第43話 没収命令(安定の名で)
朝の港は、まだ静かだ。
荷車の軋みも、呼び声も、波の音に溶けている。空気だけが冷たくて、鼻の奥が少し痛い。
――その静けさと釣り合わないものが、アヤメの目の前に出た。
【NOTICE: Stored Item — Activity Increasing】
【Recommendation: Verify Seal Integrity】
文字は、ふっと浮いて、ふっと消えた。
瞬きをしただけで消えるから、なおさら落ち着かない。
「……また出た?」
隣で荷箱を数えていたリオが、アヤメの顔を見て言った。表示は見えない。でも、アヤメの目線の動きは隠せない。
「うん。短いやつ。『注意』って」
「増えてる感じ?」
「回数が増えた。あと……言い方が強い」
アヤメは手帳を開き、出た文だけを短く書き留めた。
分からないことは、分からないまま残す。勝手に意味づけすると、後で自分が困る。
「アヤメ」
ガンゾの声がした。低くて、港の朝に馴染む声。
「役所の連中が来てる」
詰所の前に、黒い外套の男が二人立っていた。片方は、嫌なほど姿勢がいい。もう片方は少し後ろで、黙っている。
姿勢がいい方――M-02が、こちらを見て口を開いた。
「ミナト・アヤメ。通達する」
呼び名は丁寧なのに、声は冷たい。
アヤメは一度、息を吸ってから歩いた。リオが半歩後ろに付く。ガンゾも少し遅れて付く。レイは離れた角に立つ。逃げ道を消す位置だ。
詰所の前で、M-02が言い切った。
「本日付で、欠片の没収命令を出す」
「没収?」
言葉を繰り返す。時間稼ぎじゃない。相手の理屈を最後まで聞くためだ。
「危険物の隔離だ。安定を優先する。欠片は不安定で、周囲に悪影響を与える可能性がある。これ以上、現場に置くべきではない」
危険物。隔離。安定。
聞こえのいい言葉が並ぶほど、胸の奥がざらつく。
「命令書は?」
アヤメが言うと、M-02の眉がわずかに動いた。
「不要だ。ここで通達する」
「通達だけだと動けません」
アヤメは口調を崩さずに言った。
怒鳴れば負ける。感情で押せば、“感情的だ”と言われて終わる。だから形で押す。
「没収するなら、必要なものがあります」
「……必要なもの?」
「立会い。署名。封印番号。移送ルート。棚番号」
アヤメはひとつずつ、指を折っていった。
「それが揃って、初めて動かせます」
M-02の目が細くなる。
嫌がっている。手順が嫌いなのが分かる。
「緊急だ。あなたの都合で遅らせるな」
「都合じゃありません。事故を減らすためです」
アヤメは、言い切った。
「形がないと、後で『違う』が起きます。『元から無かった』が起きます。港は、それが一番困る」
ガンゾが小さく頷く。リオも唇を噛んで頷いた。
M-02が鼻で笑った。
「あなたは欠片を守りたいだけだろう」
「守りたいのは港です」
短く返す。気持ちの話はしない。気持ちを始めると、議論が喧嘩になる。
「命令書を出してください。出せないなら、没収はできません」
空気が張った。波の音が遠くなる。
その静けさを切ったのは、後ろにいたM-01だった。
「妥協案がある」
前に出ない。けれど声は通る。
M-02が嫌そうに顔を向けた。
「隔離は必要だ。だが現場の手順も必要だ」
M-01は淡々と言った。
「欠片は隔離棚へ移す。役所の管理棚だ。鍵付き。立会いを付ける」
リオが思わず息を飲んだ。ガンゾの眉が動く。
アヤメはすぐに問い返す。
「条件は?」
「封印は二重。封印番号は現場側も確認する。移送ルートは事前に示す。棚番号も記録する」
――形は揃う。
だが、形だけでは足りない。
「写しログは?」
アヤメが言うと、M-02が即座に被せた。
「不要だ。原本がある」
「原本があるからこそ、写しが必要です」
アヤメはM-02を見たまま言った。
「原本だけだと、見せないで終わります。写しがあれば、こちらも同じ情報を持てる。あとから変えにくい形で残せます」
「疑いすぎだ」
「疑いじゃありません。手順です」
アヤメは一歩も引かない。
「写しは現場側が作ります。その場で。立会いの前で。署名を揃えて」
M-01が、短く言った。
