第9話「何もしない日の損失」
翌朝。
レオンはいつもの時間に目を覚ました。
窓の外は晴天。だが色は薄い。
「本日の業務予定――」
机に置かれた依頼書に手を伸ばしかけて、止まる。
昨夜の言葉が、思い出された。
『何もしない日を作る』
非合理。
損失発生。
だが――。
レオンは椅子に座ったまま、ペンを置いた。
「……本日は、業務停止」
自分で決めるのは初めてだった。
役所に出勤しない。
依頼書を開かない。
線を見ない。
それだけで、胸の奥にざわつきが生まれる。
損失予測。
未処理案件二件。
水門調整の確認遅延。
商隊契約の修正未完了。
すべて、処理可能だ。
だが今日は、処理しない。
◆
町を歩く。
市場の喧騒。
パンの匂い。
果物の山。
色は相変わらず薄いが、昨日よりわずかに輪郭が戻っている気がする。
「レオンさん、今日はお仕事は?」
受付嬢が声をかける。
「休暇です」
「えっ!? 総務さんも休むんですね!」
「制度上、可能です」
自分で申請した。
町長は困惑していたが、止めなかった。
◆
広場の端で、子どもが転ぶ。
「いたっ」
小さな膝に擦り傷。
レオンは一瞬、線を見る。
最短処理――止血、薬草、包帯。
だが、線を追わない。
ただ近づき、ハンカチで土を払う。
「……大丈夫ですか」
「うん」
子どもは笑う。
その笑顔が、ほんの少しだけ色を持つ。
淡いが、確かに赤い頬。
「ありがとう、総務のお兄さん」
その言葉に、胸の奥が微かに温かくなる。
数値化不能。
測定不能。
だが存在する。
◆
丘の上。
セレネが立っている。
「実行しましたね」
「損失は限定的です」
「色は?」
レオンは視界を確認する。
空の青が、わずかに濃い。
「回復率、五%程度」
「十分です」
セレネは微笑む。
「合理に休息を与える。それもまた合理です」
「理屈のすり替えです」
「非合理は、ときに理屈より強い」
風が吹く。
草の緑が、ほんの少しだけ鮮明になる。
「……線が、薄い」
レオンが呟く。
「今日の最短が視えません」
「素晴らしいことです」
「業務効率が下がります」
「ですが、あなたは消えない」
その言葉が、静かに胸に落ちる。
◆
同時刻、王都。
教会では小さな不満が広がっていた。
「戦わずに終わるなど、勇者らしくない」
「奇跡は必要だったのでは」
聖女ミリアは静かに聞いている。
「戦わない選択も、守ることです」
だが信徒の揺らぎは残る。
合理で説明できない部分。
それが火種になる。
◆
夕暮れ。
レオンは丘に座り、何もせずに空を見ている。
線はほとんど見えない。
世界は少しだけ不安定。
だが色は戻りつつある。
「……非効率」
「ええ」
セレネが隣に座る。
「ですが、揺らぎは戻っています」
「均質化が止まっています」
「あなたが選ばなかったからです」
沈黙。
遠くで鐘が鳴る。
平和の音。
それは戦争回避の成果でもある。
「最短は世界を救う」
レオンが言う。
「ですが、最短だけでは世界は続かない」
セレネは微笑む。
「それに気づいたなら、第一章は成功です」
「章?」
「物語の話です」
彼女は空を見上げる。
「あなたの物語は、合理と揺らぎの均衡を探すものになる」
レオンは何も言わない。
だが、星が白点ではなく、小さな光として見える。
完全ではない。
だが、消えていない。
「……明日からは業務再開です」
「はい」
「ただし」
少しだけ間を置く。
「何もしない日を、定期的に設けます」
セレネは満足そうにうなずく。
「それが、あなたの第四手ですね」
風が吹く。
色はまだ淡い。
だが、確かに存在している。
合理は世界を整える。
揺らぎは世界を続ける。
その両方を抱えながら、総務は次の案件へ向かう。
最短だけではない道を、初めて選びながら。
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