第46話 守る(箱を増やさない)
港の朝は、噂の足が速い。
波より速くて、荷車よりうるさい。
「詰所の箱、光ったってさ」
「反応が出たって」
「だったら、こっちにも箱を置けよ。遠いんだよ」
回収口の前に、人が寄り始めていた。
声が重なると、正しさみたいな顔になる。怖い顔だ。
アヤメは詰所の入口から回収口を見た。
回収口は二つ。箱も二つ。封も二つ。
並ぶ。文句も出る。
でも――混ざる入口は二つだけだ。
(箱を増やすと、混ざる)
入口が増える。
袋が増える。
札が読みにくくなる。
そして「違う袋」が混ざる。
混ざった瞬間から、港は負ける。
「ここにも置けって言ってるだろ!」
腕の太い男が、顔を赤くして怒鳴った。
並ぶのが嫌。待つのが嫌。そういう人は必ずいる。
「こっちの通り、遠いんだよ!」
「臨時で置けばいいじゃん!」
「俺がやるよ!」
軽い声が続く。善意みたいな声。
その善意が、一番怖い。
若い男が空き箱を引きずってきた。
臨時回収。勝手な入口。
(いちばん危ないやつ)
アヤメが動くより先に、端の影が動いた。
レイだ。
レイは怒鳴らない。殴らない。
ただ、男の進路に静かに立った。
「……そこ、通れない」
「邪魔すんなよ」
「邪魔じゃない。止めてる」
男が眉をつり上げる。箱を握る手が雑になる。
雑になれば事故が増える。
そこで、港の声が落ちた。
「おい」
ガンゾだ。
短い一声だけで、空気が止まった。
ガンゾは詰所の前に立ち、回収口全体を見渡した。
「回収口は二つ以外、無効だ」
短い。強い。
現場は、短い言葉で決まる。
「無効ってなんだよ!」
「無効は無効だ。受けない。触らない。置くな」
ガンゾは掲示板を指した。
アヤメはそこへ歩き、紙を貼り替えた。
短く、太く。
『回収口は二つだけ』
それだけでは足りない。
だから一行だけ増やす。現場の言葉で。
『増やすと混ざる』
誰にでも分かる。余計な説明がいらない。
「大げさだ!」
男が吐き捨てる。
アヤメは怒鳴らず、淡々と返した。
「大げさじゃないです。混ざったら戻せません」
その一言で、空気が変わった。
“戻せない”は港に刺さる。
列が少しずつ形になる。
不満は残る。でも、形になる。
――そのとき。
列の横、荷箱の影で、手が動いた。
水桶を抱えた男が、封印袋に近づいていた。
(汚す気だ)
水がかかれば札が読みにくくなる。
蝋が濡れれば欠けやすくなる。
欠けたら「最初から欠けてた」が言える。
「待って!」
アヤメは声を上げた。
叫ぶのは負けだ。でも、これは叫ばないと間に合わない。
「水で洗わないで!」
男が止まる。
桶の縁から一滴落ちて、石を濡らした。
「汚れてんだろ! 洗ってやるだけだ!」
「勝手に洗うと、受け取れなくなります!」
アヤメは一歩前に出て言った。分かる言葉で、短く。
「濡れると札がにじみます。蝋が弱くなります。封が割れたら無効です」
「……は?」
「封が割れてないことが一番大事です」
男の顔が曇る。
周りの人も、手を止めた。
ガンゾが低く付け足す。
「勝手な親切は、混ぜる親切だ」
誰かが苦笑した。緊張が少し抜ける。
それで十分だ。戻ればいい。
アヤメは次の手順を、すぐに足した。
袋に触る妨害が来るなら、袋の外で守る。
「受領印を追加します」
掲示板の横に、新しい紙を貼った。
『受領印がない袋は受け取らない』
リオが目を丸くした。
「受領印って……押すの?」
「押す。番号札の横。目立つ場所」
「でも数が多いと……」
「数が多いから、必要」
アヤメは言い切った。
「印がない袋は入口で止まる。止まれば混ざりにくい」
ユウトが頷いた。
「見回り側で押します。立会いも入れます」
「ありがとう」
アヤメは礼を言い、詰所の中へ戻った。
短い台を作る。
木の板を二枚並べただけの簡単な台だ。
「比較台、作る」
リオが手伝いながら首をかしげる。
「比較……?」
「袋を番号順に並べる台」
アヤメは指で場所を示した。
「ここに置く。番号順に並べる。変な順番がすぐ見える。それだけで混ざりにくい」
エドが紙を持ってくる。
「番号表、作りました。貼ります」
「うん。お願い」
番号表があると目が揃う。
目が揃うと嘘が減る。
比較台の上に、受領印のある袋が番号順に並んでいく。
列ができる。列ができると落ち着く人が増える。
反対派は少しずつ減っていった。
列は不満も生む。
でも、混乱を減らす。
列の後ろで、誰かが小さく言った。
「並ぶの、嫌だな……」
アヤメは聞こえないふりをしなかった。
聞こえたなら返す。現場の言葉で。
「並ぶのは、勝つためだ」
リオがその言葉で少し笑った。
ガンゾが鼻で笑い、レイは影に戻った。
港の朝は騒がしいままだ。
けれど、混ざりそうな騒がしさではなくなっていた。
箱は増やさない。
入口を増やさない。
面倒を増やして守る。
それが今日の勝ち方だ。
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