「認める」
M-02が舌打ちしたが、M-01は続ける。
「写しログを現場側の保管で残していい。ただし、原本と同じ内容だ。封印番号、棚番号、移送時刻、立会い名。これを残せ」
「保管場所も分けます」
アヤメはすぐに言った。
「同じ棚に置くと、同じ手で触れます。写しは港の共同保管棚。原本は役所の隔離棚」
M-01が一瞬だけ頷いた。
「いい」
そこで、ようやく手順が始まった。
見回りが呼ばれ、立会いが集まる。店の男。荷車の男。見回り。リオ。ガンゾ。
アヤメは紙を広げた。
「まず確認。対象は封印袋。封印番号。棚番号。今の置き場所」
共同保管棚の前で、封印袋が出される。
アヤメは触らない。触るのは担当の見回り。アヤメは“見る”。見る人が複数いるのが大事だ。
「封印、割れてない」
見回りが言い、店の男が頷く。
「番号、読み上げて」
アヤメが促すと、リオが番号札を読んだ。
アヤメは書く。字が揺れないよう、息を合わせて書く。
「時刻」
「十時十二分」
「立会い、署名」
紙に署名が増えるほど、後で揉めにくい。
「移送ルート」
アヤメは道筋を短く固定して書いた。どこを通り、どこで止まり、どこで受け渡すか。途中で“別の何か”が混ざる余地を消す。
「移送開始。前に二人、後ろに二人。封印袋から目を離さない」
ガンゾが前に出る。リオが後ろにつく。レイは離れたまま同じ方向へ動く。影の中で、道を塞げる位置を取る。
役所の隔離棚は詰所の奥にあった。厚い扉。鍵。
M-02が鍵を回す。
「入れる」
その瞬間、アヤメの視界に文字が跳ねた。
【注意:移送先変更】
【封印番号 照合中】
【記録推奨】
アヤメは口に出さず、紙の端にだけ書き足した。
言葉にすると揺れる。揺れると噂になる。
「棚番号」
アヤメが言うと、M-02の顔が露骨に歪んだ。
「棚など、どうでもいい」
「どうでもよくありません」
アヤメは棚の札を見た。
「棚が分からないと確認できません。『入れた』が『入れてない』になります」
M-01が言った。
「棚番号を示せ」
M-02は渋々、棚の横の札を指さした。アヤメが読み上げて書く。立会いが頷き、署名が増える。
封印袋が隔離棚に置かれた。扉が閉まる。鍵が回る。
――ここで終わりじゃない。
「写しログを作ります」
アヤメは原本とは別の紙を出した。
「今の内容を、その場で写します。立会いの前で」
「一枚で十分だ」
M-02が吐き捨てる。
「十分じゃありません」
アヤメは静かに言った。
「これは港側の写しです。別の棚に残します。原本と写しで、触れる人を分けます」
風で紙がめくれないよう、リオが端を押さえる。
アヤメは写す。封印番号。移送時刻。ルート。棚番号。立会い名。
最後に署名。二重の署名。
写しができたら、封印袋に入れる。蝋を垂らし、印を押す。
誰か一人の手で終わらせない。見る人を増やして終わらせる。
「これで完了です」
アヤメが言うと、M-01が小さく頷いた。
「安定のためだ」
M-02が言った。
アヤメは返事をしない。安定という言葉は、ときどき都合のいい隠れみのになる。だから返すのは言葉じゃない。紙と印だ。
人が散り始めた頃、アヤメの視界がまた揺れた。
今度は消えない。胸の高さに、はっきり浮いた。
【Maintenance key: 2/3】
喉が鳴った。背中が冷えるのに、指先が熱い。
(……二つ、揃った)
誰にも見えない文字。けれど、確かにそこにある。
アヤメは写しログの封印袋を抱え直した。
足元は崩れない。崩れないように、形を揃えたからだ。
「……まだ終わってない」
小さく言うと、リオが顔を上げた。
「何か見えた?」
「うん」
アヤメは短く頷く。言い過ぎない。噂にしない。
「二つ、揃った」
それだけで、リオの顔色が変わる。ガンゾの背がさらに大きく見える。
レイは何も言わない。けれど、角の影が少し濃くなった気がした。
港の朝は、もう柔らかくない。
音が、はっきりしている。
次に誰が動くか。
次に誰が“触らせよう”とするか。
アヤメは紙を抱え、歩き出した。
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