表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

34/50

第33話:棚札の影

保管庫の扉は、開くときに音がしない。

正確には、音が“外へ逃げない”。重い石の中に、きしみが吸い込まれて消える。


ミナト・アヤメは、扉の前で一度だけ息を吐いた。

吐いた息は白くならない。ここは乾いていて、暖かい。

暖かいのに背中が冷えるのは――この場所が“残す場所”だからだ。


足元の輪は今日もある。けれど、その上に白い表示が重なっている。


【Zone restriction: 3m】

【Observer role: active】

【Role: Log Preservation (temporary)】

【Scope: archive + sealing records】

【Role timer: 68:04:21】

【Log streaming: enabled】


数字が減っている。

減るなら、やることは先に決める。


アヤメは扉の横の板に、チョークで短く書いた。


『今日の手順』

1 棚札を見る

2 番号と一覧を照らす

3 違ったら止める

4 止めたら封をする


書くと、頭の中が静かになる。

静かになったところで、扉を押した。


中の匂いは、紙と鉄と乾いた布。

音は、自分の靴の音しかない。

人が少ない場所ほど、嘘が入りやすい。だからこそ、順番が必要だ。


保管庫の中には、青い光が一つ立っていた。


【Unit: MASK】

【ID: M-01】


M-01は余計な言葉を言わない。

アヤメが入ったのを見て、淡々と言った。


「日次点検を許可する。棚は開けない。札と一覧を照合する」


同じ言葉。

同じ手順。

同じは強い。


「分かった」


アヤメは短く返し、棚へ向かった。

棚は石の壁に沿って並び、棚札が吊られている。

昨日割り当てられた棚番号が、札に太い字で書かれている。


A-shelf 2

B-shelf 4

C-shelf 1


まずは棚札を見る。

アヤメはA-shelf 2の札を見た。裏の印は――丸が二つ。

印がある。結び目も港の結び方。

目で見て、胸が少しだけ緩む。


次は一覧を見る。

今日は管理箱ではなく、“保管庫側の一覧”だ。

保管庫の壁に紙が貼られている。紙は封がされ、端に署名がある。

この紙は勝手に剥がせない。剥がしたら跡が残る。


アヤメは紙の前に立ち、数字だけを追った。

難しいことはしない。数字だけを見る。

昨日一致した番号が、今日も一致しているか。


「A……一致。B……一致。C……」


声に出す。

声に出すと、自分の頭だけで終わらない。

言った瞬間から、空気にも残る。


次に、棚の“端”を見る。

棚の端には、チョークで小さな印がある。昨日ユウトが付けた印だ。

丸が二つ。棚札の裏と同じ。


札と棚の印が同じなら、札だけ差し替えても棚の印でバレる。


(印を二つにして正解だった)


アヤメがB-shelf 4へ向かった、そのとき――背中が少しだけ冷えた。

風じゃない。保管庫に風は入りにくい。

なのに冷える。


呼吸のない気配。

笑っていないのに、笑っている気配。


アヤメは振り向かない。

振り向くと穴に引きずられる。

代わりに足元の表示を見る。表示は嘘をつきにくい。


【Scope violation: none】

【Status: OK】


違反なし。

違反なしなら、今は“見えない手”が外にいるだけかもしれない。

外にいるなら、こちらは中で“形”を強くする。


B-shelf 4の札の前に立つ。

札は昨日と同じ場所に吊られている……はずだった。


アヤメの目が止まる。


札の位置が、ほんの少し低い。

結び目が、ほんの少し違う。

昨日は紐の端が右に出ていた。今日は左に出ている。


小さな違い。

でも偽物は、いつも小さな違いから始まる。


(止める)


アヤメは手を上げた。


「止める」


声は大きくない。

けれど保管庫は静かだから、その一言が石に当たって戻ってくる。

戻ってくる一言は、確かだ。


M-01の青い光が、わずかに強くなった。


「理由を申告」

「棚札の結び目が違う。位置が低い。……触らずに確認する」


札の裏を見たい。

だが今日は、裏が見えにくい角度に吊られている。

昨日は見やすかった。今日は見えにくい。


見えにくいのは、わざとだ。

わざとなら、“触らせたい”可能性がある。

触らせて関係を作りたい。関係ができたら縛れる。


アヤメは一歩下がり、口に出しかけて止まった。

「リオ、立会い」「エド、紙」――そう呼びたい。

でも今日は一人だ。保管庫はいつも全員で来られる場所じゃない。


(……だから狙われる)


