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第3話:帯域(回線)が詰まっている

港町の朝は、匂いで始まる——はずだった。


今日は匂いより先に、暗さが来ていた。

市場の通りに並ぶ魔法灯が、点いたと思えばふっと消え、消えたと思えばまた点く。瞬きというより、喘いでいる。光が安定しないせいで、屋台の手元は影だらけで、値札の文字も見えにくい。魚の銀色も、果物の赤も、鈍い灰色に沈んでいた。


「また落ちたぞ!」

「おい、点けろって言っただろ!」


怒鳴り声が跳ねる。

人が集まる。集まるほど、さらに暗くなる。


ミナト・アヤメは薬草の籠を抱えたまま、通りの端で立ち止まった。足元の石畳に、灯りがまだらに落ちる。光が点いた瞬間だけ、誰かの顔がはっきり見え、次の瞬間にはまた影に溶ける。


——怖いのは暗いことじゃない。暗い理由が“分からない”ことだ。


アヤメは腰の道具袋から手帳を取り出し、鉛筆を握った。

書けば落ち着く。書けば整理できる。恐怖は形にすると、少しだけ小さくなる。


「アヤメ!」


薬屋の旦那が屋台の裏から顔を出した。いつもの笑い皺が、今日はほとんど消えている。


「灯り、どうにかならねぇか。客が寄り付かねぇ」

「……どうにか、してみます」


自分で言ってから、心臓が跳ねた。

“どうにか”なんて言える立場じゃないのに、口が先に動く。落ちこぼれ見習いの自分にできることは、普段なら籠を運ぶことと愛想笑いくらいだ。


でも——


視界の端で、透明な枠がちらついた。


誰にも見えていない。アヤメにだけ見える、薄い表示。

文字は淡く、でも妙にくっきりしている。


【Stability:low】

【Request:spike】


そして、魔法灯の柱の周りで、赤い文字が弾けた。


【Bandwidth low】

【Too many requests】


アヤメの背筋がぞわりとした。

出た。これだ。


「帯域……」


呟きが漏れる。

魔力が足りないんじゃない。灯りを点ける“道”が詰まってる。人が一斉に同じことをしようとして、通路が潰れている。


しかも、詰まるほどに人は集まる。暗いから集まり、集まるから暗くなる。悪循環だ。


「おい! また誰か詠唱したのか!」

「してねぇよ! 勝手に落ちんだ!」


衛兵が槍を鳴らして怒鳴る。人々は言い返し、さらに距離を詰める。灯りは、また一段暗くなった。


アヤメは深く息を吸った。

笑ってごまかす癖が喉の奥で暴れる。「大丈夫ですよ」と言って場を和ませたい。でも、今日はそれが嘘になる。


代わりに、指先で空中を指し示すようにして言った。


「……みんな、ここから離れて!」


「はぁ? 暗いんだぞ!」

「離れたら見えねぇだろ!」


正しい。正しいから、言葉を変える。


「離れるんじゃなくて、分けます!」


アヤメは通りの左右を指した。屋台の並び、柱の位置、広場への導線。市場の地図なら頭に入っている。


「灯りを点ける人は——一人だけ! それ以外の人は、二歩下がって! 見たいなら、列を作って順番に!」


「列ぃ?」


誰かが笑う。「こんな時に列なんて」

でもアヤメは笑わない。


「列、作らないと、もっと暗くなる。……今、ここに集まりすぎです」


言った瞬間、赤がまた弾けた。

まるで“ほらね”と言うみたいに。


【Bandwidth low】

【Too many requests】


アヤメは手帳に走り書きした。

“灯り:帯域不足/要求過多/人が集まるほど悪化”


