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第48話 移す(没収より先に封じる)

 港の空気が、少しだけ硬い。

 潮の匂いは同じなのに、人の呼吸だけが浅くなっている。


 回収口の列は整っていた。

 受領印が押され、袋は比較台へ運ばれ、番号順に並ぶ。

 止めるときは止め、戻すときは戻す。


 流れができた。

 だからこそ――壊しに来る。


 詰所の入口に、黒い外套が二つ現れた。

 MASK。今日は距離が近い。遠巻きじゃない。わざとだ。


 先に立つのは背の高い方、M-02。

 言葉が短い。短い言葉で人を動かすタイプ。


 もう一人、少し後ろ、M-01。

 目が動く。条件を探す目だ。


 アヤメは鉛筆を握ったまま、立ち上がらない。

 立てば相手の場になる。

 座ったまま、紙の端を指で押さえる。風でめくれないように。


 リオが半歩前へ出た。

 前へ出る顔をしている。怖いのに、出る顔だ。


「……何の用ですか」


 リオの声が落ちると、M-02が迷いなく言った。


「危険物を押収する」


 空気が凍った。

 列の視線が一斉に集まる。


 “押収”という言葉は強い。撤回しにくい強さがある。

 その強さで、現場を止めようとしている。


 アヤメの足元に、薄い表示が一瞬浮いた気がした。

 でも見ない。見たら焦る。焦れば乱れる。


 リオがすぐ返す。短く、手順で。


「押収するなら、移送手順で」


 M-02の目がわずかに細くなる。嫌がっている。

 手順が嫌いだ。嫌いでも、避けられない形にする。


 リオは続ける。勢いじゃない。項目を並べるだけ。


「封印番号」

「立会い」

「移送先」

「保管者」

「照合手順」


 言った瞬間、エドの筆が紙を走った。

 言葉が紙になると、逃げ道が減る。


 M-02は言い返さない。

 代わりにM-01が一歩前へ出た。


「危険物の隔離は必要だ。だが現場の混乱も避けたい」


 落としどころを探す声。

 強く押すより、条件で動かす気配。


 アヤメはここで口を開いた。

 翻訳役の仕事は、相手を怒らせずに現場を守ること。


「押収って言われると、没収に聞こえます」


 言葉を柔らかくする。

 折らずに、曲げる。


「でも、いま必要なのは罰じゃなくて保全です」


 リオが一瞬だけアヤメを見る。

 その目で伝わる。言っていい。今だ。


 アヤメは紙に一行書き、掲げた。現場語の盾。


『押収=没収じゃない』

『移送=保全』


 列の空気が少しだけ動く。

 怖さが薄れる。怖さは言葉で増えるから、言葉で減らせる。


 M-02が低い声を落とす。


「言い換えは不要だ。危険物は危険物だ」


 正しい。硬い。

 硬い正しさは、人の手を止める。


 だからアヤメは、正しさを折らずに形を足した。


「危険物だから、移送します」


 押収と言わない。

 移送と言う。

 相手の目的と、自分の守りを同じ箱に入れる。


 M-01が小さく頷く。


「共同保管ならどうだ」


 その言葉が落ちた瞬間、場が動いた。


 共同保管。

 片方が全部持つ形じゃない。奪われる形じゃない。


 アヤメはすぐ条件を置いた。手順の形で。


「鍵は二者で管理」


 ユウトが頷き、すぐ口を挟む。


「役所側と現場側」


「そう。どちらか一つじゃ開かない」


 アヤメは続ける。


「開けるときは監査席が必要です。立会いが揃わないと開けない」


 M-02が鼻で笑った。


「面倒だな」


 アヤメは笑わない。

 その面倒が盾になる。


「面倒が必要です。面倒がないと、痕が消えます」


 M-01の目が細くなる。


「痕?」


「開けた痕が残る形にします」


 アヤメは保管棚の方を見た。

 棚はある。でも共同保管には足りない。“ただの棚”だ。


「棚を作り直します」


 トウマが青い顔で寄ってくる。


「い、今からですか……?」


「今から。大きくは変えない。痕が残るようにするだけ」


