第37話:延長申請(期限は刃)
詰所の壁に、紙が一枚貼られている。
乾いた紙に、太い字。
『比較台(短い)』
1 封は開けない
2 近づけるだけ
3 匂いは袋の外から
4 光ったら声にする
5 全部、封印番号で残す
紙の端は、蝋で小さく留められていた。剥がそうとすれば跡が残る。
跡が残るなら、手が出にくい。
ミナト・アヤメは机の前で、指先を揃えた。
机の上には封印袋が並ぶ。水の小瓶、光る欠片、紙片、札の欠片。番号札。署名。立会い。
“残す”という作業は地味だ。
でも地味なほど強い。地味は真似しにくい。真似しようとすると面倒になる。
面倒になった瞬間が、痕になる。
足元の輪が薄く残っている。輪の上に、白い表示が重なる。
【Zone restriction: 3m】
【Observer role: active】
【Role: Log Preservation (temporary)】
【Scope: archive + sealing records】
【Role timer: 61:14:08】
【Log streaming: enabled】
数字が減っている。
減るのが見えると、胸の内側がせわしなくなる。
せわしなくなると手が早くなる。手が早くなると順番が飛ぶ。
順番が飛んだ瞬間に、混ざる。
アヤメは息を吐き、机の端を軽く叩いた。
「……焦りは穴」
声にした。
声にすると、穴が見える。見えた穴は塞げる。
扉が開き、リオが入ってきた。手袋は今日も外さない。
リオの後ろにユウト、さらにエド。
ガンゾは外の見張りの位置を変えながら、声だけ落とす。
「今日は変な歩き方が多い。気をつけろ」
レイの姿は見えない。けれど、詰所の外がうるさくならない。
うるさくならないのは、レイが静かに押し返している証拠だ。
リオが机の上を一瞥する。
「増えたね。封印袋」
「増えた。……増やした」
アヤメは答え、足元の表示を見た。
タイマーが削れているのが目で分かる。
ユウトがそれに気づき、顔をこわばらせる。
「……減ってる」
「減ってる」
エドが淡々と言った。
「期限は刃だ。刃は気づかないうちに近づく。気づいた今が一番危ない」
リオが短くうなずく。
「延長、取る」
その言葉を聞いた瞬間、アヤメの胸が少し痛んだ。
延長は欲張りに見える。欲張りに見えると叩かれる。叩かれるのが怖い。
でも、怖いからこそ手順だ。
欲張りじゃない形にする。
“必要”の形にする。
アヤメは机から紙を一枚引き寄せ、太い字で見出しを書いた。
『延長申請(短い)』
その下に、箇条書きで条件を書く。言い訳は書かない。現場の言葉で短く。
・範囲は保管と封印のみ
・開けない/触らない(布越し)
・閲覧はヘッダのみ
・立会い増(リオ/エド/ガンゾ)
・封印二重(封の上に封)
・差し替え未遂が発生(保管庫内)
・証拠束が未整理(封印済み、照合が必要)
ユウトが覗き込み、唾を飲む。
「……これなら、欲張りじゃなく見える?」
「見える、じゃなくて、“そういう形になる”」
エドが言い直した。
言い直しは優しい。優しい言い直しは、崩れそうな背中を支える。
リオが紙に指を置く。
「“差し替え未遂が発生”は強い。しかも保管庫内。安全のため、が通る」
アヤメは頷き、最後に一行足した。
・目的:混乱を減らす(監査できる形にする)
“混乱を減らす”。
それは、相手がよく使う言葉でもある。
相手の言葉を、相手に返す。
ガンゾの声が外から飛んだ。
「来たぞ。青いの」
空気が薄くなった気がした。
青い光が、扉の隙間から差し込む。
【Unit: MASK】
【ID: M-01】
続けて、別の光。
【Unit: MASK】
【ID: M-02】
詰所の入口に青が二つ並ぶと、部屋が狭くなる。
狭くなると喉が固くなる。喉が固くなると言葉が短くなる。
短い言葉は、ときどき強い。だから短いでいい。
M-02が先に口を開いた。声は揺れない。
「延長は不要。安定を損なう」
リオが即座に返す。
「安定を守るために延長が必要」
「矛盾している」
「矛盾してない。混乱が起きているから手順を増やす。手順を増やせば混乱が減る」
リオの声は冷たい。冷たいのは、怖いからだ。
怖いときほど、リオは冷たくなる。冷たいと余計な熱が混ざらない。
M-02が言う。
「情報は危険。広げれば被害が増える」
エドが静かに割って入る。
「広げない。開けない。触らない。見るのはヘッダだけ。封印して残す。監査できる形にする」
M-02が一拍置いた。
その一拍が長い。長いとき、相手は嫌がっている。
アヤメは紙を持ち上げず、机の上に置いたまま指で押さえた。
紙が動くと妙な隙ができる。隙は穴になる。
アヤメは息を吐き、言うべきことだけ言う。
