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ミランの願いも虚しく、グスタフより先に帰宅した子爵に夫人は真っ先にアマリエの非礼を告げ口した。
それを聞いて子爵は眉をひそめたが、黙ったままアマリエの部屋へと直行する。
ミランもそれに続き、部屋の前に来ると鍵を開ける行動に子爵は何か言いたげにしていたがここでも黙ったままだった。
開いた先にはここ最近いつも通りの光景だ。
窓際に椅子を置きそこにただ座って外を眺めるアマリエ。
まるで一枚の絵画のようだったが、今はその横にボストンバックが置かれていた。
「アマリエ。お前のツィリル様に対する非礼聞いたぞ。本当なのか?」
「まあ、貴方!!私が嘘を言うとでも!?」
「お前は黙っていろ。どうなんだ、アマリエ。」
「・・・。」
反応なしのアマリエに小さく溜息を吐いた子爵だったが、アマリエの頬が腫れているのに気づきどうしたのか問いかける。
それでも何も答えないので、しびれを切らしたミランが代わりに答えた。
「奥様のお怒りを買い、そのように。」
「ミラン!!」
「ああ、なんていうことをしたんだ。」
子爵の悲痛な声に少しアマリエが反応する。
子爵はアマリエのそばによると、そっと頬に触れ顔をしかめた。
アマリエは驚いた。
これが初めての接触である。
「・・・おとう、さま・・・。」
「これでは傷物になってしまうじゃないか。せっかくの美貌が台無しだ。まだまだ嫁ぎ先候補はあるというのに。本当に利用価値がなくなってしまう。」
「・・・。」
アマリエは少しでも期待した自分を恥じた。
今更何を求めていたというのか。
父親が自分を認めてくれているとでも?
なんという馬鹿な事を!!
「あら。さっさと追い出してしまったらいいのよ、こんな恥知らず。フューリヒ子爵家の名に傷がつくだけだわ。だいたいずっと気に食わなかったのよね、あの女にそっくりで。ああ、嫌だ。心気臭い娘。」
「たしかにますますアレに似てきたな・・・。外見だけは美しかったが・・・中身は、な。」
子爵と夫人はアマリエの母親を思い出したのか嘲弄し始めた。
それをアマリエはどこか遠くで聞いている気がしている。
すっかり項垂れて何も反論しない彼女にミランは肩を揺すって問いかける。
「アマリエ様、なぜ何もおっしゃらないのです?貴女の母上様が馬鹿にされているのですよ?」
「くっ。そういえばお前もあの女が嫌いだったな。」
アマリエを再びこちらに呼んだのは、やはり子爵の言葉だった。
どういうことかと子爵の方に視線を向けると、彼はニヤリと笑って面白そうに話始める。
「ミランはな、お前とお前の母親に復讐するためにここに奉公しに来たのだ。」
「旦那様、やめて下さい!!それは話さない約束です!」
「今更だ。コレがお前をずっと庇ってきたのも、信頼を得てから手ひどく裏切るための手段に過ぎない。ミランが手を下すまでもなく、すでにアレはもういない。それにお前はボロボロだ。この話でさらに失望したか?」
「旦那様!!」
「そういえばそうだったわね。ふふふっ。」
夫人も承知だったようで、なお笑いながらアマリエの顔を覗き込んだ。
「貴女昔からミランにべったりだったわね?どう?今の話を聞いた感想は。今までミランだけが貴女を庇ってくれるナイトだと信じていたのに、実際は貶めるためにずっとそばにいたなんてね。憎まれていたのよ?わかる?」
高笑いをする夫人の声が部屋に響き渡る。
子爵はそれには肩をすくめ、ミランは顔を真っ青にしていた。
「可哀想なアマリエ。」
楽しそうに笑い、扇でアマリエの顎を取り上を向かせる。
そして撫で声で優しく語りかける。
「ねぇ、貴女ここにいてもどうしようもないわよ?誰も貴女を庇ったりなんかしない、孤独な毎日よ?ああ、もしかして先程旦那様がおっしゃったように嫁いで幸せになるのを夢見ているのかしら?ふふふ、それも叶わないわよ。」
ぐっとアマリエと夫人の顔が近くなる。
