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第5話:回復事故(クールタイム地獄)

港町の診療所は、普段なら昼前に一番混む。

……普段なら、だ。


今日は朝の空気が冷え切ったまま、扉の外からすでに人の熱が押し寄せていた。泣き声、怒鳴り声、咳、うめき。薬草の匂いに血の鉄臭さが混じり、床には泥と濡れた足跡が幾重にも重なっている。


ミナト・アヤメは、薬屋の旦那から預かった包みを抱えたまま立ち尽くした。乾燥薬草、包帯、消毒の粉。いつもなら「助かるよ」と言われるはずの荷が、今日は“足りないものの一部”にしか見えない。


「次! 次の人、前!」


診療台の周りで、白衣の治癒術師が叫んでいた。目の下に濃い影、唇は乾き、指先は震えている。周囲には見習いが数人、布と水を抱えて右往左往していた。


「回復を! うちの子を先に!」

「痛い! 早く!」

「押すなって言ってるだろ!」


人が押し合うたび、誰かの傷口が擦れ、誰かが倒れる。診療所の中で事故が増える。

そして、治癒術師が反射的に手を伸ばす。


「——癒しの光よ!」


その瞬間、アヤメの視界に赤が咲いた。


【Cooldown】

【Too many requests】

【Rejected】


治癒術師の掌からは、何も出ない。あるいは、出たとしても弱すぎて意味がない。

それでも治癒術師は、もう一度、もう一度と繰り返す。繰り返せば繰り返すほど、赤は増えていく。


【Cooldown】

【Cooldown】

【Rejected】

【Rejected】


——やめて。

言葉が喉に引っかかる。


「先生! 通りません!」

「黙れ、通すんだよ! 通さないと——!」


通さないと、目の前の人が死ぬ。

だから連打する。だから詰まる。だから、もっと通らない。


アヤメは息を吸い、包みを棚の上に置いた。

自分は治癒術師じゃない。火種すら危うい落ちこぼれだ。ここで前に出るのは——怖い。怖いけれど、見えてしまった以上、見なかったことにはできない。


診療台の上では、男が青い顔で呻いていた。胸を押さえ、呼吸が浅い。横で見習いが小さな回復を試みるが、赤が弾ける。


【Cooldown:24s】


数字が、見えた。

赤の下に、細い白文字で“秒”が刻まれている。二十四、二十三、二十二——と、確かに減っていく。


「……秒数、ある」


口から漏れた瞬間、背中に冷たい視線が刺さった。治癒術師がこちらを睨んでいる。


「何だお前、患者か! 邪魔だ、下がれ!」

「邪魔しません。……今、回復、連打しても通りません。クールタイムです」


「クール……何?」

「待ち時間です。……今、二十四、二十三って減ってます。待てば通る」


治癒術師の眉間が寄る。疲労と苛立ちと恐怖で、言葉が頭に入らない顔だ。周囲の家族が「待てって言うのか!」と噛みつき、見習いが泣きそうになる。


アヤメは、両手を上げた。敵意がないと示すために。市場で覚えた動きだ。


「いや、仕様って……。今は“順番待ち”なんです」


自分の口癖が、初めて役に立った気がした。

“仕様”という言葉は、怒りを外へ逃がす。相手ではなく、見えない何かへ向けさせる。


「順番待ち?」

「回復は、押した順じゃなくて、通るタイミングが決まってます。今は、連打すると……」


アヤメの視界に、さらに別の赤が見えた。


【Too many requests】

【Throttle】


「……混みすぎて、絞られてます。たぶん、今のやり方だと全員が損します」


治癒術師が歯噛みし、診療所全体を見回した。

床でうずくまる人、血の付いた布、叫ぶ家族。現場の地獄。けれど、もし“待ち時間”が本当なら、規則を作るしかない。


「……お前、名前は」

「アヤメです。ミナト・アヤメ」

「治癒術師でもないのに口出しするのか」

「……口出しじゃなくて、手順です。やるなら、事故を減らす手順」


治癒術師は一瞬だけ黙り込み、そして唸るように言った。


「言ってみろ」


心臓が跳ねた。

許可が出た。今の一言で、診療所の空気が僅かに変わる。誰かが“指示を待つ側”になった。


アヤメは視界の数字を追った。クールタイムの秒。個々の術師に違う。回復の種類にも違う。だが共通していることがある。


——待てば通る。

待たずに押せば弾かれる。


「まず、回復は一人ずつです。担当を決めます。……同時に触らない」


「そんな悠長な——」

「同時に触ると、弾かれてゼロになります。……これ、ゼロより遅いです」


言い切ると、家族の罵声が一瞬止まる。

ゼロより遅い。痛いほど分かる言葉だ。


「次に、待ち時間を測ります。……砂時計、ありますか」


診療所の隅に、小さな砂時計が置かれていた。薬の調合時間を測るものだ。見習いが「これです!」と叫びながら持ってくる。