「保管庫内で、札の差し替え未遂が起きた。……未遂の証拠は封印済み。だけど、棚札の強化と照合がまだ必要。私の役目の範囲でやる」
“私”と言った瞬間、胸がちくりとする。
前に出るのが怖い癖が、まだ残っている。
でも今は、前に出ないと手順が通らない。
M-02がアヤメを見た気配がした。青い光の向きが変わる。
視線は刃だ。刃は弱いところを探す。
「役目の延長は権限の拡大だ」
アヤメは首を振った。
「拡大じゃない。範囲は同じ。時間だけ。……“残す”が終わってない」
“終わってない”。
弱そうに見える。けれど現場では強い。
終わってないなら、やり残しがある。やり残しがあるなら混乱が続く。
混乱が続くのは、不安定だ。
リオが机の紙を指で叩く。
「条件はここ。立会い増。封印二重。ヘッダのみ。追加の閲覧はしない。全部、封印番号で残す」
ユウトが小さく言った。
「……俺も立会いする。見たって言える」
エドがユウトに目だけで合図した。
“今は言いすぎるな”。
ユウトは口を閉じ、頷いた。
M-01が淡々と口を開いた。
「延長は条件付きで検討可能」
空気が一段、軽くなった。
でも軽くなると油断が入る。油断は穴だ。穴は塞ぐ。
M-02が即座に言う。
「検討は不要」
M-01は同じ調子で返した。
「保管庫内で未遂が発生している。安全維持の観点から、保全作業の継続は合理的」
“合理的”。
その言葉が出ると、現場は少しだけ救われる。
感情じゃない。理由になる。
M-01が続ける。
「ただし条件が必要。提出物、手順、制限を明確化する」
エドがすぐに聞く。
「条件を具体化して」
M-01が淡々と言う。
「延長申請の条件:
1 棚札強化の実施(印三つ+蝋印)
2 証拠束の一覧化(封印番号/立会い署名/時刻)
3 閲覧例外の停止(ヘッダのみを含め、追加例外なし)
4 作業範囲:保管・封印・照合のみ
5 立会い二名以上を常時保持
6 期間:短期」
短期。
短いのは、嫌がっている証拠でもある。
でも短いなら、取れる可能性がある。
リオが即答する。
「1と2は今日やる。3も受ける。例外は止める。4も受ける。5も守る。期間は?」
M-01が一拍置いた。
「審査」
M-02が言った。
「審査は認めない」
M-01は淡々と返す。
「審査は必要。結論は保留」
保留。
その言葉が、胃の底に落ちた。
保留は不確定。不確定は、刃が見えないまま振り下ろされる。
足元の表示が、情け容赦なく削れていく。
【Role timer: 60:58:13】
【Log streaming: enabled】
アヤメは、焦りが喉へ上がってくるのを感じた。
焦りは熱い。熱いと、言葉が乱れる。乱れた言葉は穴になる。
だから、手順に戻る。
「条件の1と2、すぐやる。棚札の強化は港側と保管庫側で同じ印にする。蝋印は割れたら分かる形にする。証拠束は一覧を作って二重に封印する」
エドが頷く。
「一覧は俺が作る。封印番号を全部並べる。立会いも書く。見た人の名前も書く」
ユウトが小さく手を挙げた。
「俺、印を彫る。三つの印。札の裏も棚の端も同じ形にする。真似しにくい形に」
ガンゾが外から笑った。
「いい。真似させろ。真似した跡が残る」
扉の外でレイの気配が動いた。
誰かを遠ざける気配。
見えないのに、背中が少し軽い。
リオがM-01へ言う。
「審査の間、作業は止めない。止めたら混乱が増える」
M-01は淡々と返す。
「作業継続は許可。現行の範囲内で。延長の結論は後」
M-02が冷たく言う。
「範囲内を逸脱した場合、即時停止」
アヤメは頷いた。
「逸脱しない。……手順通りにやる」
言った瞬間、胸の奥が少しだけ落ち着く。
言葉は鎖だ。鎖があると勝手に飛べない。飛べないなら落ちない。
青い光が二つ、扉の外へ引く。
引くと空気が戻ってくる。戻ってくる空気は現場の空気だ。
—
審査が“保留”のままでも、条件の作業は待ってくれない。
アヤメは机の上の封印袋を、一つずつ並べ直した。
並べ直すだけで、世界が少し整う。
エドが新しい紙を広げ、太い字で見出しを書いた。
『証拠束一覧(短い)』
その下に線を引き、列を作る。
封印番号。対象。回収場所。時刻。立会い。備考。
アヤメは“対象”の欄に、現場語で短く書く。
「右の水」
「左の水」
「光る欠片」
「札の欠片」
「紙片」
「棚札(旧)」
「棚札(新)」
“棚札(旧)”と書いた瞬間、胸が少し痛んだ。
旧があるということは差し替えがあったということだ。
差し替えがあったなら、相手の手がここまで伸びている。
痛みは怖さ。
怖さは、順番へ戻す合図。
「次、棚札の強化」
リオが言う。
ユウトが木片と小刀を取り出した。
三つの印。蝋印用の小さな型だ。
丸を三つ並べるだけだと真似しやすい。だから丸の間隔を変える。
一つ目と二つ目は近い。二つ目と三つ目は少し離す。
