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第38話:逆走の誘い(保管庫が空く瞬間)

港は朝から、匂いが落ち着かなかった。

潮の匂いの中に、焦りの匂いが混ざっている。焦りは、汗と紙と早口でできている。


詰所の窓の外で、人が集まっては散る。

散るのに、また集まる。

集まるたび、声が少しずつ高くなる。


「聞いたか? 危ねえもんが混ざったって」

「水だ、水が悪いって」

「触るなって言われたぞ!」


噂は走る。走る噂は、現場より速い。

現場より速いものは、だいたい嘘か、半分だけの真実だ。

半分の真実は、嘘より厄介だ。


ミナト・アヤメは机の前で、封印袋の列を見つめた。

列は昨日より整っている。

棚札の蝋印。証拠一式の一覧。写しの封印。

“形”はできている。


できているのに、胸が落ち着かない。

理由は一つ――足元の刃が近いからだ。


足元の輪が薄く残り、その上に白い文字が重なる。


【Zone restriction: 3m】

【Observer role: active】

【Role: Log Preservation (temporary)】

【Scope: archive + sealing records】

【Role timer: 00:47:12】

【Log streaming: enabled】


数字が減るのが、怖い。

怖いと、人は守りに入る。守りに入ると視野が狭くなる。

狭くなると、“正しそうな誘い”が通ってしまう。


今日の敵は“誘い”だ。

誘いは、正しい顔をして近づく。

だから、先に順番を決めておく。


アヤメは壁の紙の下に、もう一枚貼った。

字は大きく、短い。


『逆走の誘い(短い)』

1 噂に引っ張られない

2 保管庫を先に固める

3 追わない(追う前に封)

