられんか。ははは。まあ、適当に帰れ。じゃあな。」
ルドヴィークはすっかり忘れていた友人の存在を思い出して、早口でそう告げると早々に部屋を出ていった。
ツィリルは頭を抱え込んでその場に座り込んでしまっている。
そんな彼にグスタフはどうフォローすることも出来ず、ただ肩を叩いてその場を立ち去った。
あれから2ヶ月程が経ち、アマリエはシュプリンガー公爵家にいた。
実は公爵家からアマリエを養女に、後ろ盾したいと王家を通して申し出があったのだ。
まさかとんでもないとあたふたしたアマリエだったが、ルドヴィークは当然のことグスタフ、ツィリルも賛成してくれた。
公爵家に滞在したのはほんの数ヶ月ではあるが、皆温かく出迎えてくれた。
特にアマリエの母の昔馴染みであったという公爵夫人は本当の娘のように可愛がってくれ「もっと早くこうするべきだったのだ」とよく漏らす。
しかしアマリエはそう思わなかった。
確かにそうしていればあんなにつらい目にあわずに済んだかもしれないが、あのアマリエだったからこそルドヴィークに出会えたのだと思うし、一歩踏み出せたのだと思う。
ルドヴィークはアマリエを連れて例の庭を歩いていた。
その方向はたくさんのロベリアの花が咲いていた場所だが、すでにシーズンは終わっているはずである。
アマリエは不思議に思いながら大人しくルドヴィークに付いて行く。
だがその場所に着くとどういうことか、ロベリアの花が見事に咲き誇っていた。
少々数では以前に劣るがそれでもしっかりと咲いている。
「え、どうして!?」
アマリエが驚いてルドヴィークを見ると、大成功といたずらっ子のような顔でニコニコと笑い満足気である。
「ロベリアはな、一度花をつけたらそれで終わりっていう花じゃないんだ。管理が難しいがしばらくするとまた花を咲かせてくれる。」
「・・・そうなんですね・・・。嬉しい、来年を待つ事なくまた見る事が出来るなんて本当に嬉しいです。しかもこの時期に」
「そうか。」
よほど感動したのかアマリエの目にはうっすらと涙が浮かんでいる。
それを見てルドヴィークは数あるロベリアの花の中からやはり瑠璃色のそれを摘み取ると、アマリエの前に跪いた。
アマリエは驚愕の表情を浮かべて突っ立っていた。
ルドヴィークはそんな彼女にくすくすと笑っていたが、次の瞬間には真摯な顔をしロベリアの花を捧げる。
「アマリエ、もう一度言わせてくれ。私の妃になってくれないか?」
あの時とは違い、ルドヴィークは少年ではなくすっかり大人の男性となった。
ぶっきらぼうななりもすっかり身を潜め、今ではこんな事をやってのける。
アマリエも少女ではなく女性となり、今では泣く事はないとはいえないが芯が一本通った様だった。
ルドヴィークの言葉を聞いてアマリエはさらに目を潤ませたが、泣くまいと口をへの字にして堪えている。
真摯な顔をしていたはずのルドヴィークはそれを見て思わずぷっと吹き出してしまい顔を伏せてしまった。
一通り笑い終え顔を上げると、むっとしながらもまだ涙を堪えるアマリエ。
苦笑して返事を促す。
「アマリエ?」
「ひどい、です・・・。わ、笑うなんて。」
「悪い、悪い。すごい顔してたから。」
「う、うぅ・・・。」
ルドヴィークは立ち上がるとアマリエを抱きしめると、ゆっくり髪を撫でてやる。
「こういう時は泣いていいんだよ。」
「し、知らな、い・・・。」
「ほら、アマリエ?返事は?」
「・・・ぐすっ・・・。」
「ん?」
優しく問いかけるとアマリエはぎゅっとルドヴィークに抱きつく。
「・・・よろしく、お願いいたします・・・。」
涙声だがしっかりと聞き取れたそれに、可愛くて愛おしくてたまらないとルドヴィークもしっかり抱きしめ返した。
改めて渡された瑠璃色のロベリアの花を大切そうに胸に抱えるアマリエ。
ルドヴィークは一緒に花を眺めていたが、ふと思い出した事をアマリエに話す。
「そういえば知っているか?ロベリアは遥か遠い東の国で“瑠璃蝶々”という別名があるらしい。」
「蝶々?素敵ね。言われてみればそう見えるわ。」
「まさしくアマリエにぴったりの花だ。」
「?・・・どうして?」
きょとんとしたアマリエにルドヴィークは目じりにキスをし、くすぐるように指で頬をなぞる。
アマリエはまだそういう感覚に慣れないのか、頬を染めると目を閉じてやり過ごしていた。
「随分長い間さなぎとなって眠っていたが、ようやく羽化し始めた。そして―――」
ルドヴィークはアマリエの肩を抱き引き寄せると、耳元で囁いた。
アマリエは熱を持った頬に手で押し当てながら、あの時と同じように嬉しそうにはにかむと「はい」と答えた。
―――アマリエ、君は私の腕の中でさぞかし美しい蝶となるだろう―――
このような拙い文章にもかかわらず多くの方に読んで頂いて嬉しく思っております。
感謝の気持ちでいっぱいです。
本当にありがとうございました。
以後は補足的な番外編を少しずつ更新していく予定ですので、お時間があればまたお付き合いください。