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第50話 固める(鍵を社会の形にする)

 保管棚の前は、静かすぎた。

 港の音が届かない。縄も荷車も呼び声も遠い。

 あるのは、薄い潮の匂いと、自分の呼吸だけ。


 静かな場所ほど、怖い。


 アヤメは棚の前に立ち、指を出さずに確認した。

 触らない。触ると、痕が増える。


「刻み、位置一致」

「蝋印、割れなし」

「札、破れなし」

「封印番号、一致」


 エドが紙に落としていく。

 ユウトが頷き、リオが小さく息を吐く。


 守れている。

 守れているのに――足りない。


 棚を見ていると、時々だけ薄い文字が浮かんだ。

 まぶしい光じゃない。濡れた石に残る白い跡みたいな、控えめな表示。


【Maintenance key: 2/3】

【Access: denied】


 拒否。

 拒否、拒否、拒否。


 鍵が足りない。

 足りないから通らない。

 通らないから、何もできない。


 なのに、港の暮らしだけは待ってくれない。


「……二つ、揃ってるのにね」


 リオが棚を見たまま呟いた。


「揃ってる“途中”って、一番落ち着かない」


 アヤメは言って、自分でも苦笑した。

 鍵が二つあると、“あと一つ”が見えてしまう。

 見えると、人は焦る。


 ガンゾが背後で腕を組んだまま言った。


「揃うまで守る。それは分かる」


 そこで言葉が切れる。

 ガンゾはこういうとき、次を落とす。


「だが、揃った瞬間に揉める」


 揉める。

 その二文字が重い。


 鍵が揃う。

 すると、欲しい人が増える。触りたい人が増える。声が増える。

 口が増えれば、混ざる。


(口が増えるほど、混ざる)