 蝋。札。刻み用の小さな刃。紐。釘。

 必要なものだけ出す。


 ガンゾが腕を組んで言う。


「刻むのか」


「刻む。棚札も強くする。番号札も増やす。封も増やす」


 増やす。増やす。

 箱は増やさない。

 でも痕は増やす。


 アヤメは棚の扉の縁に、小さな刻みを入れた。

 浅く、でも確実に。深すぎると壊れる。


「ここに刻み。ここにも刻み。並びを記録」


 エドがすぐ紙に描く。刻みの位置、数、向き。

 トウマが札を貼り、蝋を垂らし、印を押す。


 棚札の横にも同じ番号。

 扉の縁にも札。

 開けたら、必ずどこかが壊れる。


「開けたら痕が残ります」


 アヤメは声に出す。


「刻みがずれます。蝋が割れます。札が破れます」


 誰でも判断できる言葉にする。

 判断がそろえば、嘘が減る。


 M-02が小さく息を吐いた。


「……分かった。共同保管でいい」


 勝ちじゃない。

 でも負けでもない。奪われない形になった。


 アヤメはすぐ次へ進む。油断が一番危ない。


「移送します」


 反応袋――欠片候補の封印袋を、二重封印袋ごと運ぶ。

 開けない。触れない。袋ごと。


「立会いを増やします」


 リオ、エド、ユウト、トウマ、ガンゾ。

 MASK側はM-01とM-02。

 七人。多いほど逃げ道が減る。


「移送ルート、最短」


 アヤメは紙に線を引いた。

 詰所から保管棚まで。曲がる角は二つだけ。


「中継なし。寄り道なし。渡し替えなし」


 ユウトが頷く。


「中継禁止、了解」


 荷車は使わない。揺れる。擦れる。余計な痕が増える。

 トウマが袋を胸の前で固定する。両腕。片手にしない。


「行く」


 ガンゾが一歩前へ出た。


「道を空けろ。触るな」


 港が割れる。人が左右へ寄る。

 視線が刺さる。刺さるだけなら問題ない。触られなければいい。


 その途中で、わざとらしい人混みが作られた。

 荷が落ちる。声が上がる。怒鳴り声が混ざる。


「こっち通れない!」

「遠回りしろ!」

「こっちが早い!」


 誘いだ。

 遠回りをさせて角を増やす。角が増えるほど手が入る。


 アヤメは立ち止まらない。

 止まれば袋が揺れる。人が寄る。言葉が混ざる。


 アヤメは紙を一枚掲げた。現場語の盾。


『寄り道しない』


 それだけで十分だった。

 ガンゾが低い声で重ねる。


「最短だ。どけ」


 人混みが割れる。

 不満の声が出る。でも声は混ざらない。手だけが混ざらなければいい。


 保管棚の前に着く。


 刻みは同じ。

 蝋印も同じ。

 札も同じ。

 番号も同じ。


「照合」


 アヤメが言う。


「刻み、位置一致」

「蝋印、割れなし」

「札、破れなし」

「封印番号、一致」


 エドが紙に落とす。

 ユウトが頷く。

 M-01が静かに見ている。

 M-02は黙ったまま腕を組んでいる。


 トウマが袋を棚へ入れる。袋ごと。

 棚を閉める。封をする。蝋を垂らす。印を押す。札を貼る。


 封が二重に残った。

 刻みも残った。

 番号も残った。

 紙も残った。


 アヤメは一歩引いて棚を見た。

 ただの棚が、“開けたら痕が残る箱”になった。


 M-02が低い声を落とす。


「これで満足か」


 アヤメは首を振らない。頷かない。

 代わりに現場の言葉で返す。


「満足じゃないです。必要です」


 そして小さく続けた。


「奪うなら、まず“痕”を消さないといけない」


 痕を消すのは難しい。

 難しいことをさせる。

 それが守りになる。


 港の空気が、少しだけ戻った。

 硬さは残る。けれど流れは折れていない。


 今日も手順が勝った。

 派手じゃない勝ち方で。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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