喉が乾く。

乾くと焦る。焦ると手順が崩れる。

崩した瞬間に負ける。


だから代わりの手順を使う。


アヤメは壁の一覧紙を指さし、M-01へ言った。


「ここで立会いを取れる? 保管庫側の人を二人」

「可能。保管庫係を呼ぶ」


M-01が青い光を一つ点滅させた。

奥の小扉から、人が出てきた。保管庫係の男と女。顔色が硬い。


男が言う。


「何があった」

「棚札が違う。触らずに裏の印を確認したい。立会いをお願いします」


丁寧に言う。

丁寧は鎧だ。鎧があると、相手も雑に扱いにくい。


女が頷き、男と並んで横に立った。

立会いが二人揃う。これで“触る手順”が作れる。


アヤメは薄い布を取り出した。

直接触らないための布。いつでも持ち歩いている。


「布越しに札を支えて、裏を見ます。触るのは私。見ているのは全員」


全員が頷く。

頷きが揃ったところで、布を札の下に差し入れ、札を支えた。

支えるだけ。引っ張らない。

引っ張ると結び目が動き、証拠が壊れる。


札の裏が見えた。


――丸が、ない。


印がない。

昨日はあった。今日はない。


胃の奥が冷えた。

差し替えだ。しかも保管庫の中でやっている。


外より怖い。

ここは“残す場所”だから、ここで崩されたら信頼が折れる。


(でも、手順がある)


アヤメは声を落とさず、短く言った。


「棚札、差し替え。封印対象」


男が息を呑み、女が顔をしかめた。

当然だ。でも、顔をしかめても手順は進む。


アヤメは紙を持っていない。

だから壁のチョーク板を使う。棚の管理用の板だ。


太く書く。


『B-shelf 4 棚札差し替え』

『時刻:——』

『立会い:保管庫係男/保管庫係女/M-01/アヤメ』

『裏印:なし』


時刻を書いた瞬間、胸のざわつきが少し収まった。

時刻は鎖だ。鎖があると嘘が動きにくい。


M-01が淡々と言う。


「旧札が存在する可能性。探索するか」

「する。触らずに探す。溝、棚の下、角。……捨てるなら近い」


差し替えるとき、古い札は邪魔になる。

邪魔なら捨てる。捨てるなら近い。近いなら見つかる。


アヤメは三メートルの範囲で、床の角を目で追った。

棚の影。棚の脚の近く。石の継ぎ目。

木札は、継ぎ目に引っかかりやすい。


――あった。

棚の脚の後ろ。石の継ぎ目に木札が半分だけ挟まっている。

ここは乾いている。泥がない。だから余計に目立つ。


「見つけた。……触らないで回収」


保管庫係の女が布で札をすくい上げる。

布越し。そのまま封印袋へ――封印袋は保管庫側が持ってきた。

ここは“封”が常にある。そこが強みだ。


番号札をつける。

立会いの署名。

時刻と場所。

アヤメも署名する。


これで札が“証拠物”になる。


封印が終わったら、次は“戻す”。

棚札が偽物のままだと、次の点検で混乱する。

混乱は相手の狙いだ。狙いを与えない。


「予備札、ある?」

男が棚の奥から予備の札を出した。裏に丸が二つ。

結び方も港の結び方で付け直す。

結び方も印だ。


付け直した瞬間、アヤメの視界に白い表示が出た。


【Action: seal evidence (witnessed)】

【Status: OK】

【Scope violation: none】

【Role timer: 67:51:02】


OK。

違反なし。

手順は守れた。


――守れたのに、背中の冷たさは消えない。


呼吸のない気配が、まだ近い。

近いのに見えないのは嫌だ。

でも見えないなら、“形”で追う。


アヤメは棚の端の印を見た。丸が二つ。

変わっていない。棚そのものは触られていない可能性が高い。


(狙いは中身じゃない。……札だ)


札を変えれば番号が変わる。

番号が変われば一覧が崩れる。

一覧が崩れれば、“差し替え”がしやすくなる。


そのとき、視界の端に白い表示が滑った。


【Archive Index: updated】

【Change: 1 item】

【Detail: denied】


変化。

一項目だけ変わった。


心臓が嫌な跳ね方をする。

どれが変わったか分からない。

分からないなら、全体をもう一度“照らす”。


「一覧、もう一度確認する。棚札と棚番号、全部見る」


保管庫係の二人が頷く。

M-01も淡々と頷いた。


もう一度やる。

面倒だ。けれど面倒ほど強い。相手は面倒を嫌う。


A-shelf 2、印あり。

C-shelf 1、印あり。

B-shelf 4は直した。印あり。


一覧紙の見出しを、同じ順番で目で追う。

そして、目が止まった。


“事故報告 差し替え”


見出しの横に、小さな黒い点が付いている。

昨日はなかった点。


黒い点。

“注記”の印。


喉が、ひゅっと鳴る。

見出しだけなのに胸の奥が痛い。


事故。報告。差し替え。

それらが一本の糸で繋がると、嫌な形になる。


(でも今は触れない。触れたら奪われる)