 アヤメは棚から視線を外し、机の上の紙束を見た。

 今日の紙は厚くしない。短くする。


「鍵そのものより先に、作るものがあります」


 リオが顔を上げる。


「なに?」


 アヤメは迷わず言った。


「鍵を扱う制度です」


 ユウトが一歩寄った。

 “制度”という単語に反応する。真面目な人の反応だ。


「制度……って、役所みたいな?」


「役所みたいにする、じゃない」


 アヤメは首を振った。


「現場が困らない形にする」


 エドが筆を止めた。

 止まったということは、ここが大事だ。


「触れる人を増やさない」


 アヤメは続ける。


「触れない形を増やす。触れるときだけ、手順で挟む」


 言いながら、紙を一枚出した。

 タイトルは短く。太く。


『開封は三条件(短い)』


 それだけで、場の背筋が少し伸びる。

 条件は守りの形だ。


 アヤメは一行ずつ読み上げた。


「立会い三名」

「時刻記録」

「二重封印の照合」


 短い。分かる。迷いがない。

 そして、誰でも同じ動きができる。


 リオが頷いた。


「立会いは、現場だけ?」


「現場と役所を混ぜる」


 アヤメは即答した。


「三名の内訳は固定しない。でも偏らせない。片方だけじゃ開けられない形にする」


 ユウトが確認する。


「時刻記録は紙で?」


「紙で。誰でも読める形で」


 アヤメは頷く。


「一枚だけじゃなく写しも残す。写しは別の場所へ。後から消せないように」


 エドが、紙の束を大事そうに整えた。

 紙が増えると落ち着く人の手だ。


「照合は刻みと蝋と札?」


「全部。ひとつでも違ったら止める」


 アヤメは言い切った。


「止めたら戻る」


 その言葉が場に落ちる。

 止める。戻る。

 港の合言葉になりつつある。


 そこへ、硬い靴音が入った。

 役所の音だ。


 担当の男が詰所へ入ってくる。

 眉が固い。声も固い。


「……勝手に決めるな」


 第一声がそれだった。

 空気がまた硬くなる。


 リオが半歩前へ出る。

 怒鳴らない。でも引かない。いちばん厄介な強さだ。


「勝手じゃない。現場の安全手順です」


「安全手順は役所が決める」


 男は正しい顔で言う。

 正しい顔は、現場を止める。


 アヤメはすぐに噛みつかない。

 ここで噛みついたら、混ざる。混ざったら終わる。


 だから、言葉を変える。


「権限の話じゃありません」


 アヤメは静かに言った。


「責任の話です」


 男の眉が動く。

 “権限”なら争いになる。

 “責任”なら仕事になる。


「責任?」


「はい」


 アヤメは紙を指で軽く叩いた。合図の強さで。


「開けたら、事故が起きるかもしれない」


「だから、開ける条件を先に揃える。揃わないなら開けない」


 男が言い返そうとする、その前に。

 アヤメはもう一段だけ噛み砕いた。


「触れる人を増やすんじゃないです」


「触れない形を増やします」


 静かに言い切る。

 その言葉は、役所にも安心な形だった。


 リオが続ける。


「うちがやりたいのは、勝手に開けることじゃない」


「勝手に開けられないようにすることです」


 男は唇を噛んだ。

 嫌そうだ。でも否定しづらい顔でもある。


 そこへ、外から別の声が入った。


「混乱が減るなら協力するよ」


 診療所の女だ。

 代表たちは詰所の外で待っていたらしい。


「患者がいるの。港が止まると困る。止まらないなら、それが一番いい」


 整備の男も頷く。


「記録なら出せる。点検表は元からある。時刻も残せる」


 学舎の先生も手を上げた。


「掲示なら手伝えます。短い紙なら、たくさん貼れます」


 合意が増える。

 でも“触る人”が増える合意じゃない。

 “守る人”が増える合意だ。


 役所担当の男は、少しだけ肩を落とした。


「……分かった。勝手に開けないなら、いい」


 言い方は渋い。

 でも「いい」が出た。

 それで十分だった。


 アヤメはすぐに掲示用の紙を作る。

 “いい”が出た瞬間が一番危ない。油断が入るから、先に形にする。


 紙は短く。誰でも読める形で。


『開封は三条件』

・立会い三名

・時刻記録

・二重封印の照合

『一つでも欠けたら止める』


 アヤメは言った。


「これを貼ります。詰所、回収口、診療所、学舎」


 学舎の先生が頷く。


「書き写して増やします。字の癖も揃えますね」


 整備の男が笑った。


「字の癖まで?」


「癖が揃うと、偽物が浮きます」


 アヤメは真顔で返した。


 診療所の女が笑う。


「確かに。変な癖って目立つもんね」


 笑いが出る。

 笑いは、安心の音だ。


 ガンゾが入口で腕を組み直した。


「で、立会いは誰がやる」


 アヤメは即答する。


「毎回決める。固定しない。固定すると狙われます」


 ユウトが頷いた。


「立会い表を作りましょう。偏らないように」


 エドがすぐ紙を出す。


「組み合わせも記録します。写しも残します」


 紙が増える。

 手順が増える。

 でも箱は増えない。入口は増えない。


 詰所の壁に紙が貼られた。

 回収口の掲示板にも貼られた。

 診療所の入口にも貼られた。

 学舎の玄関にも貼られた。


 同じ文字。

 同じ内容。

 同じ動き。


 港が少しずつ“同じ”になっていく。

 同じになれば、混ざりにくくなる。


 夕方。

 アヤメはもう一度、保管棚の前に立った。


 封は割れていない。

 刻みは揃っている。

 札も残っている。


 足元に、また薄い表示が浮かぶ。


【Maintenance key: 2/3】

【Access: denied】


 拒否。

 拒否は続く。


 でも今日の拒否は、昨日より怖くなかった。


(鍵が足りないなら、足りないまま守れる形にする)


 そこで、アヤメはふと気づいた。


 自分がやっているのは、派手な魔法じゃない。

 敵を倒す力でもない。

 世界を動かす呪文でもない。


 紙を貼って、声を揃えて、手順を作っているだけだ。


 それなのに、港は少しずつ助かっている。


 アヤメは棚の前で、小さく呟いた。


「……私、魔法じゃなくて運用してる」


 隣でリオが笑った。


「それ、強いんじゃない?」


「強いのは、みんなの手順」


 アヤメは首を振る。


 そして胸の奥で、今日の方針をもう一度だけ繰り返した。


「鍵は、持つより“扱い方”が先」


 棚は相変わらず黙っていた。

 でもその黙りは、港の味方になっていた。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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