アンダーワールドに忠誠を
ドリンクコーナーでワイルドターキーを貰って、そのまま近くの壁際に移動する。ステージからは遠いけれど、その分落ち着いて音楽を聴ける、私の定位置。
壁にもたれかかりながら会場を見渡す。
今日の混み具合は八割くらいといった感じだった。多分大学の軽音部のイベントなのかな? 客層は若いし、全体的に浮き足立っているみたいな、初々しい雰囲気を感じる。
もちろん私はもう大学生でもないし、このライブとは何の関係も無いから、実際のところは分からないけれど、ちょっとだけ懐かしい気持ちになった。
私はこの、ライブハウスっていう空間が好き。
真っ暗で狭くてうるさくて、五感全部が研ぎ澄まされていくみたいな、熱気に当てられそうになるこの空気が。
学生の頃色々手を出したサークルのひとつに、軽音部があった。私は楽器なんてできなかったけれど、なんとなく華やかなイメージに惹かれて、それと新歓の強引なノリに押されて入ったんだった。結局私はボーカルとしてバンドを組んだけれど、初めてやったライブで目も当てられないほどの大失敗。それ以来サークルはやめてしまった。
やっぱり私には、スポットライトを浴びるような資格は無いんだなぁってことを、しみじみと思い知ったからだ。
その時にライブをやったのが、このライブハウスだった。
私はライトに照らされるのは苦手だったけれど、照らされたものを観るのは好きだった。それにあの何とも言えない高揚感が気に入ってしまって、それ以来頻繁にライブハウスに通うようになった。
気が向いた時や気分が落ち込んでるときにふらっと立ち寄って、気が済むまでこの空気を感じる。それが私の秘密の趣味で、ストレス解消法。
別に目当てのバンドがあるわけじゃない。ジャズだったりメタルだったりパンクロックだったり。空気を味わうのがメインだから、音楽は何だって良かった。元々、基本的に何でも聞くほうだし。とは言え、以前、ライブだと思って入ったら急にステージでミュージカルが始まった時は困ったけれど。
ステージではさっきからロックバンドが大声で歌っている。CMでも聞いたことのある今流行りの曲だった。下手ではないけれど、決して上手くも無い。けれど汗を飛び散らせながら一生懸命演奏する姿は、楽しそうで好感がもてる。
内輪ライブなだけあって、客の反応も悪くない。ボーカルの煽り文句やギターソロに合わせて激しいモッシュができているし、時々ダイブをしている人もいるみたいだった。
曲が終わると、一瞬の静寂。客席の熱気で汗ばんでいた頬が空調の風で冷やされてほんのりと気持ちが良い。
Tシャツとジーンズを爽やかに着こなしたボーカルの男の子が、慣れた様子で次々にメンバーたちを紹介していく。堂々とした立ち居振る舞い。きっと彼はこれまでもこうやって注目されてきたんだろう。
メンバー紹介が終わったあとも、冗談交じりのMCで客席を盛り上げている。話を聞いていると、やっぱり予想通り大学のサークルのイベントのようだった。
他のメンバーの準備ができたことを確認すると、そこで一呼吸を置く。最後の曲だという宣言のあと、軽快なドラムソロから曲が始まった。
ドラムに急きたてられたみたいなギターソロ。印象的な主旋律を何度も繰り返している。観客達もそれにあわせて、待ちくたびれたというようにすぐに身体を揺らし始める。客席の興奮がどんどん高まっていって、今にも爆発しようとしたそのとき。
「ふざっけんなよ!」
ステージの近く、一際大きなモッシュの中心から大きな怒声が上がった。スピーカーからは大音量で演奏が流れているのに、それにも負けない不思議と良く通る声だった。
その声に驚いて目を向けるけれど、人ごみに遮られて何も見えない。
けれどステージの上からは多分はっきりと見えているんだろう。ギターの人は驚いた様子で演奏を止めてしまった。ちょっと遅れてドラムやベースの演奏も立ち消えてしまう。
演奏の音がなくなると、騒ぎ声が余計に聞き取りやすくなった。
私はちょっと呆れながらその騒ぎを見ていた。ライブハウスっていう場所柄、こういうことは少なくない。お酒も入っているから些細なことでトラブルになったりする。とはいえ所詮内輪もめだから、そうたいしたことにはならないと思う。
けれど演奏を止めてしまったのはいけなかった。プロならともかく、大学のサークルバンドじゃあ仕方ないのかもしれないけれど。
この手のトラブルは当人同士を引き離しさえすれば、後はうやむやに解決できる。ちょっとくらい腹が立っても、曲に紛れてしまえば案外何とかなるものなのだ。
