第2話「総務なんて、いなくても回る」
鐘の音は、魔王城攻略の開始を告げるものだった。
城門前の広場では、勇者アルドが剣を掲げている。
「行くぞ! ここで終わらせる!」
歓声が上がる。
だが、その背後で副官が青ざめていた。
「勇者様、本当にこのまま進軍なさるのですか!? 王都から正式な許可が――」
「細かいことは後だ!」
アルドは一蹴する。
「俺たちは勇者だぞ!? 魔王を倒せば全部正当化される!」
その言葉に、何人かがうなずく。
何人かは、目を逸らす。
城門が開き、部隊は進軍を開始した。
――三十分後。
「補給が届きません!」
「回復薬の追加は!?」
「王都からの転移支援が遮断されています!」
混乱が連鎖する。
魔王城周辺は中立地帯。
正式な許可なく軍を動かせば、王都は“支援できない”。
それは、規定通りの処理だった。
「な、なんでこんな急に……!」
副官が書類をめくる。
そこには、几帳面な筆跡で注記が並んでいた。
《討伐許可証は正午で失効》
《更新には王都財務局第七印が必要》
《未提出の場合、支援停止》
すべて、昨日まで机に置かれていた書類だ。
アルドは歯を食いしばる。
「……レオンのやつ」
思い出す。
淡々とした声。
『討伐許可証は明日の正午で失効しますので』
あれは、警告だったのか。
「いや……!」
アルドは首を振る。
「総務一人いなくなっただけだ! 戦えれば勝てる!」
その瞬間。
魔王城の外壁が、重低音とともに揺れた。
城門の上に、巨大な影が立つ。
魔王軍幹部――黒鎧の将。
「無許可侵攻とは、勇者殿も随分と焦っているようだ」
低い声が響く。
「王都からの抗議文は、すでに届いているぞ」
抗議文。
その言葉が、兵たちの足を止める。
「な……」
「法的には、貴様らは侵略者だ。こちらが正当防衛となる」
ざわめきが広がる。
“正義”の旗が、ゆらぐ。
アルドは剣を握りしめた。
「関係ない! 魔王を倒せば――」
「倒せば?」
黒鎧の将が笑う。
「王都の承認なき討伐は無効。英雄ではなく、反逆者となるが?」
言葉が、刃より鋭く刺さる。
その頃。
王都から離れた街道を、レオンは歩いていた。
背後で起きている混乱など知らないかのように、一定の速度で。
「次の町までは二時間」
荷袋の中には、引き継ぎ書の控えが一部。
未練ではない。習慣だ。
遠くで、伝令の馬が駆け抜ける。
焦った声が風に乗る。
「討伐中止命令だ! 勇者部隊は直ちに撤退せよ!」
レオンは立ち止まらない。
視界の端に、細い線が見える。
もし今から戻れば。
最短三手で収拾可能。
勇者の名誉も保てる。
魔王との停戦交渉も成立する。
だが。
「業務契約は終了しています」
彼は歩き続ける。
魔王城前。
撤退命令が伝わり、部隊は混乱の中で引き返す。
負傷者は少ない。
だが、士気は大きく削がれた。
王都。
財務局の一室で、重い声が響く。
「勇者部隊への支援、全面凍結」
「理由は」
「契約不履行および無許可侵攻」
書類に判が押される。
淡々と。
規定通りに。
勇者アルドは、城内で机を叩いた。
「ふざけるな……!」
だが机の上には、見慣れない空白がある。
いつも整えられていた資料が、ない。
いつも先回りして処理されていた申請が、ない。
いつも“当然”だった段取りが、ない。
「……回るんじゃなかったのかよ」
誰に向けた言葉でもない。
その頃。
レオンは、小さな地方都市の門をくぐっていた。
石造りの簡素な街。
掲示板には、手書きの依頼が貼られている。
《盗賊被害、増加中》
《商隊壊滅》
《騎士団派遣、予算不足により未定》
レオンは掲示板を見上げる。
視界に、無数の線が走る。
盗賊団壊滅。
費用最小。
被害三日以内収束。
最短ルートが、はっきりと見える。
「……定時で帰れる職場」
小さく息を吐く。
役所の建物へ向かって歩き出す。
背後で、子どもたちの声が響く。
「おじさん、冒険者?」
「いえ、総務です」
「そうむ?」
「地味な仕事です」
自分で言って、わずかに口元が緩む。
そのとき。
王都、財務局の奥深く。
銀髪の女性が一枚の報告書を受け取っていた。
「勇者部隊、機能不全……?」
冷たい瞳が細められる。
「原因は……総務担当の離脱」
紙の端に書かれた名前をなぞる。
「レオン・クラウゼル」
静かな笑みが浮かぶ。
「面白いですね。戦わない者が、戦局を動かすとは」
窓の外、遠くに魔王城の影が見える。
「少し、観察しましょうか」
世界はまだ静かだ。
だが、何かが確実にずれ始めている。
それは剣の衝突音ではなく、
書類の一枚が抜け落ちた音から始まっていた。




