第49話 絞る(口が増えるほど混ざる)
港の詰所には、椅子が足りなかった。
縄も、手も、時間も足りない港で、椅子だけ足りている日なんてない。
今日はそこに、“余裕”まで足りなかった。
荷役の代表。
診療所の代表。
整備の代表。
学舎の代表。
四つの現場が同じ机を囲むと、空気の色が変わる。
匂いが違う。言葉が違う。困りごとも違う。
そして、だいたい最初から機嫌が悪い。
「で、何の集まりだ」
荷役の親方が言う。声が太くて短い。
忙しい時間を削って来た人の声だ。
「回収が止まると困るんだよ」
診療所の女が続けた。指先が薬草の匂いを持っている。
「壊れたら直すのはこっちだ。現場を増やすなよ」
整備の男が眉を寄せる。油の匂いがする。
「学舎の子たち、巻き込まれてるんです」
学舎の先生が最後に言った。小さい声が一番刺さる。
アヤメは机の前に立ち、紙を一枚だけ置いた。
分厚い資料は持ってこない。会議を長くしないためだ。
エドが端で筆を構え、リオは壁際で腕を組む。
ガンゾは入口に立ち、レイは――見えない場所にいる。見えないのが仕事だ。
アヤメは息を一つだけ吸って言った。
「結論だけ言います」
それだけで、全員の目が集まった。
港で一番信じられる言葉は、結論だ。
「口は二つのままです」
一瞬、沈黙。
次に、反発がまとめて来た。
「は?」
「増やさねえのか?」
「並ぶだろ!」
椅子が鳴る。机が揺れる。
忙しい人は、並ぶのが嫌いだ。待つのが嫌いだ。
アヤメは頷く。否定しない。
否定すると、意地が残る。
「増やしません。増やすと混ざります」
短く。
説明は長くしない。長い説明は言い訳に聞こえる。
「混ざるって、そんなに困るのか」
親方が言う。
「混ざったら戻せません」
アヤメが即答する。
「戻せないと困るのは、こっちだ」
診療所の女が吐き捨てる。正しい。
「だから、口を増やしません」
アヤメは同じ言葉を繰り返した。
繰り返しは押しつけじゃない。現場の固定だ。
整備の男が腕を組む。
「じゃあ、どうする」
アヤメは紙の下に、もう一行だけ書いた。
「時間帯で分けます」
「時間帯?」
学舎の先生が眉を上げた。
「受け取りの時間を分ける。混ぜないために」
アヤメは現場の言葉に落とす。
「朝は荷役。昼は診療所。夕方は整備。夜は学舎」
「差別じゃねえか」
親方がすぐ噛みつく。
「差別じゃない。混ぜないだけです」
アヤメは折れずに返す。短く。
「同じ時間に同じ箱へ入れると列が伸びます。列が伸びると触る人が増えます」
指を一本、立てる。
「触る人が増えると、事故が増えます」
もう一本。
「事故が増えると、止める回数が増えます」
もう一本。
「止める回数が増えると、もっと遅くなります」
親方が舌打ちした。
でも計算が合っている顔になっている。港の人は計算が速い。
「遅いのは嫌だ」
診療所の女が言う。
嫌なのも本当だ。困ってるのも本当だ。
アヤメは、言い方を少しだけ変えた。
「遅いほうが安全です」
ざわっと空気が動く。
笑われそうな空気。怒られそうな空気。
アヤメは、笑われる前に続ける。
「急ぐと混ざる。混ざると全部止まる」
短い言葉で繋げる。頭じゃなく腹に落とす。
「遅いほうが安全。安全だと止まらない。止まらないほうが結果的に早い」
整備の男が、低く言った。
「……止まらないほうが早い、か」
「はい」
アヤメは頷く。ここが入れば勝ちだ。
次にアヤメは、誰でも貼れる紙を出した。
説明は最小。日付と時間だけ。
『今日の受け取り時間(短い)』
・朝:荷役
・昼:診療所
・夕:整備
・夜:学舎
『混ぜない』
学舎の先生が紙を手に取る。
「これ、誰でも貼れますね」
「貼れる形にします。貼る人が増えると、守る人が増える」
親方が鼻で笑った。
「紙で人が動くかよ」
アヤメは静かに言った。
「動きます。動かない人は止めます」
入口のガンゾが無言で頷く。
その無言が、一番効いた。
アヤメは次の話へ移る。
「受領印を強くします」
リオが今の印を見せた。普通の丸印だ。
アヤメは言い切る。
「印がない袋は、箱に入りません」
「困る人が出る」
診療所の女が眉を寄せる。
「困る人は、印をもらえばいい」
「並ぶじゃない」
「並びます」
アヤメは即答した。
並ぶのは悪じゃない。混ざるのが悪だ。
アヤメは新しい印の形を描く。
丸を三つ。間隔はわざとずらす。
「三点です。間隔を一定にしない」
整備の男が覗き込む。
「真似しにくいってことか」
「はい。近い、近い、遠い。真似しにくい」
親方がため息をついた。
「……また面倒を増やす気か」
「面倒を増やして混ぜにくくします」
アヤメは淡々と言った。面倒は盾だ。
会議の空気が少し落ち着いた。
反対が消えたわけじゃない。でも話が通じる空気になった。
学舎の先生が手を上げる。
「勝手回収の噂が出てます。裏通りです」
診療所の女も頷いた。
「夜に袋を集めてるって」
整備の男が舌打ちする。
「入口が増えてるじゃねえか」
アヤメは頷く。
「だから潰します」
短く言って、見えないレイの方へ視線を投げる。
見えないまま、仕事が決まる。
「見張りを置きます。勝手口を潰す」
親方が唸った。
「成果は出るのか」
アヤメは、今日一番短い答えを返した。
「出ます」
そして理由を一つだけ置く。
「列が分散します。触る人が減ります。袋が汚れません」
診療所の女が頷く。
「汚れが減るのは助かる」
整備の男も続ける。
「封が割れにくいなら、直す手間が減る」
親方が渋い顔のまま言った。
「荷役は朝だけでいいのか」
「朝が一番強い時間です」
アヤメは答える。
「港が動き出す時間。流れを作る時間。そこを太くします」
学舎の先生が少し笑った。
「太くする……なるほど」
アヤメは紙の一番下に書いた。
決め台詞じゃない。方針だ。
『増やさない。太くする』
会議が終わる頃、外の列が少しずつ分かれ始めていた。
受け取り時間が貼られ、流れができる。札も汚れにくい。
誰かがぼそっと言った。
「……手順のほうが楽だな」
別の誰かが返す。
「間違いが減るからな」
アヤメは聞こえないふりをしなかった。
聞こえたなら、胸の奥に置く。
(楽になるなら、続く)
続けば、守れる。
守れれば、港は回る。
アヤメは掲示板を見上げ、もう一度だけ呟いた。
「増やさない。太くする」
その言葉は、港の音の中に、ちゃんと残った。
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