それなのに今は、演奏が止んでしまったせいで余計に騒ぎが強調されてしまっている。
なにやら揉めている声はさっきからどんどんヒートアップしている。ステージ上のバンドは不測の事態にすっかり舞い上がってしまって、このままじゃ演奏を再開することなんてとても出来そうに無い。
何とかして騒ぎを止めないといけないと判断したのか、企画者らしい男性が慌てて人ごみの中に突進していくと、それに合わせて人ごみが綺麗に左右に分かれた。
しばらくして、引きずられるようにして男の子が人ごみから出てくると、ようやく騒ぎも収まった。 スタッフからの指示があって、慌てた様子でステージ上のバンドが演奏を再開する。かわいそうだけれど、やっぱり再開後の演奏はボロボロだった。
私は、さっきまで騒ぎの中心にいた男の子をぼんやりと目で追っていた。
人ごみから放り出された少年は苛立たしげに舌打ちをすると、そのままドリンクカウンターへと歩いていった。綺麗な青色をしたお酒を二杯頼むと、そのうちの一杯を一気に飲み干して、もう一杯を持ったまま私の居るすぐ近くの壁にもたれかかる。
男の子の服装は、さっきの騒ぎでもみくちゃにされたのか、首元がすっかり伸びきってしまったTシャツに、裾の広い膝下までのパンツ。両耳には数え切れないくらいのピアスをつけて、重そうな南京錠をネックレス代わりにしている。
髪は男の子にしては随分長く、何本もの光の筋が走っているみたいに、ところどころが金のメッシュに染められていた。
そんなパンクなファッションとは対照的に、男の子は近くで見るととても綺麗な顔立ちをしていた。整った鼻筋に人懐っこそうな大きな瞳。その中性的な容姿と攻撃的な服装のアンバランスさについつい目が引き寄せられる。
ふと、私の視線を感じたのか、男の子がこちらに振り返った。
手に持ったお酒の色にも似た深い青色の瞳に、私は思わず引き込まれてしまう。私と目が合うと、男の子はニッコリ笑った。
「あっ、お姉さんだ」
その言葉に私はビックリして固まってしまう。
初対面のはずだけれど、どこかで会ったことあったっけ? 私がフリーズしていると、男の子は不安げな表情をした。
「あれ? よくココ来てるでしょ? このハコ通ってるからちょくちょく見かけてたような気がしたんだけど」
「……あ、ああ、そういうことね。知り合いかと思って一瞬考えちゃったわ」
「えー。まっさかー」
そういって男の子はケラケラと笑った。なんだかバカにされたような感じだけれど、不思議と憎めない子だと思った。
「ねぇねぇ、お姉さん的にはこのバンドどう思う?」
そういってステージの方を指さす。何で急にそんな事を聞くんだろうと私はちょっと戸惑ったけれど、正直な感想を言うことにした。
「うーん、特にこれといった特徴も無い……かな。良くも悪くも普通っていうか、学生バントっていうか……」
「あっ、やっぱりそうだよね。流石だねー」
私の言葉に、男の子はうんうんと何度も大きく頷いている。
「流石って?」
「お姉さんって業界の人なんじゃないの?」
「業界?」
「またまたー。音楽業界に決まってんじゃん」
男の子は私の目を覗き込みながらニヤっと笑う。
「ええええっ、そんなわけ無いじゃない!」
私はビックリしながらも、なんとか手をブンブン振り回して否定の意思を伝える。今度は男の子がビックリする番だった。
「えっ!? 違うの?」
「当たり前でしょ! 違うわよー」
「えー、良く来てるし毎回スーツだし、後ろで黙って見てるだけだから絶対そうだと思ったのにぃー」
「あぁー……」
そう言われると確かに紛らわしいかも。けれどこの格好じゃはしゃぎ回るわけにもいかないし。……今度から着替え持ってこようかなぁ。
「みんな業界人って思ってるからさ、意外と有名人だよ、お姉さん」
「やだ……恥ずかしいわ」
「うちらの間では、業界のお姉さんって呼ばれてるんだよー。名前分かんないからさ」
「ちょっと、やめてよ。私の名前はアキよ」
「業界人のアキさんね」
「だから、違うってば!」
私がむきになって否定すると、男の子は笑いを堪えるように口元に手を当てる。その子供っぽい姿にすっかり毒気を抜かれてしまって、私は大きなため息をついた。
「もう。君の名前は?」
「ユウ」
「ユウ君かぁ」
ユウ君はちょっと驚いたように目を見開いて、けれどすぐに気を取り直して、そっぽを向きながら呟く。
「ユウで良い。君づけとか嫌いだから」