4 足跡は印で残す

5 戻る道を先に作る


紙を貼ると、頭の中が少し静かになる。

静かになったところで扉が開き、リオが入ってきた。顔がいつもより硬い。

その後ろにエド。ユウト。

ガンゾは外で怒鳴っている。怒鳴り声の端が、詰所の壁を揺らす。


「散れ! 散れって言ってるだろ!」

「触るな! 触るなって言ったら触るな!」


荒い声だ。けれど、現場に効く声だ。

現場に効く声は、今は必要だ。


リオが窓の外を見て言った。


「噂が広がってる。人が動く。……こういう時に“空く”」

「空く?」


ユウトが聞き返す。

エドが答えた。


「保管庫だ。現場が騒ぐと、見張りも人も外へ寄る。

“今は危ない”って顔で、保管庫が手薄になる瞬間ができる」


アヤメの背中が冷えた。

冷えたのは、納得したからだ。

保管庫は“残す場所”。そこが手薄になる瞬間が、一番怖い。


アヤメはすぐ言った。


「保管庫へ行く。先に固める」


ユウトが一歩前へ出る。


「俺も行く。印、追加する」


リオが頷く。


「立会いは私とエド。ガンゾは外で人を止める。レイは?」

「……いる」


アヤメはそう言って、扉の外を一瞬だけ見た。

見えない。

でも、見えないほうが安心する時もある。

背中が軽い。――それがレイだ。


アヤメは机の端の封印袋を見た。

欠片の袋。水の袋。札の欠片。

持ち出すものと、持ち出さないものを分ける。


「今日は持ち出さない。持ち出さないで、保管庫の封を増やす。

棚札の蝋印が割れてないか確認。受付の封も“封の上に封”」


エドが即座に言う。


「“持ち出さない”を紙にして持っていく。

持ち出さないって書いた紙は、あとで効く」


紙に書けば、“勝手に”と言いにくい。

言いにくければ、手が止まる。


ユウトが小刀を腰に差し、木片を握った。

溝を追加するための木片。軽い。すぐ使える。

すぐ使える道具があると、迷いが減る。


「行こう」


扉を開けた瞬間、港の匂いがぶつかってきた。

汗と潮と、焦りと――紙の匂い。


「聞いたか?」

「危険物だって!」

「もう運ぶな!」


叫ぶ声が道を揺らす。

道が揺れると足元が乱れる。

乱れた足元は、誘いに弱い。


ガンゾが人の真ん中に立ち、腕を広げて叫ぶ。


「止まれ! 止まれって言ってるだろ! まず落ち着け!」

「水が!」

「水は後だ! 今は人が先だ!」


現場の声は、現場を押し返す。

押し返せるのは、ガンゾが信用を持っているからだ。

信用は積み重ねだ。積み重ねは、“残したもの”でもできる。


アヤメたちは人の流れを避け、壁沿いに保管庫へ向かった。

壁沿いだと、背中が守れる。背中が守れると、前が見える。


保管庫の入口は、いつもより静かだった。

静かすぎる――というより、動きが少ない。


動きが少ない場所は怖い。

怖いから、順番を先に押し出す。


扉の前でアヤメは息を吐いた。

吐いた息が喉の奥を一度だけ撫でる。

撫でられると、声が出る。


足元に輪。


【Zone restriction: 3m】

【Observer role: active】

【Role: Log Preservation (temporary)】

【Scope: archive + sealing records】

【Role timer: 00:42:51】

【Log streaming: enabled】


数字がさらに削れている。

でも、ここで焦ると負ける。

負けないために、手順。


扉の前に青い光が立っていた。


【Unit: MASK】

【ID: M-01】


M-01の声は影がない。


「保管庫点検。棚札のみ。棚は開けない」

「分かった。立会いはリオとエド」


M-01が短く光を揺らす。

扉が開く。音は、やっぱり外へ逃げない。石の中に吸い込まれる。


中の匂いは乾いた紙と鉄。

けれど今日は、ほんの少しだけ外の汗の匂いも混じっていた。

出入りが増えた匂いだ。出入りが増えれば、手も入る。


アヤメは奥へ進まず、入口で止まった。

止まって、最初に見るのは“封”。


受付の机の前に貼られた封印紙。

その端が――ほんのわずか、浮いている。


小さな浮き。

けれど昨日はなかった。

小さい違いは、差し替えの入口になる。


アヤメは声にする。


「封印紙の端、浮いてる」


リオがすぐ言う。


「見た」


エドも続ける。


「見た。記録する」


M-01が淡々と言った。


「触るな」

「触らない。……追加で封をする」


アヤメは保管庫係を呼び、立会いを増やした。

保管庫係の男が出てくる。顔が硬い。

ここでは硬い顔が普通だ。普通は、油断が混じりやすい。

だからこそ手順。


封印紙の上から、別の封印を重ねる。

重ねる封は、端をまたぐように貼る。

浮きを“封で押さえる”形にする。


剥がすなら、二枚剥がす必要がある。

二枚剥がせば、跡が増える。


蝋を垂らし、印を押す。

印は三つ。近い・近い・遠い。

ユウトの基準で作った型を使う。

基準が同じなら、比べられる。


封を重ね終えたところで、棚札へ向かう。

棚札は強化したばかりだ。

強化したものは、相手にとって邪魔だ。だから狙われる。


A棚。札の蝋印、割れていない。

B棚。割れていない。

C棚。割れていない。


一つずつ確認し、声にする。


「割れ、なし」

「割れ、なし」

「割れ、なし」


声が積み重なる。

積み重なった声は、壁になる。


そのとき、アヤメの視界の端に白い行が一瞬だけ滑った。


【Maintenance key: fragment moved】


動いた。

欠片が動いた? 誰が? どこへ?


胸の奥が熱くなる。

熱くなると、走りたくなる。

走れば、誘いに乗る。

誘いに乗れば、保管庫が手薄になる。

手薄になった瞬間が、相手の本番になる。


アヤメは息を吐き、言葉を短くする。


「……今の表示、“動いた”って出た」


リオが即座に返す。


「追わない」


エドが重ねる。


「追わない。今は保管庫を固める」


「うん」


アヤメは頷き、棚の“端”へ視線を落とした。

棚の端の溝。三本。

その横に、浅い一本線が増えている。


なぞり跡。

真似しようとして、途中で止めた線。


(ここを通った)