「おい、嬢ちゃん」


衛兵が槍を下げたまま近づいてくる。顔は険しい。疑っている。誰が見ても、急に仕切り始めた小娘は怪しい。


「勝手に指図するな。混乱が増える」

「増えません。……今のままの方が増えます」


怖い。足が震える。

でも市場で鍛えた体力は、こういう時に逃げない。逃げたら背中に荷が降ってくるのを知っている。


「灯りが落ちる理由、分かってますか」

「分からん。だから押さえてる」


衛兵は槍で人垣を示した。押さえてる、というより押してる。押されれば押し返す。余計に近づく。灯りが落ちる。


アヤメは唇を噛んだ。言い方を間違えると、敵になる。

敵にしたら終わる。味方にするしかない。


「……灯りは、魔力じゃなくて“通る道”が詰まって落ちます。人が集まるほど詰まる。だから、あなたが押さえるなら、押し返させない形にしてほしい」


衛兵が眉をひそめる。


「道?」

「回線……って言ったら分かります? 荷車が一箇所に詰まって動かない時みたいに、魔法も詰まるんです」


衛兵が一瞬、目を細めた。

港町の衛兵は物流を知っている。荷車の渋滞を、何度も見ている。


「……そうだとして、どうする」

「分散。担当制。順番制。……市場は、それで回ります」


アヤメは薬屋の旦那の方へ視線を投げた。旦那はすぐに頷き、屋台から太い麻縄を持ってきた。


「これ使え! 列作るなら、ロープだろ!」


旦那の声はよく通る。

市場の人間は、薬屋の旦那の言葉なら聞く。薬草も包帯も、彼の屋台を通るからだ。


アヤメは縄の端を受け取り、通りの端に立つ。


「よし、ここからここまで。灯りの柱の周りは、入れるのは——三人まで!」


「三人って少なすぎ——」

「少ない方が点く! 点いたら、みんな見える!」


言い切ると、周囲の空気がわずかに変わる。

怒りは、理由が見えた瞬間に少しだけ形を変える。“少ない方が点く”というルールが、希望になる。


衛兵が槍で地面を叩いた。


「聞け! ロープの内側は三人まで! 詠唱は禁止! 勝手に触るな!」


権威の声が、初めてアヤメの言葉と同じ方向を向いた。

人々がぶつぶつ言いながらも下がっていく。ロープの外に、渋々列ができる。市場で列を作る光景は珍しくない。魚の安売りではいつも列ができる。だから、ルールさえ分かれば人は並べる。


「灯り担当、決めます!」


アヤメは周囲を見回し、手を挙げた。


「魔法を試したい人、前へ。……ただし、勝手に唱えないで。合図したら一人だけ、短いのだけ」


三人ほどが手を挙げた。見習い術師風の青年、商人の女、そして学舎の制服を着た少年。少年の手が震えている。


アヤメは少年の前にしゃがみ、視線を合わせた。


「怖い?」

「……怖い。けど、点けたい」


その言葉に、胸の奥が熱くなる。

怖いのは自分だけじゃない。誰もが怖い。怖いから手を動かす。だから事故が起きる。


「じゃあ、手順でやろ。怖い時ほど、手順」


アヤメは手帳を開き、短く書いた。


“灯り:一人/短詠唱/間隔/結果記録”


「合図したら唱える。唱えたら、十数える。次はそのあと。いける?」

少年はこくりと頷いた。


アヤメは立ち上がり、視界の端を確認する。

透明な枠がまた薄く光った。


【Stability:low】

【Bandwidth:critical】

【Recommendation:reduce requests】


——今だ。


「一人目、お願い!」


青年が柱の前に立ち、短い詠唱を唱える。普段なら指先に光が宿り、灯りがふっと点く——はずだ。


しかし今、空中に赤が弾ける。


【Permission denied】

【Fallback executed】


灯りは点かなかった。その代わり、柱の根元が一瞬だけ熱を持ち、焦げた匂いが立つ。


「うわっ!」

「やっぱり駄目じゃねぇか!」


列がざわめく。

アヤメは手を上げた。


「待って! 焦げただけで済んだ。……今のは“通ってない”から、もうやらない」


青年が不満そうに口を開くが、アヤメは遮った。


「次。二人目。……同じ詠唱はやらない。短い灯火じゃなくて、起動の一文字だけ」


女商人が眉をひそめる。


「一文字で点くわけないだろ」

「点けるんじゃなくて、道を開く。……多分、いま必要なのは火じゃなくて“接続”」


自分で言っていて、変な気がする。接続なんて言葉、どこで覚えた。

赤文字が落としてくる感覚が、言葉を引っ張り出す。


女商人が息を吸い、短く唱える。

今度は赤が出ない。


柱の上の魔法灯が、ふっと灯った。弱い。揺れる。でも、点いた。


「点いた……!」

「おお……!」


どよめきが湧く。

その瞬間、列が一歩詰めた。見たいから。近づきたいから。触れたいから。


——そして、灯りがちかちかと揺れ始める。


アヤメの視界に赤。


【Bandwidth low】

【Too many requests】


「止まって! 近づかないで!」


叫ぶと、足が止まる。ロープが役に立つ。衛兵が槍を横にして、じりじりと人を押し戻す。


灯りが、持ち直した。

弱い光が安定する。


「……ほら。近づくと落ちる」


アヤメは手帳に書き足した。


“点灯:接続系が有効?/近づくと不安定(帯域)”


