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象に踏まれて死んだ日


 三途の川付近、そう呼ばれる場所。濃い霧に遮られ、境界は水の音と湿った風でしか感じられない。  在山ざいさんは記憶を失ったまま、重力に引かれるように歩いていた。そこへ霧の向こうから、見慣れたシルエットが近づく。 「おっ。お前も来てたんだ」  居酒屋のような軽い挨拶。だがここは誰も予約などしない場所だ。無無むむは答えず、すれ違いざまに在山の首へ万力のような腕を回した。 「軽挨拶すんな! 俺ら、死んだんやぞ!」  喉に響く怒号。それだけが、この生気のない世界で唯一確かな手触りだった。 「お前が詐欺に誘うからや!」  無無の殺気に対し、在山はどこか冷静に事実を告げた。 「でもさ・・・オレたちの死因って、圧迫死だろ」  無無の腕の力がふっと抜ける。 「そや。な・ん・で・・・象に踏まれて、グチャって死ななあかんねん!」


あの日、大阪・壮屋堺。いつものように「象売ります」と嘘を売り捌く事務所に、扉を蹴破って現れたのは、天井

に届くほどの灰色の巨躯だった。あまりに巨大で、静かで、場違いな――。

「ありえへん。ここは大阪やぞ。サバンナやないんや!」

無無の叫びに、在山は感心したように呟く。

「死んだなあ。・・・あれは、今の時期に多い『季節の捨て象』だろうな」

「季節の!? 梨みたいな言い方すんな!」

在山は記憶を繋ぎ合わせるように淡々と続ける。 「夏祭りの景品の象を、ガキが『パオちゃん』って可愛がるねん。でも団地のベランダじゃ飼えんくなって、親に『捨ててきなさい』って言われるんや」 「・・・象を?」  無無の脳は理解を拒絶したが、在山は遠い目で頷く。 「そやさかい、どこの縁日で象売っとんねん! 金魚すくい感覚で持ち帰るな! ポイどころか体育館がいるわ!」  無無は頭を抱えた。「世界が間違ってるわ・・・」  死の事実より、象を「季節の行事」で片付ける在山の狂気が、無無の理屈を粉砕した。

「そやさかい、どこの縁日で象が売られとんねん! 金魚すくい感覚で象を持ち帰るな!」「やっぱり・・・」在山はなおも首をかしげ、まるで深刻な謎を解くように呟いた。「『捨て象』だと思うけどな」「はっ!」無無が鼻で笑う。「じゃあ、どうやって連れて来たんや。地下鉄か~?」在山はそれを真に受けて、本気で考え込んだ。「・・・改札は、どうしたんだ?」一瞬の沈黙。「考えんな!」無無の叫びが、霧の中に響いた。


無無は即座に叩き落とすように言った。「絶対、電車使ってへんわ! あっ、もう・・・最悪や~~」在山は、その「最悪」という言葉に反応したように、ゆっくり視線を横へ移した。「最悪は、それだけじゃないな」無無が気づくより先に、在山は遠くを見ていた。「あそこが、三途の川やろ」指の先に、濁った流れが見える気がした。霧の向こうに、ぼんやりとした列が伸びている。「生前の善悪が審査されて、天国か地獄に振り分けられる」無無は、ようやく状況を飲み込んだ。「最悪や・・・」声のトーンが一段落ちる。肩が重く沈み、足元がふらついた。


これまで笑い飛ばしてきた死が、急に現実の重みを持ってのしかかる。

象の足の下でグチャッと潰れた瞬間より、今の方がよっぽど怖い。無無は唇を噛み、恨み言のように言葉を吐き出した。「『象売りマッセ』って言っても、『象買いマッセ』って人、ひとりもおらんかったのに・・・」声が少し震える。「しかもやで。『象をウルウル詐欺ビジネス、儲かりマッセ』って騙されて、フランチャイズ契約してもうたんや」在山は黙って聞いている。いつものおっとりした顔に、わずかな影が差す。「オレら、詐欺の被害にあってる方やのに・・・」少し間があって、在山がぽつりと言った。「・・・天国に行けるかも?」無無は一瞬、言葉を失くした。「のんきなこと言ってんじゃないよ」


 そう言いながら、無無は在山の腕をつかんだ。力は強かったが、指先がわずかに震えていた。「並ぶしかないんや。行くぞ」在山は引っ張られるまま、もう一度だけ振り返った。

さっきまで笑っていた「捨て象」の話が、急に遠い記憶のように感じられた。

二人は、霧の中を、流れのほうへ歩き出した。

足音は、霧に吸い込まれるように消えていった。



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