通ったのに、真似しきれていない。

真似しきれないなら、焦っている。

焦っているなら、相手も時間に追われている。


アヤメは声にした。


「なぞり跡。浅い一本。棚の端」


保管庫係の男が息を呑む。

M-01の光がわずかに強くなる。


「記録する」


エドが紙に走らせる。


「棚端溝の横に浅い線一本。位置:B棚端。立会い:リオ、エド、保管庫係、M-01、アヤメ。時刻――」


時刻が強い。

時刻は釘だ。釘があると、嘘が動きにくい。


封印の追加、棚札の確認、なぞり跡の記録。

やるべきことは全部やった。


ここで、戻る。


戻り際、アヤメは入口の床を見た。

石の継ぎ目に、薄い紙片が挟まっている。

端が少し光る。


(また……)


またなら仕掛けだ。

仕掛けは触らせたい。

触らせたいなら、触らないで回収する。


「布、封印袋」


リオが布で紙片をすくい上げ、封印袋へ入れる。

番号札。署名。

同じ手順。

同じ手順は、相手の手口を鈍らせる。


封印が終わった瞬間、外から大きな音がした。

何かが倒れた音。叫び声。走る足音。

混乱が増えた。


エドが顔を上げる。


「今、外が一番荒れてる。……だからこそ戻る。詰所を空けるな」

「うん」


詰所が空けば、比較台が崩れる。

比較台が崩れれば、欠片の“形”が消える。

消えるのが、相手の狙いだ。



詰所へ戻る道は、行きよりも騒がしかった。

人が一斉に動くと、道が川になる。

川は逆走できない。逆走しようとすると押し流される。


押し流されないために、アヤメは壁沿いを選んだ。

壁は流れを切る。切れれば足が守れる。


途中、レイが影みたいに現れた。ほんの一瞬。

目で合図。


――追われている。だが距離は保てる。


アヤメは頷き、胸の中で“追わない”を押さえた。

追うのは、誘いに乗ることだ。


詰所に戻ると、机の上の封印袋の列がそのまま残っていた。

残っているだけで、心臓が少し落ち着く。

列は、帰る場所だ。


ガンゾが扉から顔を出す。


「落ち着いた。……一人倒れたが、命に別状はない。診療所に運んだ」

「……ありがとう」


アヤメが小さく言うと、ガンゾは鼻で笑って、すぐ外へ戻った。


リオが封印袋を机の端に並べ直す。


「保管庫の封の浮き。なぞり跡。紙片。……全部、残った」


エドが淡々とまとめる。


「相手は外の混乱を利用して、保管庫の封に触った。

でも完全には剥がしていない。途中で止めている。

止めた理由は、手順が増えて面倒になったから」


面倒は強い。

面倒で相手が止まるなら、こちらは面倒を増やせばいい。


ユウトが小声で言った。


「表示の“動いた”って……欠片が動いたってこと?」

「分からない。……でも表示は出た。出たなら残す」


アヤメは手帳を開き、短く書いた。


「保管庫:封印紙端が浮く(追加封印)」

「棚札蝋印:割れなし」

「棚端:なぞり跡(浅い線一本)」

「紙片回収(封印)」

「表示:fragment moved(1回)」


書き終えた瞬間、足元の表示が目に入る。


【Role timer: 00:33:19】

【Log streaming: enabled】


刃がさらに近い。

けれど今日は、“誘い”に乗らなかった。

乗らなかったこと自体が、勝ちだ。


エドが机の紙を指で叩いた。


「次の手。相手は“動いた”を見せた。つまり、こっちを走らせたい。

走らせないなら、別の場所を狙う。……狙う場所はどこだ」


リオが即答する。


「回収箱。札。動線(人の流れ)。比較台」


ユウトが頷いた。


「俺、回収箱の印も三つにする。箱の口も封を増やす。勝手に開けたら割れるように」


「いい」


アヤメは言い、机の端に新しい紙を貼った。短く、現場の言葉で。


『今日の結論(短い)』

・混乱=保管庫が手薄になる瞬間

・相手は“封”に触った(途中で止めた)

・なぞり跡が出た(学んでいる)

・“動いた”を見せて走らせたい

・走らない=こちらの勝ち


貼った瞬間、詰所の外で紙を擦るような音がした気がした。

気がした、だけ。

でも“気がした”が続くなら、いつか本当になる。


アヤメは小さく呟く。


「……ログ取ろ。誘いに乗らなかったことも、改ざんできない形で残す」


封印袋の列を見つめる。

列は静かで、強い。


近づく刃の下でも、走らない。

走らないで、残す。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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