アヤメは自分に言い聞かせるように、声に出した。


「見出しに印が増えた。注記が付いた」


保管庫係の男が眉をひそめる。


「注記? それは……誰が」

「分からない。だから形で止める。……M-01、一覧の封印を追加できる?」


M-01が淡々と言った。


「可能。封印を追加する。立会いが必要」

「ここにいる。お願いします」


封印は重ねるほど剥がしにくい。

剥がしにくいほど手間が増える。

手間が増えれば、どこかで痕が出る。


保管庫係が封印の布と蝋を用意し、封印を追加した。

追加封印の番号もつける。

署名を揃える。


“封の上に封”は強い。


封印が終わった瞬間、赤い帯が一度だけ濃く出た。


【— — — — —】


相手が嫌がっている。

嫌がっているなら、これで正しい。


――そう思った、そのとき。


保管庫の奥、さらに奥の小扉の方で、紙が擦れる音がした。

さっきも聞いた音。

そして今日は、近い。


保管庫係の女が顔を上げる。


「……今、誰かいた?」

男が首を振る。

「ここは俺たちと、あなたたちだけだ」


“だけ”。

だけなら、音がするはずがない。


アヤメは振り向かない。

代わりに足元の表示を見る。


白い表示の上に、短い行が滑った。


【Maintenance key】


一瞬で消える。

でも見逃さなかった。


“メンテキー”。整備用の鍵。

鍵は扉を開ける。棚を開ける。封を破る。

嫌な想像が一気に増える。


アヤメは手帳を開く衝動をこらえた。

書くより先に、止める。


アヤメは声を落とさずに言った。


「M-01。奥、確認。私の範囲で行ける? 三メートルだけ」

「許可する。立会いを伴う」


立会い。

保管庫係の二人がアヤメの横に付く。

怖い。でも怖いからこそ、形で補う。


三人で奥の小扉へ近づく。

隙間は暗い。暗い隙間は目を吸い込む。

吸い込まれないよう、アヤメは床を見る。床は現実だ。


床の石の継ぎ目に、薄い紙片が落ちていた。

端が小さく光る。港で見た形に似ている。

光る薄い紙は、人を痺れさせる。


(入れないための罠? それとも誘導?)


誘導なら、触らせたい。

触らせたいなら触らない。

触らない代わりに、封をする。


「封印袋」


保管庫係が封印袋を持ってくる。

布越しに紙片をすくい、袋へ入れる。

番号札。署名。時刻。場所。


封印した瞬間、紙が擦れる音が止まった気がした。

相手が引いたのかもしれない。

引いたなら、こちらの勝ちだ。


アヤメは小扉の前で止まった。

取っ手は冷たい。けれど触らない。

触ると“鍵”と関係ができる気がした。


M-01が淡々と言う。


「奥室の開扉は許可外。現状は封印物の回収に留める」


正しい。

今は入れない。

入れないなら、“入れない”を残す。


アヤメはチョーク板へ戻り、太く書き足した。


『奥室前 紙片回収 封印番号:——』

『表示:Maintenance key(1回)』

『音:紙が擦れる(1回)』

『開けない』


書き終えると、手のひらが少し汗ばんでいた。

汗は生きている証拠だ。影のない存在なら汗をかかない。


アヤメは息を吐き、M-01を見ずに言った。


「差し替えは音がしない。……だから、こちらが音にする。声にする。紙にする」


M-01は淡々と返した。


「適切」


その一言が、背中の冷たさを少しだけ押し返した。


点検を終え、扉の外へ出る。

外の潮の匂いが肺に入る。

匂いが入ると世界が少しだけ“現場”に戻る。


扉を閉める前、視界にもう一度だけ白い表示が出た。


【Archive Index: updated】

【Change: 0 item】

【Status: stable】

【Role timer: 67:32:10】


安定。

安定は勝った証拠でもある。

でも勝った証拠は、相手の反撃も呼ぶ。


港へ戻る道で、アヤメは手帳に短く書いた。


「棚札差し替え未遂(B-shelf 4)」

「旧札回収、封印」

「一覧に注記が増えた(事故報告 差し替え)」

「Maintenance key(表示)」

「奥室前:紙片回収」


書いて、最後に線を引く。

線を引いた瞬間、胸の奥が痛んだ。


“事故報告 差し替え”。


ただの見出しだ。中身は見えない。

でも見えないのに痛いのは――中身が自分に近いからだ。


アヤメは顔を上げ、遠くの港の煙を見た。

煙は現場の呼吸だ。呼吸があるなら、人はまだ勝てる。


小さく呟く。


「……ログ取ろ。差し替えの影も、改ざんできない形で残す」


そして胸の奥で決める。


次に保管庫へ入るときは、立会いを増やす。

札だけじゃなく、棚の端にもう一つ印を増やす。

“鍵”の気配が来ても、手順で押し返せるように。


差し替えは音がしない。

なら、こちらが音にする。

声にして、紙にして、町に染み込ませる。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


続きが気になりましたら、ブックマークや★評価をいただけると、とても励みになります。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