「……分かったわ、ユウ。お友達にもちゃんと否定しておいてね」
「はいはーい」
そういってユウは分かったのか分かってないのか微妙な、意地悪そうな笑顔を浮かべた。
そんな風に思われてたなんて、これからココにも来にくくなっちゃうかもなぁ。この子がちゃんと否定してくれれば良いんだけど……。
そんな事を考えているうちに、さっきのバンドの演奏が終わったみたいで、少し照明が明るくなった。
ステージを見ると、バンドのメンバーたちが悔しそうな顔をしながら捌けていくのが見えた。それを見ていたら、さっきの騒ぎのことを思い出した。私はユウの方を振り返る。
「そういえばさっき揉めてたわよね。何があったの?」
「んー、ライブ慣れてないのか知らないけどマナー悪い奴がいてさぁ。足は踏むし腕は当たるし、無理矢理ダイブしようとするし。それで注意したら逆切れされてさー」
「うーん、気持ちは分かるけど、でもあんなことしたら危ないよ? 演奏も止まっちゃったし」
「ってか、大体あんくらいで演奏止めるのが悪いんだって。これだから内輪ライブは嫌なんだよね」
「内輪ライブって、軽音部のライブなんだから自分もメンバーなんじゃないの?」
「違う違う。お姉さんと一緒でたまたま来ただけだよー」
「そうなの? だったら尚更トラブルおこしちゃダメじゃない!」
「えー。酒と喧嘩はライブの華じゃん」
ユウはまるで反省の色が見えない満面の笑顔を私に向けた。
私が言い返そうとすると、ちょうど次のバンドの出番が始まったみたいで、会場の照明が暗くなった。すぐに一曲目が始まって、私の反論の声はアンプから流れてくるギターの音にかき消されてしまった。
なんとなく話を続ける雰囲気でもなくて、私たちはステージに目を向けた。
澄んだギターのアルペジオから始まった曲は、イントロが終わると爆音に変わる。ガンガンに歪ませたギターとベース、お腹の底に響いてくるドラムに、がなりたてるような英語のボーカル。スリーピースのバンドなのに、その力強さに思わず目が離せなくなった。
どことなくカントリー調のポップなメロディと、激しいパンクロックが微妙なバランスでせめぎあっている。知らない曲だけれど、良い曲だと思った。
私は英語はさっぱりだし、わざと崩して歌っているみたいだったから、なんて言っているのかは分からなかった。
何とか歌詞を聞き取ろうと耳をすませていると、ユウが話しかけてきた。
「この曲、好きなの?」
「え? うん。なんか良い曲だなぁって思って。これ、なんて曲なの?」
「Green Day の Minority って曲」
そういって、演奏に合わせてサビのフレーズを口ずさむ。はっきりとした発音で、何ていっているかようやく聞き取れた。
I want to be the Minority──
「I want to ……マイノリティになりたい、かぁ」
まるで私のことみたいだと思った。もしかしたらこの曲に惹かれたのは、だからかも知れない。
演奏に合わせて歌っているユウを横目で窺う。ステージライトの照り返しで原色に染まる横顔は、なんだかとても綺麗だった。
良く通るユウの声。すぐ隣にいるからかもしれないけれど、ステージで歌うバンドのボーカルよりもユウの方がよっぽどこの曲に似合っているような気がする。
「ユウは、素敵なマイノリティだね」
思わずそう漏らすと、ユウはちょっと照れたみたいにそっぽを向いた。
「マイノリティなんて、マジョリティになれないだけの、その他大勢のなかの少数派ってだけだよ」
「でもやっぱり私は憧れちゃうわ」
「……まぁ、一応お礼言っとくよ。って、どうせならオンリーワンになれれば良いんだけどねー」
ユウはそう言って、今度は一昔前に随分流行っていたアイドルグループの曲を歌い始める。サビだけを軽く歌い上げると私に向き直る。
「でもさ、なんか皮肉だと思わない?」
「え、なにが?」
「マイノリティになりたいって言ってる本人が、パンクロックの世界では紛れも無いオンリーワンじゃん。あ、Green Dayのことね。どうせお前らはマイノリティにすらなれないんだろ! ってバカにされてるみたいな気分になんない?」
「それは……ひねくれ過ぎじゃないかなぁ」
私の呆れ声に、ユウは唇を尖らせて「まぁね」と言った。
それから、Minorityのサビだけを繰り返し口ずさみだす。
けれどさっきの言葉や態度とは裏腹に、ユウの表情はとても楽しそうで眩しくて、それがなんとなく羨ましかった。
やっぱりユウは間違いなくマイノリティなんだと思った。