善行サイコロゲーム
「普通に幸福に暮らしててな、難波のセルフうどんにハマって、もう『セルフが生きがい』になっちゃってたんだ。そこから羊を飼うとこから始める『セルフフランス料理』、卵を人工孵化させるところから始める『セルフTKG』。経営者として、めちゃくちゃ大成功したんだよな」
闇売は一瞬、言葉を失った。「・・・え?」
「笑い止まらんくらい儲かったんです。牧場も養鶏場も」
無無は眉をひそめて突っ込む。「いやでも、『セルフ店』は全部すぐ潰れたやろ。腹減ってる客が一番嫌うのは、“すぐ食べられへん店”や」
「そもそも、その発想に至る時点でだいぶ危険です」闇売は淡々と答える。
「三途の川では忘れさせろよ! 金はあったんだよなあ、あの頃は」在山は笑いながら肩をすくめた。
「でも、満たされなかった。俺ら、安定した売上よりも――『架空の象をウルウルする瞬間』を追いかけたくなったんや」無無は手を広げ、少し誇らしげに言う。
「まだフランス料理用の魚を獲りに行ってた頃、遠洋漁業の船の上で、地平線を見ながら誓ったよな。『これからは、牛や鶏やない。象の時代だ』って」在山は目を細め、思い出すように呟いた。
「・・・言うたな」無無も小さく頷く。
「それで全部売り払って、象ウルウルのフランチャイズ契約して、なんとなく――『象をウルウル詐欺』始めただけや」
二人は顔を見合わせ、胸を張って言った。「オレらに闇なんて、ありまへ~ん!」
闇売はじっと二人を見つめ、静かに口を開いた。「・・・ある意味、だいぶ闇が深――」
咳き込み、表情を引き締めて続ける。「あ、いやいや、それはマズイですね。・・・闇エピソード、ひとつ差し上げましょうか?」
在山の目が、じっと闇売を捉える。
「で、あなたは?」身を少し乗り出して、もう一度問いかける。
闇売は何も答えず、再び同じ場所で、指先で在山の肩をポンポンと叩く。その間隔も、力加減も、さっきとまったく同じだ。口角だけがわずかに上がった謎の笑み。目は笑っていない。
「嘘はバレるでしょ」無無がつぶやくように言う。
闇売は首を微かに震わせ、両手を広げて波動を送るような仕草をした。「中に入れますから、バレません」
「怖いなあ」無無の声が震える。
「背に腹はかえられないだろ、もらおうぜ!」在山は勇気を振り絞る。
「タダってことはないやろ!」無無がツッコむ。
闇売は淡々と答える。「生前の『良い行い』を寄付していただいてます」
「寄付?」在山が首をかしげる。
闇売は静かに説明を続けた。 「こちらの世界では、生前の良い行いが緑化に繋がるんです」
「どういうシステムやねん!」 無無の叫びを無視し、闇売の指先が再び在山の肩をポンポンと。さらに無無の腕にもその指が触れた。「うわっ、こっちにもきた」と身をすくめる無無。服の上からでも、凍てつく冷気が骨を叩く。 「良い行いが関係ないなら、もらおうぜ」 在山の言葉と同時に、足元にサイコロが転がった。闇売がそれを拾い上げる。 「出た目のシチュエーションで、生前の良い行いを聞かせてください」 「そやさかい、なんで急にパーティーみたいなゲーム要素出てくんねん!」 呆れる無無だったが、闇売に「資源」を差し出さねば天国への道はない。二人は必死に善行を絞り出した。 「コンビニで客に百円貸した。・・・返してもろたけど」 「猫に缶詰あげた。・・・横取りされたけど」 「つまらない。振り直し」 無機質な宣告と、繰り返されるポンポンという冷たい感触。振り直すたびに、二人の「善意」がいかに薄っぺらな自己満足かが露呈していく。 「・・・そやさかい、なんで俺らが自分の情けなさを白状させられなあかんねん」 無無の声から勢いが消え、三途の川の静寂に二人の虚しさが溶けていった。 「ふぅ・・・これでええんやな」 在山が憔悴しきった顔で笑った。「じゃあ、約束通り闇をください」
二人は手のひらを上にして待つ。
闇売は静かに告げた。
「闇エピソードは、良い行いを発表した瞬間に、おふたりの思考回路にダイレクトインストールしました」
「脳に!?」
頭の奥に冷たい針が刺さるような刺激が走った。
「インストール・・・って、何やそれ。怖いなあ・・・」
無無も小さく震えながら声を漏らす。脳内の溝のすみずみまで、見たこともない暗色が音もなく浸透していく感覚だった。
在山はこめかみを押さえ、残る痺れを確かめるように目を細めた。
「・・・発表した瞬間、頭の奥で、何か『ビビッ』て来た気がする」
その言葉に、無無はあきれた顔を露骨に見せた。
「お前、簡単に催眠術にかかるタイプやろ。ちょっとした刺激を、勝手に脳内でドラマチックに膨らませとるだけや」
「それを言うなら、詐欺にかかりやすいタイプやろ!」
在山は、涼しい顔で、むしろ得意げに返した。
「そやさかい、誇らしげに言うな! 反省せえ!」
無無は喉を鳴らしながら怒鳴る。「自慢げに言うことか、そんな情けないこと!・・・ああもう、先に行くぞ!」
「ありがとうございます」
在山がなぜか礼を言いながら後を追おうとした、その時だった。
背後で、あの不気味な男が静かに、しかし逃れられない響きで口を開いた。
「申し遅れましたが・・・」
霧の中、男の影が長く伸びる。
「わたくし、こういう『闇』を専門に扱う者、『闇売』と申します。・・・では、いってらっしゃいませ」
闇売はそう言うと、上半身を深く折り曲げた。角度は常識を逸しており、腰から上は地面とほぼ平行なのに、首だけがまるで独立した生き物のように真上へねじ曲げられていた。
顔だけは正面を向き、二人の背中をじっと見つめる。まばたき一つせず、濁った瞳は暗い井戸の底のように光を反射しない。折れ曲がった身体と顔の角度が、人間の骨格の限界を明らかに超えていた。
二人が歩き出すと、背後で「ピチャリ」と水に濡れた何かが蠢く音がした。振り返る勇気は、もう二人には残っていなかった。