ユウトは紙に“指の幅”を描いて残した。
「これが基準。……俺の指で、こう」
ユウトが言う。
エドが紙に写す。
リオが頷く。
アヤメが声にする。
「基準、ユウトの指幅。印は三つ。間隔は“近い・近い・遠い”」
“近い・近い・遠い”。
覚えやすい。覚えやすいなら、誰でも守れる。
ガンゾが外から言った。
「難しいと飛ぶ。覚えやすいのが一番だ」
その通りだ。
難しいと、急いだときに人は省略する。省略は混ざる入口になる。
棚札の紐に蝋を垂らす。
蝋が固まる前に、ユウトの型を押す。
押した印が三つ並ぶ。固まったら、割らないと外せない。割れたら分かる。
「割れたら止める」
アヤメが言うと、リオが即答する。
「止める。誰が何と言っても」
エドが一覧の端に一行足した。
「棚札蝋印:三つ(近い・近い・遠い)/割れたら止める」
作業の最中、外で小さなざわめきが起きた。
足音が増える。早口の声。混乱の音。
リオが窓の隙間から外を見る。
「……また噂」
ガンゾが怒鳴る。
「散れ! 散れって言ってるだろ!」
ガンゾが追い払っている。
追い払えるのは、ガンゾの声が現場の声だからだ。
現場の声は強い。強い声は、相手の足を止める。
アヤメは作業を止めない。
止めれば相手の狙い通りになる。狙いは引き離し。
引き離されなければ、相手は次の手が打ちにくい。
それでも背中は冷える。
冷えるたび、足元のタイマーが目に入る。
【Role timer: 60:22:09】
刃が近い。
アヤメは一度だけ机の角を握りしめた。
握ると手が熱くなる。熱くなると焦りが増える。
増えた焦りを、そのままにしない。
「……今できることは、全部やる」
声にした。
声にすると逃げ道がなくなる。
逃げ道がないのは怖い。けれど今は、逃げ道がない方が強い。
—
証拠束の一覧が形になった。
封印番号が並び、立会いが並び、時刻が並ぶ。
列は強い。列は崩れにくい。崩すにはたくさんの手が要る。
手が要るなら、どこかで痕が出る。
エドが言う。
「一覧は二重にする。写しを作って別封印。片方が消えても残る」
リオが封印袋を取り出し、一覧の写しを入れた。
蝋で封をする。番号札。署名。
ユウトは震えたまま署名を書いた。
震えは消えない。
でも、震えたまま書けるなら前に進める。
封印が終わった瞬間、詰所の入口に青い光が戻ってきた。
【Unit: MASK】
【ID: M-01】
M-01が淡々と言う。
「提出物を確認する」
リオは机の上のまま、封印番号を読み上げた。
時刻。立会い。内容。
M-01が短く返す。
「確認」
たった一言。
でも“確認”は大きい。確認されれば、消しにくい。
リオが踏み込む。
「延長の結論は?」
M-01は一拍置いた。
「保留」
その言葉で、アヤメの胸がきゅっと縮んだ。
保留は刃だ。刃は、こちらの都合を待たない。
扉の外からM-02の圧だけが残る。声がない圧は怖い。
怖いと人は言い訳を始める。言い訳は穴になる。
アヤメは言い訳をしない。
代わりに数字を見る。数字は嘘をつきにくい。
【Role timer: 59:58:31】
【Log streaming: enabled】
一時間を切った。
アヤメは息を吐き、M-01へ言った。
「保留の間、現行範囲内で照合を続ける。棚札は強化した。証拠束も封印した。……混乱は増やさない」
M-01は淡々と返す。
「逸脱を避けるなら可能。延長は別審査」
青い光が去った。
去ったあと、詰所が少し広く感じた。
広く感じると、孤独が来る。孤独は焦りを増やす。
エドが机を軽く叩いた。
「今できることはやった。保留でも手順は残った。次は、刃が落ちる前の備えだ」
リオが頷く。
「延長が取れなかった場合も想定する。アヤメがいなくても回る形にする」
ユウトが顔を上げる。
「……俺、回せるようにする。比較台も、封印も」
ガンゾの声が外から落ちた。
「回せ。回したやつが勝つ」
アヤメはその言葉を胸に入れた。
回せる形を残す。
それが、自分のやることだ。
アヤメは手帳を開き、最後に短く書いた。
「延長申請:保留」
「条件:棚札強化/証拠束一覧化/例外停止」
「タイマー:一時間未満」
「焦りは穴」
書いた瞬間、視界の端に白い表示が重なった。
いつもより鮮明な線。冷たい光。
【Role timer: 00:59:29】
【Offer review: pending】
【Log streaming: enabled】
保留のまま、刃が降りてくる。
降りてくる刃の下で、何を残せるか。
アヤメは手帳を閉じ、封印袋の列を見つめた。
列は静かで、強い。
小さく呟く。
「……ログ取ろ。刃が落ちる瞬間も、改ざんできない形で残す」
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