列の先頭にいた老婆が、震える声で言った。


「じゃあ、どうしたら……ずっとこの暗いままかい」


暗い、だけじゃない。暗いと、転ぶ。怪我をする。盗まれる。喧嘩が増える。

市場は光で回っている。生活は光で繋がっている。


アヤメは頬の内側を噛み、息を整えた。


「柱ごとに、同じことをします。……一箇所に集まらない。列も分ける。灯りを見る人も、買い物する人も、道を空ける」


言いながら、頭の中で導線を組む。市場の入口、広場、裏路地。薬屋、魚屋、パン屋。人が溜まる場所を、先に分散させる。


「旦那! 縄、もう一本あります?」

「ある! 倉庫に!」


「魚屋さん! そっちの通り、列作れます? 看板立てて!」

「おう、やってやる!」


市場の人間は、決まった手順があれば動く。

それはアヤメが市場で学んだことだ。魔法より先に、生活の段取りを知っている。


「衛兵さん、お願い。灯りの柱は三人まで。列を二つに分けて、通路を一本空けてください。荷車が通れるように」


「……嬢ちゃん、口が達者だな」

「市場で鍛えられてますから」


冗談が出た。自分でも驚いた。

笑ってごまかす癖じゃない。場を回すための軽さだ。必要な軽さ。


衛兵が短く笑い、槍を振った。


「聞け! 通路を空けろ! 荷車優先! 列はここだ、ロープの外だ!」


人が動く。

ロープが張られ、列が分かれ、柱の周りが空く。灯りが一つ、二つ、三つと点き始める。光の円が増えるほど、人々の顔が見えるようになり、怒りの矛先が少しずつ鈍くなる。


——光は、感情を落ち着かせる。


アヤメは光の円の中を走り回った。手帳に結果を書き、担当を決め、列が乱れれば声をかける。腰の道具袋が鳴り、息が上がる。細身の身体は疲れる。でも市場で鍛えた脚は止まらない。


「次の柱、接続の短詠唱! 火種は禁止!」

「分かった、短いやつだな!」

「十数えてから次! お願い!」


繰り返すうち、周囲も自然に数え始める。

十。十一。十二。十三——。

誰かが勝手に唱えそうになったら、隣が腕を掴んで止める。


ルールが共有され始めたのだ。


そのとき、小さな泣き声が聞こえた。

灯りの円の外、影の濃いところで、子どもが蹲っている。顔が見えない。


アヤメは駆け寄り、膝をついた。


「どうしたの」

「……お母さん、いない」


子どもの肩が震える。

暗いと、人ははぐれる。光がまだらだと、なおさらだ。


アヤメは子どもの手を取った。冷たい。

周囲を見回すと、列の中で必死に探す女性がいた。叫び声が掠れている。


「ここ! こっち!」


アヤメが手を振ると、女性が振り返り、泣きそうな顔で駆け寄ってくる。


「よかった……!」


抱きしめ合う姿に、周囲の空気が少しだけ柔らかくなる。

生活が戻る兆しは、こういう形で現れる。


その瞬間、アヤメの視界の端で数字が揺れた。


【Request:decreasing】

【Bandwidth:recovering(partial)】

【Stability:medium】


——減ってる。

要求が減れば、回線が戻る。回線が戻れば、灯りが安定する。


アヤメは手帳に書いた。


“帯域:人が集まるほど枯れる/分散で回復”


その時、柱の一つがふっと暗くなった。

人々が「またか!」と声を上げる。列が一斉にそちらへ向きかける。


アヤメは両腕を広げて、通路の真ん中に立った。


「止まって!」


声が通る。自分の声が、人を止める。

その事実が怖い。責任が重い。でも、今はそれを持つしかない。


「そっちは今、詰まって落ちただけ! 近づいたらもっと落ちる!」


人々が足を止める。

その一拍で、アヤメは赤を読む。


柱の根元で、赤が弾けていた。


【Bandwidth low】

【Too many requests】

【Recommendation:reduce crowd density】


アヤメは大きく息を吐いた。

やっぱりだ。詠唱が間違っているんじゃない。魔力が足りないんじゃない。人が詰まっている。それだけで落ちる。


「列をずらします!」


アヤメはロープの位置を指さし、衛兵に目配せした。衛兵が頷き、槍で誘導する。列が半歩ずつ後ろへ下がる。柱の周りが空く。


灯りが、ふっと戻った。


「おお……」

「本当に、近づかなきゃ点くのか……」


誰かが呟く。疑いが、少しずつ理解に変わっていく。

理解が増えれば、無駄な動きが減る。無駄が減れば、帯域が戻る。帯域が戻れば——生活が戻る。


アヤメは手帳を閉じ、胸に押し当てた。鼓動が紙越しに伝わる。

怖い。疲れた。息が切れている。けれど、今この瞬間だけは、確かに“回っている”。


その時、空の掲示がまた進んだ。白い文字が淡々と流れる。


【インフラ:暫定復旧】

【混雑時は不安定になる可能性があります】


混雑時は不安定——。

まるで、今アヤメが体で覚えたことを、そのまま書いたような文章だった。


そして、最後に赤が弾ける。

市場の上空ではなく、アヤメの視界の端で。小さく、でもはっきりと。


【Bandwidth low】


短い一行。

けれど、その一行だけで分かる。


——この世界は、今、“混雑”で壊れる。


アヤメは鉛筆を握り直し、手帳を開いた。


「……ログ取ろ」


呟きは震えなかった。

怖いのは消えない。でも、怖さを“手順”に変えられる。


そしてその手順は、今日もまた、誰かの足元を照らす。

読んでいただきありがとうございます!


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