第44話 板が息をする(開けない接続)
港の裏手は、昼でも冷える。
潮の匂いは薄く、石が冷たく、足音がよく響く。
「……ここだ」
ガンゾが立ち止まった。
三本の道がぶつかって、ひとつになる場所。人が自然に集まるから、昔から“合流点”と呼ばれている。
壁際に、金属の板が埋め込まれていた。
板というより、厚いふたに近い。角は丸く削られ、周りの石とぴったり噛み合っている。
誰かがこじ開けた傷はない。最初から「開けさせない」作りだ。
アヤメは息を整えた。
今日は立会いを多くした。言い逃れを減らすためだ。あとで揉めないためだ。
隣にリオ。
少し後ろにエド。
横にガンゾ。
そして保管棚を扱う係のトウマが、封印袋を抱えている。
「立会い、これで五人だな」
トウマの声は硬い。普段は棚番号と封の状態だけを見る人だ。だから余計な想像をしない。こういう場では逆に強い。
アヤメは紙を取り出した。
風でめくれないよう、エドが端を押さえてくれる。
「やること、確認する」
声に出す。声に出すと、頭がそろう。
「近づけるだけ。封印は開けない。触らない。板にも触らない。見て、記録して、帰る」
「……追わないってことだな」
ガンゾが短く言った。
「追わない。今日は“見る日”」
アヤメは言い切った。追えば相手の土俵になる。
知りたいのは、板がどう反応するか。それだけだ。
ガンゾは周りを見回し、低い声で言う。
「人は少ない。だがゼロじゃない。話は小さく」
アヤメは頷いた。
「手順、開始」
トウマが封印袋を胸の前に構えた。小さな袋なのに、持つ腕が重そうに見える。中身より、責任が重い。
「まず確認」
アヤメは紙に目を落としながら、ひとつずつ声に出して揃える。
「時刻」
エドが懐の時計を見る。
「十一時四分」
リオも自分の時計を見て頷いた。
「同じ」
「場所」
「合流点。板の前」トウマが言う。
「立会い」
アヤメは一人ずつ名前を読み上げた。リオ、エド、ガンゾ、トウマ、アヤメ。
全員が頷く。
「封印番号」
トウマが札を掲げる。
アヤメは数字をそのまま書いた。省かない。崩さない。ここで雑にすると後で揉める。
「封の状態」
ガンゾが一歩だけ近づき、距離を保ったまま覗き込む。
「割れてない。ヒビもない」
リオとエドも確認し、頷いた。
「よし。じゃあ――近づける」
トウマがゆっくり歩いた。
板から半歩。
それ以上は行かない。近づけるのは袋であって、手じゃない。
その瞬間だった。
金属板が――息をしたように見えた。
動いたわけじゃない。
でも、表面の光がふっと変わった。冷たい金属が、ほんの少しだけ“生きた”みたいに。
アヤメの視界に、英語の文字が浮いた。
【Status: unlockable】
【Requirement: 3/3】
短い。説明はない。
なのに、胸の奥がきゅっと縮む。
(開けられる状態。条件は……三つ全部)
アヤメは声に出さない。噂にしない。
紙に、出たままの文字を書き写す。
「見えた?」とリオが小声で聞く。
「うん。短いのが出た」
それだけ答える。
エドが唾を飲む音がした。
板の光が、もう一度だけ揺れた。
今度は、文字の下に“別の行”が一瞬だけ見えた。
事故報告――そんな形に見える。
ただ、ほとんどが黒く塗りつぶされている。読むな、と言われているみたいに。
でも、塗りつぶしの隙間から、頭文字だけが見えた。
【Report by: A _ _ _ 】
【Report by: M _ _ _ 】
次の瞬間、消えた。
消えたから確かめられない。
確かめられないから断定できない。
なのに、背中だけが冷たくなる。
ガンゾが、アヤメを小さく呼んだ。
「……今の、何だ」
アヤメは首を横に振った。今は言わない。今言えば混ざる。
そのとき。
カサ、と乾いた音がした。
紙を擦る音。湿った場所には似合わない音。
音は板の反対側――石の角の向こうからだ。
リオが反射でそちらを見かける。
ガンゾが目だけで止めた。見るな。追うな。
アヤメは息を一度落とした。
(誘導だ)
追えば手順が崩れる。
相手が欲しいのは“崩れた瞬間”。封印袋が落ちる、誰かが触る、誰かが走る――その一つで全部が汚れる。
アヤメは鉛筆を止めず、声を出した。
「記録、追加」
声に出すだけで、みんなの手が止まる。戻ってくる。
「板の表示。『Status: unlockable』。『Requirement: 3/3』。ここまで。以上」
エドが頷き、リオも頷いた。トウマの肩が少しだけ下がる。
やることが決まっていると、人は落ち着ける。
カサカサ、と音がまた鳴る。
今度は少し近い。角の向こうで、紙をいじっているみたいだ。
ガンゾが低く言った。
「遊ばれてるな」
「うん。でも追わない」
アヤメは、すぐ次に進む。
「封印を追加する」
トウマが封印袋を持ち直す。
アヤメは新しい札と蝋を出した。二重の上に、もうひとつ。余計かもしれない。けれど今は、余計な安心が必要だ。
「追加封印。立会い、確認」
リオが札を読み上げる。
エドが時刻を書く。
ガンゾが封の状態を確認する。
トウマが袋を動かさないよう支える。
アヤメが紙に書く。
誰か一人でやらない。役割を分ける。
手が増えるほど、嘘は減る。
蝋が固まる数秒がやけに長い。
その間も、乾いた音は続く。こっちを揺らしたい音。
でも、揺れない。
「……よし。封、増やした」
アヤメが言うと、ガンゾが頷いた。
「撤退する」
「今、撤退。板から離れる。目的は達成した」
リオが不安そうに言う。
「でも、あっち……」
「追うと落ちる」
アヤメはリオの目を見て言った。
「帰って写しを作る。別の棚に置く。ここで増やさない」
リオが唇を噛み、頷いた。
トウマが封印袋を胸に抱えて歩き出す。
アヤメは最後に板を見た。
さっきまで“息をしていた”金属は、何もなかった顔に戻っている。
(触れてないのに反応した。近づけただけで、条件が出た)
板から離れると、乾いた音は追ってこなかった。
代わりに、風が冷たい。背中に張り付く冷たさが、ずっと残る。
帰り道。石段の脇に、細い溝がある。荷物を運ぶときに擦ってできる浅い傷。
いつもなら気にしない。けれど今日は、目が勝手に行った。
アヤメは立ち止まった。
「……リオ、これ見て」
リオが覗き込み、数える。
「一本、二本……三本?」
ガンゾも覗き込み、低く唸った。
「昨日まで、二本だった」
エドが青い顔で言った。
「三本って……」
アヤメは喉の奥が乾くのを感じた。
(真似されてる)
ただの傷かもしれない。
でも、“三本”という数が胸に刺さる。こちらが守っている数。揃えようとしている数。
誰かが見ている。
誰かが学んでいる。
次は、こちらの形を逆に使う。
アヤメは封印袋を抱え直した。紙も落とさないよう、胸に押さえる。
「……帰る」
短く言う。
帰って写しを作る。別の棚に置く。触れる人を分ける。
相手が形を真似するなら、こちらは形を増やす。
港の音が、またはっきり聞こえた。
波の音。縄の音。荷車の音。
そして背中に張り付く――見られている気配。
アヤメは歩幅を変えずに歩いた。
怖さを、手順に変えて持ち帰るために。
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