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第47話 止める(混ざったら終わる)

 港の朝は、いつも同じ音で回っている。

 縄が擦れる音。荷車の軋み。呼び声。波の音。


 同じ音が多いほど、ひとつの異音は紛れる。

 紛れた異音は、後から刺さる。


「……待って」


 回収口の前で、リオが足を止めた。

 列は動いている。袋は手から手へ渡っていく。いつも通りの流れ。


 なのにリオの目だけが、ひとつの場所に縫い付いた。


 回収箱の封。

 蝋印のすぐ横。木の縁。


 浅い線が一本、走っている。


 蝋印は割れていない。欠けてもいない。

 でも、縁だけが擦られている。爪で撫でたくなるほど細い傷だ。


 アヤメの背中が冷えた。


(擦った……試した……?)


 封は割らず、封の外側だけを探る。

 その手つきは、やり方を知っている。


 リオが息を吸って、言い切った。


「……止める」


 その一言で、回収口の空気が変わった。


 リオは箱の前に立ち、両手を軽く上げた。

 港の合図。ここから先は進めない。


「回収、一時停止します!」


 声は震えていない。

 でも、重い。止める判断の重さが乗っている。


「は? なんで?」

「ちょっと待って、急いでるんだけど!」

「並んでるのに止めるの!?」


 列がざわつく。ざわつきはすぐ怒りになる。港の怒りは正直だ。


 ガンゾが前に出た。

 背中ひとつで、空気が落ちる。


「下がれ。触るな」


 短い命令が落ちる。

 人が半歩下がった。前に出かけた手も止まる。


 アヤメはリオの横に立ち、箱を見た。

 浅い傷。浅いほど怖い。わざと残せる傷だ。


「手順で確認する」


 アヤメが言うと、エドが紙を出した。

 ユウトも立会いの位置に入る。誰も勝手に動かない。


「時刻、九時三十二分」


 エドの筆が走る。


 アヤメは言葉を短く揃える。


「状況。回収箱の封。蝋印は割れなし。縁に擦り痕あり」


 声に出す。

 声に出すと、現場がそろう。勝手な判断が減る。


 アヤメは箱の外側を見る。触らない。見るだけ。

 縁には小さな印が三つある。


 近い。近い。遠い。

 木目に沿って刻まれた、向きの目印。


「印、照合」


 アヤメが言う。


 リオがしゃがみ、目で追う。


「近い、近い……遠い」


 ユウトも覗き込んで頷いた。


「一致してます」


 ガンゾが低く言った。


「向きは変わってない」


 アヤメは蝋印を見直す。

 割れていない。欠けてもいない。

 “開けた”痕跡はない。


 けれど、縁の傷だけが残っている。


(触った。でも、開けてない)


 それが一番嫌だ。

 できる手は、できるところまで試してくる。


 列の中から、荒い声が飛んだ。


「おい、いつまで止めるんだよ!」

「困るんだけど!」

「急いでるって言ってんだろ!」


 怒りは本物だ。困っているのも本物だ。

 だからこそ、こちらも短く返す。


 アヤメは列を見て言った。


「混ざったら終わる」


 それだけ。

 説教しない。言い訳しない。


「混ざったら、誰の袋か分からなくなる」

「分からなくなったら、戻せない」

「戻せないなら、全部止まる」


 短く、短く。

 同じ言葉を繰り返す。


「混ざったら終わる」


 列の先頭の女が眉をしかめたまま口を閉じた。

 納得はしていない。でも“理由”は通った顔だ。


 ガンゾが追い打ちを一つだけ落とす。


「止めるのは、今だけじゃない。壊れたら全部止まる」


 “全部”が効いた。港の人間は、全部が止まるのが一番嫌いだ。


 アヤメは頭の中で分岐を並べる。

 迷っているふりはしない。迷いは隙になる。


(真似跡なら箱を交換。旧箱は封印して保管)

(擦れなら封を追加して再開)

(どちらでも“止めた事実”を残す)


 アヤメはリオと視線を合わせた。

 リオが頷く。決めた顔だ。


 端の影が動いた。レイが静かに寄ってくる。


「端に……擦った手、いた」


「追った?」


「追ってない」


 レイは即答した。


「追うと、流れが壊れる」


 それでいい。

 追えば列が崩れる。誰かが触る。混ざる入口が増える。

 勝ちたいなら、追わない。


 アヤメは頷き、エドに言った。


「報告を記録。『擦り手らしき者あり、追跡せず』」


「はい」


 エドが紙に落とす。紙は味方だ。残れば嘘が減る。


 アヤメは傷をもう一度見た。

 浅く、細く、わざとらしい。


(試した痕の可能性が高い)


 アヤメは迷いなく言った。


「箱、交換します」


「え?」と列がざわつく。

 リオが前に出て、短く続ける。


「交換します。旧箱は無効。触らないでください」


 ユウトがすぐ動いた。見回りを呼ぶ。

 新しい箱が運ばれてくる。空の箱、新しい封、新しい札。


 アヤメは手順を声に出す。


「旧箱、封印。立会い、リオ、ユウト、エド」


「時刻、九時三十六分」


 エドの筆が止まらない。


 旧箱は開けない。

 開けると中身が揺れる。揺れると混ざる。

 だから箱ごと封印する。


 封を追加する。蝋を垂らす。印を押す。札を貼る。番号を書く。

 箱の縁にも札を貼る。『触るな』の札だ。


「旧箱は保管棚へ」


 ガンゾが頷き、男たちが箱を持ち上げた。

 重いのは中身じゃない。責任だ。


 新しい箱が回収口に据えられる。

 向きをそろえる。印を確認する。封をする。署名を取る。


 アヤメは最後に掲示板へ向かった。

 今日のことは今日のうちに現場へ落とす。


 紙を一枚増やす。短く。


『封が割れたら止める』

『止めたら戻る』


 リオがそれを見て、頷いた。


「止めるって、戻るってことだよね」


「そう。止めないと、戻れなくなる」


 列の人たちが掲示を見る。

 不満の顔は残っている。けれど声は落ちてきた。


 リオが宣言する。


「再開します。受領印を押します。順番で」


 列が動き出す。

 袋が渡される。印が押される。比較台へ運ばれる。番号順に並ぶ。

 流れが戻る。


 止めたことで混乱は一度上がった。

 でも、止めたから落ちる。


 アヤメは新しい封を見つめた。

 新しい蝋はきれいで、光を吸っている。


 その“きれい”を長く続けるために、止める。


 アヤメは小さく呟いた。


「止めるのは、守るため」


 その言葉は、自分に言った言葉だった。

 けれど港の音の中で、確かに残った。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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