第4話「水は高いところから低いところへ流れます」
隣村との水利権争いは、盗賊よりも根が深かった。
川は一本。
上流がグレイヴン、下流が隣村ラドス。
雨の少ない季節になると、水門の開閉を巡って毎年揉める。
「今年は絶対に譲らんぞ!」
「そっちが勝手に水路を広げたんだろう!」
役所の会議室で、双方の代表が怒鳴り合っていた。
町長は胃を押さえている。
「レオン君……どうにかならんか」
「物理法則は変えられません」
レオンは淡々と答える。
「水は高いところから低いところへ流れます」
「そ、そうだが!」
「ですが、水量は契約で配分できます」
両村の代表が怪訝な顔をする。
「契約?」
「現状は口約束ですね。記録もなく、測定も曖昧」
レオンは机に簡易な図面を広げた。
「水門の開閉時間を計測し、共同管理にします。加えて、上流側の水路拡張は三割縮小。代わりに下流側へ補助金を出す」
「補助金だと!? そんな金は――」
「盗賊対策費で浮いた銀貨三十枚があります」
町長が目を丸くする。
「そ、そんなに余ったのか?」
「戦闘がなかったので」
双方の代表は顔を見合わせる。
「……だが、どうやって公平を証明する」
「水量計を設置します」
「そんな高価なものを――」
「簡易式で十分です。魔法式を応用すれば銀貨五枚」
代表たちの声が、少しずつ小さくなる。
怒りはある。
だが、数字と具体策の前では勢いが削がれる。
「違反した場合は?」
「翌年の配分を減らします。契約書に明記します」
レオンはペンを走らせる。
「感情ではなく、記録で決めましょう」
会議室は静まり返った。
◆
数日後。
水門には簡易水量計が取り付けられ、双方の代表が立ち会いで確認を行っている。
「……ちゃんと同じだな」
「今年は文句なしだ」
小さな拍手が起こる。
町長はほっと息をついた。
「戦いにならずに済んだ……」
「戦いは費用対効果が悪いです」
レオンはいつもの口調で言う。
「恨みも残ります」
その言葉に、町長は少しだけ考え込む。
◆
その夜。
役所の執務室で、レオンは報告書をまとめていた。
視界に走る“線”は、以前よりも鮮明になっている。
水利紛争、解決。
来季予算、安定。
街の信用度、上昇。
だが、ふと気づく。
窓の外の灯りが、わずかに色を失って見える。
橙色のはずの街灯が、どこか薄い。
「……疲労でしょうか」
指先で眼鏡を押し上げる。
そのとき、扉がノックされた。
「入ってもよろしいですか?」
聞き慣れない、落ち着いた女性の声。
「どうぞ」
扉が開く。
そこに立っていたのは、銀髪の女性だった。
月光を受けて、淡く輝く髪。
黒を基調とした軍装。
冷静な瞳。
「初めまして、レオン・クラウゼル」
彼女は一礼する。
「セレネ・ヴァルディアと申します」
「どの部署の方ですか」
「魔王軍です」
沈黙。
町の外では虫の声が鳴いている。
「……冗談にしては、質が悪いですね」
「冗談ではありません」
セレネは机の上に一枚の書類を置いた。
《勇者部隊、資金凍結継続》
「あなたの“業務外”の結果です」
レオンは書類を見る。
驚きはない。
「想定範囲内です」
「勇者は焦っています。魔王軍内でも評価が割れています」
「なぜ、それを私に?」
セレネは微笑む。
「あなたが動けば、戦争は終わります」
「業務外です」
即答。
セレネは目を細める。
「ですが、あなたは視えているのでしょう?」
彼女の視線が、真っ直ぐにレオンを射抜く。
「最短で終わる道が」
レオンは沈黙する。
視界の奥に、確かに線がある。
勇者と魔王の停戦。
国家間条約。
戦費削減。
最短三手。
だが――
「私は現在、地方役所の臨時職員です」
「世界が崩れても?」
「崩れません」
レオンは淡々と返す。
「合理的に処理すれば」
セレネは小さく息を吐いた。
「合理は万能ではありません」
「感情は非効率です」
静かな応酬。
しばしの沈黙の後、セレネは言う。
「あなたの力、魔王様は危険視しています」
「光栄です」
「そして私は――」
彼女はほんのわずかに口元を緩めた。
「興味があります」
その言葉に、レオンの胸の奥で、何かが微かに揺れる。
だがそれは、線ではない。
測定不能の、曖昧な何か。
「……本日は業務時間外です」
「では、改めて業務としてお話ししましょう」
セレネは振り返り、扉へ向かう。
「近いうちに、正式な提案を持ってきます」
扉が閉まる。
静寂が戻る。
レオンは椅子に座り直す。
机の上の水利契約書。
盗賊再雇用の名簿。
そして、魔王軍財務官の名刺。
視界に線が走る。
だがその中に、一つだけ不確定な点がある。
銀色の残像。
「……非合理」
呟いた瞬間、窓の外の街灯が、ほんの一瞬だけ鮮やかに見えた。
世界は、まだ揺らいでいる。