アヤメは砂時計を受け取り、逆さにした。さらさらと砂が落ちる。


「これを“回復の間隔”にします。短い方。砂が半分落ちたら次、って決める」

「……半分?」

「はい。秒数は人によって違う。だから、全部を正確に合わせるより、誰でも守れるルールにします」


治癒術師が鼻で笑いかけて、すぐに笑いを引っ込めた。笑っている場合じゃない。それでも、その反応は“理解”の兆しだ。


「そして、順番。並ばせます。重い人を先にします」


「重い人……?」

「倒れそうな人、息が浅い人、出血が止まらない人。……歩ける人は後。話せる人も後」


言葉を選ぶ。冷たくならないように。けれど、優しさだけでは人は死ぬ。


「トリアージだな……」


治癒術師が呟いた。聞いたことのある言葉だ。災害時の選別。診療所の者は知っている。だが普段は使わない。使いたくない。


アヤメは頷いた。


「名前は難しいですけど、やることは同じです。……全員を救うための並べ方」


治癒術師が歯を食いしばり、見習いに怒鳴った。


「おい! 入口に札を出せ! 歩ける者は右! 寝かせる者は左! 血が止まらないのは中へ!」

「は、はい!」


札が出され、人の流れが少しずつ変わる。

押し合いが、並び合いに変わる。

たったそれだけで、空気が少し軽くなるのが分かった。


だが、軽くなった分だけ、別の問題が浮かぶ。

“待つ”という時間の中で、人は不安に負ける。勝手に回復を求める。勝手に詠唱する。勝手に触る。


「回復しろ! 今すぐ!」

「私が先だ! 金なら払う!」


怒鳴り声が戻りかける。

アヤメは砂時計を持ち上げ、声を張った。


「待って! 今、回復は——押したら弾かれます!」


何人かが止まる。

何人かは止まらない。


治癒術師が、もう一度手を伸ばした。

赤が弾ける。


【Cooldown:12s】

【Rejected】


十二秒。

たった十二秒。

でもその十二秒を守れないと、ゼロになる。


アヤメは治癒術師の手首を、ぎりぎり触れない距離で止めるように指を差し出した。


「先生、今、十二……十一……十……。砂が半分落ちたら、いけます」

「……っ」


治癒術師が息を吸い、堪える。

数える。待つ。

そして砂が半分落ちた瞬間、ゆっくりと掌をかざした。


淡い光が走り、男の呼吸が少し深くなる。


「……通った」


治癒術師の声が震えた。

通った。たった一回の成功が、診療所全体に伝播する。人は成功に従う。


「順番だ! 順番を守れ!」

「砂時計が落ちるまで待て!」


見習いが叫び、衛兵が入口に立って槍の穂先を下げる。

“槍で押す”のではなく、“境界を作る”方向へ使い始めたのが分かった。槍が人を殺す道具になる前に、線になる。境界になる。


アヤメは息を吐いた。

まだ、地獄は終わっていない。終わっていないが、地獄の中に一本の道ができた。


その道を、広げる。


「次、役割を分けます」


アヤメは棚から布を取り、即席で腕章のように結んだ。赤い布切れ、黄色い布切れ、白い布切れ。市場の端切れだ。


「治癒班は赤。止血と固定は黄。水と布の補給は白。……自分の役割以外はやらない」


「役割以外はやらない……?」

「全部やろうとすると、全部遅れます。……今はそれが一番危険」


見習いの一人が、泣きそうな顔で頷いた。


「私、何をしていいか分からなくて……」

「分かる。……だから、決める」


アヤメはその見習いに白い布を渡した。


「あなたは白。水と布を切らさない。いちばん大事」

「……はい!」


役割が決まると、人は動ける。

動けると、恐怖が減る。

恐怖が減ると、無駄な要求が減り、帯域が戻る。回復が通る。——全部が繋がっている。


治癒術師が、診療台の上の男を見ながら言った。


「……お前、治癒はできないのに、よくここまで……」

「市場です。段取りは……得意です」


自分で言って、苦笑が出そうになった。得意、と言えるほど自信があったわけじゃない。けれど、今日だけは言える。自分の強みはここだ。


「じゃあ、段取り役を続けろ。俺は治す。……治すしかできん」

「治すのが、一番です」


言いながら、アヤメは診療所の隅に目をやった。

そこに、小さな子どもが座っている。抱きかかえる母親の腕が震え、子の足には深い切り傷。血がじわじわと滲み、布が赤く染まっている。


母親が叫ぶ。


「お願い! この子、足が……!」


治癒術師が振り向き、すぐに手を伸ばしかけて止まった。

アヤメの視界に数字。


【Cooldown:38s】


長い。

今すぐ回復を当てても、弾かれる可能性が高い。いや、弾かれる。

弾かれたら、その“次”がもっと遅れる。子どもが持たない。


アヤメの頭が一気に冷えた。

考えろ。観察。仮説。検証。