夫人の目は三日月のように細くニンマリと笑っていた。
「誰がお前を嫁に行かせるものですか。幸せにはさせないわよ。・・・ああ、でも何処かの金持ち耄碌爺の後妻や妾なんかはいいかもしれないわねぇ。」
「お前は恐ろしい女だな。」
「ふふふ。当たり前じゃないの。あの女の娘にはたっぷり不幸になってもらわなければ。ねぇ、ミラン?」
そう問いかけられてもミランはもう口を開けなかった。
ただ人形のようにじっと動かないアマリエを見ていることしか出来なかった。
するとアマリエの口が小さく動く。
「では、私はここに必要ないのですね?」
「ええ。だから出ていってと言ってるじゃない。どうせ何も知らない貴女はその辺で野垂れ死ぬだけよ。」
「・・・お父様も?」
「好きにしろ、その陰気な顔を二度と見せるな。ただしここに残るというのならコレが言うような所へ嫁がせる。それは覚悟しておけ。」
「旦那様!奥様!」
ミランは2人に呼びかけるが平然とした顔をしてアマリエの答えを待っている。
堪らずアマリエへ駆け寄り腕を両手で掴む。
まるで何処へも行かせないように。
「アマリエ様、今は落ち着いてどうかここにお残り下さい。外へ出たところでどうにもならないのです。」
「・・・。」
「アマリエ様。」
アマリエは無言でミランの手を振りほどくと、一歩また一歩と後ろに後退していった。
「・・・アマリエ様?」
「あーら、ミランなんだか必死ねぇ。どうしちゃったのかしら?」
喜劇でも観ているかのように笑う夫人を睨みつけると、ミランはすぐにアマリエの方に顔を戻す。
アマリエの能面のような顔をじっと見つめた。
以前はこんな風にミランが見つめれば、嬉しそうに頬を染めきれいな笑顔を見せてくれた。
もうあの笑顔を見せてくれることはないとわかっていても諦めきれなかった。
全てを、今の自分の気持ちを正直に話したら、もしかして許してくれるのではないのかというわずかな希望がミランの胸にはある。
先程だって助け起こした時に「ありがとう」と感謝の言葉を述べてくれたアマリエ。
「・・・アマリエ・・・。」
「ねぇ、今日が何の日かご存知?」
ミランの小さな呟きをかき消すようにアマリエは突然質問する。
子爵夫婦が首を傾げる中、ミランだけはわかっていた。
「今日はアマリエ様のお誕生日でございます。」
「そう。ミラン正解よ。」
アマリエはにっこり笑うと窓のドアを全開に開け放ち、桟に腰かける。
彼女の久しぶりの笑みに驚いていた3人はその行動にさらに驚く。
焦った様にミランは話しかけた。
心臓が、痛い。
「今年もアマリエ様のお好きなお食事を用意してございます。プレゼントも。」
「あら、何かしら?」
「瑠璃色のロベリアの花、大好きでしょう?」
「覚えていてくれたのね、ミラン。貴方だけよ。」
そう言って嬉しそうにアマリエは足を揺らす。
その度に体がぐらつき後ろに倒れないかとヒヤリとする。
「アマリエ様、そこは危ないですから。さぁこちらに。」
「いいえ。私はここがいいの。」
こちらの落ち着かない様子を見て楽しんでいるかのようなアマリエに夫人が苛立つ。
「はん。いい加減になさい、アマリエ。そこから飛び降りる勇気もない癖に。そんなことをしても私たちの意見はかわらないわよ?」
「全くだ。それともなにか?本当にそうすると?私たちはそれでもかまわんぞ。やれるものならやってみるがいい!」
「な!?」
出来もしないだろうと煽るような言い方をする子爵にミランはかっとなりそちらに顔を向けた瞬間、ふわりと布が広がったのを視界の端でとらえた。
スローモーションのようにゆっくりとアマリエが背後に倒れていく。
背後で悲鳴が聞こえる。
アマリエをどうにか捕まえようとミランは走り出し、精一杯腕を伸ばすがするりと抜けていく。
まるでアマリエがそれをわざと避けたように思えた。
私に触ってくれるなと。
そしてミランは見た。
アマリエがきれいに笑っている顔を。
―――ミランが見たかった笑顔だった。