感情は後。今は原因究明に逃げる。それが自分の癖で、救いだ。


「黄! 止血!」


黄色の腕章をつけた見習いに叫ぶ。見習いが布と消毒粉を抱えて駆け寄る。


「母さん、足、見せて。……大丈夫、今は魔法じゃなくて布で止める」

「でも、血が——」


母親の顔が歪む。

その恐怖を、アヤメは知っている。言葉を選ぶ。


「魔法は今、順番待ち。待ってる間にできることをやる。……それが一番早い」


黄の見習いが傷口を押さえ、布で巻き、きつく縛る。

子どもが痛みに顔を歪める。


「痛い……」

「痛いよね。……でも、今止めないともっと痛くなる」


アヤメは子どもの視線の高さにしゃがみ、砂時計を見せた。

さらさら落ちる砂。


「これが半分落ちたら、魔法が通る。……だから、それまで一緒に数える」


子どもが涙を溜めた目で、こくりと頷いた。

母親の唇が震える。


「お願い……本当に……」

「……はい。……ログ取ってるから」


自分でも変な言葉だと思った。

でも、母親は“確かさ”を求めている。確かさは、今この世界では紙と数しかない。


治癒術師が、砂時計を見つめながら息を吸う。

彼の掌の上に、赤が微かにちらつく。


【Cooldown:19s】

【Cooldown:18s】


「……今、十八……」


アヤメが小さく数えると、治癒術師も唇を動かした。

同じ数字を共有する。それだけで、人は“待てる”。


十五、十四、十三——。


その途中、入口で怒号が上がった。


「ふざけるな! 待てるか!」

「並ぶのが嫌なら帰れ!」


衛兵と男が揉み合い、列が乱れそうになる。

乱れれば、診療所が詰まる。詰まれば、回復が落ちる。


アヤメは立ち上がり、喉が裂けるほど声を張った。


「今、回復は——順番が命です!」


誰もが一瞬、こちらを見る。

“命”という言葉は強い。強すぎる。けれど今は必要だった。


「順番を崩すと、回復が弾かれて、誰も助からない! それでもいいの!?」


男が黙る。

衛兵が槍を下げ、低く言った。


「聞いたな。順番だ。……命だ」


診療所の空気が、ぎりぎりのところで保たれた。

アヤメは砂時計の方へ戻る。

残り——五。


四、三、二。


「……今」


治癒術師が掌をかざす。

淡い光が子どもの足に染み込み、傷口の赤が薄くなる。布の下で、血が止まる感触が伝わってくる。


母親が、息を呑んだ。


「……止まった……」

「止まりました。……よかった」


アヤメの肩が、やっと落ちた。

心臓がやかましく鳴る。指先が冷たい。怖かった。怖いのは、毎回同じだ。失敗したら終わりだという怖さ。


でも、成功した。


成功は、次の成功を呼ぶ。

診療所の人たちが、砂時計と順番に従い始める。

怒鳴り声が減り、足音が落ち着く。回復の赤が減り、通る回復が増える。

“地獄”が“現場”に変わっていく。


アヤメは手帳を開き、短くまとめた。


“回復:クールタイム/連打禁止/順番制”

“砂時計=間隔”

“役割分担:治癒・止血・補給”

“入口:列”


書く。書けば、次に応用できる。

次の現場が来ても、手順を渡せる。


治癒術師が、ふらつきながらアヤメの横に来た。


「……助かった。俺たちは治すことしか頭になかった」

「治すのが仕事です。……でも、通らないときは通る形にするしかないです」


「お前、何者だ」

「ただの……見習いです」


言いながら、胸の奥が痛んだ。

ただの見習い。落ちこぼれ。

でも今日は、その“ただの見習い”が現場の命を繋いだ。誇っていいのか、怖くて分からない。


その時、視界の端がチカリと瞬いた。

透明な枠とは別の、薄い光。赤でも白でもない、妙に“おいで”と呼ぶような表示。


【取得可能:Token fragment(未登録)】


一瞬で消えた。

けれど、消える前に、確かに“場所”が示された気がした。診療所の奥——古い薬棚の裏、使われていない小さな祠のような壁の窪み。


アヤメの喉が鳴る。


トークン。鍵。権限。

断片。未登録。


「……なんだ、今の」


呟きは、誰にも聞こえなかった。

治癒術師は別の患者へ向かい、見習いたちは布を運び、衛兵は列を守る。診療所はまだ忙しい。忙しいのに、今この瞬間だけ、アヤメの世界が一段だけ静かになった。


“鍵”が、ここにある。


恐怖が、形を持ち始める。

形を持つなら、手順にできる。

手順にできるなら、触れる。


アヤメは手帳を閉じ、鉛筆を道具袋に戻した。

そして、奥の窪みを一度だけ見た。


「……ログ取ろ」


それは口癖じゃない。

“次の一手”を切るための、合図だった。

読んでいただきありがとうございます!


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