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第12話:観測ロール(READだけの檻)

監査室を出た瞬間、朝の匂いがした。

潮でも薬草でもない。湿った石と、焼きたてのパンの匂い。遠くで鶏が鳴き、誰かが桶に水を汲む音がする。街は当たり前みたいに起きていく。昨夜、港門が裂けかけたことなんて、夢の残り香みたいに薄れていく。


でも、薄れないものがある。


ミナト・アヤメは手帳を胸に抱え、坂道の途中で足を止めた。

視界の端に、透明な枠が静かに浮いている。さっきまでの警告みたいな点滅はない。代わりに、淡い白い文字が冷たく貼りついている。


【Observer role: active】

【Permission: READ (restricted)】

【EXEC: denied】

【WRITE: denied】

【Log streaming: enabled】


檻だ。

名前のついた檻。

“観測”という言葉が優しく聞こえるのは、罠だ。観測は保護でもあるが、監視でもある。やっと気づいたわけじゃない。ただ、こうして文字にされると、胃の奥が重くなる。


隣にいるレイが小声で言った。


「……見えてる?」

「見えてる。観測ロール。読むだけ」

「動けない?」

「動けない。実行も書き込みもなし」


レイの眉が僅かに寄った。


「読むだけって、便利そうで一番残酷だね」

「うん。……現場が燃えてるのを見て、手を出せない」


口にして、喉が痛んだ。

自分は元々、火力もない落ちこぼれだ。手を出せないことには慣れているはずだった。けれど“出せるかもしれない手”を一度手にしてから奪われると、痛みが違う。


監査室の前の広場には、仮面の監査官が立っていた。

動かないのに存在感だけがある。目がないのに、見られている感覚が離れない。


そして、その傍らに——人間の書記、エド。

彼は昨夜より少しだけ疲れて見えた。手に紙束を抱えている。紙束はただの紙じゃない。規定と命の間に挟まる、薄い盾だ。


エドがアヤメを見る。


「……君の同席は許可された。だが条件がある」

「条件、って?」

「現場では勝手に口を出すな。許可を取れ。君の言葉は現場を動かす。動かすと責任が発生する」

「責任は……ログに残る」

「そう。残る。だから、許可を取れ」


許可。

今の世界では、許可がないと呪文が通らない。

それが現場の命に直結するようになった。理屈としては正しい。感情としては嫌だ。


仮面の監査官が声を出す。


「現場同行を開始する。対象:港門周辺の密売・偽装の検知」

「……密売」


レイが呟く。

港の荷が止まり、裏の取引が生まれる。人間の欲は規定の隙間に住む。そんなの、昨日見たばかりだ。


「密売人は?」


アヤメが問うと、仮面が淡々と答えた。


「拘束対象は別室で聴取中。追加の供給源が存在する可能性」

「供給源……欠片が出る場所」

「推測は不要。観測を行う」


推測は不要。

その言葉の冷たさに、アヤメは歯を噛んだ。推測があるから現場は救える。推測があるから先回りできる。

でも、規定側の言葉では“推測”は責任を曖昧にする。だから嫌われる。


港へ向かう道は、昨日より人が多かった。

朝の荷役が始まっている。だが人の顔に余裕がない。港門の検査が遅れ、荷が積み上がり、怒りが空気を重くする。


「結界、見える?」


レイがアヤメへ問う。

アヤメは首を横に振った。


「見えない。観測はあるけど、線は薄い。……読む窓だけ」

「読むだけで、何が分かる?」

「状況の“文字”。その代わり、手が出せない」


自分で言って、胸がきゅっと縮む。


港門に着くと、結界は見えないままでも“違い”は分かった。

空気が軽い。裂け目の気配はない。だが通りは細い。人の流れが詰まっている。


視界の端に、観測窓が淡く開いた。


【Port gate barrier: sealed】

【Throughput: limited】

【Inspection: strict mode】

【Crowd density: high】

【Risk: conflict】


厳格モード。

検査が重い。だから詰まる。詰まるから怒りが増える。怒りが増えるから事故が起きる。

人の流れは、水路と同じだ。詰まりがあれば溢れる。


「衛兵さん」


アヤメは門前の衛兵へ声をかけた。

声をかける前に、エドの言葉が刺さる。許可。

アヤメは一拍置き、仮面へ視線を向ける。


「……提案していいですか」

「許可する。簡潔に」


許可された。

その瞬間、胸がほんの少し軽くなる。許可という鍵で、言葉が通る。


「検査が厳格モードなら、列を一本にしないで、用途別に分けてください。生鮮と非生鮮、旅客と荷。混ぜると待ち時間が伸びて怒りが増えます」

「俺たちが分けても、守らん」

「守らせる手順を作る。札。縄。誘導係。……市場の列と同じです」


衛兵は苛立った顔をしたが、目は死んでいない。現場の人間は理屈が通れば動く。


「誘導係なんて余ってねえ」

「なら荷役頭に出してもらう。荷が止まれば困るのは荷役側です」


その瞬間、背後で太い声がした。


「誰が困るって?」


振り返ると、腕の太い男が立っていた。

顔は日に焼け、手の甲に古い傷がある。港の顔。

荷役頭だ。名前は知らない。けれど、こういう男は“名”より“役”で呼ばれる。


「荷役の頭さん。列が詰まってます。分けないと事故が増える」

「事故?」

「怒りが溜まって殴り合いになる。殴り合いになったら港門がまた不安定になる」


荷役頭は舌打ちした。


「結界なんて俺らには分からん。だが荷が止まるのは困る」

「困るなら、手を貸してください。誘導係を出すだけでいい」


荷役頭は一瞬だけアヤメを見つめ、そして笑った。笑いというより、鼻で鳴らした。


「小娘が偉そうに」

「偉そうじゃなくて、手順です」

「手順、ねぇ……」


荷役頭が周りを見回し、部下らしき男を二人呼んだ。


「おい。列を分けろ。札を作れ。生鮮は左、乾物は右。文句言う奴は俺が殴る」

「殴らないでください」

「脅しの比喩だ」


比喩にしては物騒だが、現場は時に物騒だ。

それでも動いた。人は動けば落ち着く。動かないと荒れる。


観測窓の文字が少し変わる。


【Crowd density: high -> medium】

【Risk: conflict reduced】


減った。

読める。読めるのに、自分の手で下げたわけじゃない。言葉で動かした。

言葉で動かすのは得意だ。けれど今は“言葉”も監査される。言葉もログに残る。言葉は武器になる。武器は狙われる。


仮面が次の指示を出した。


「次。偽装欠片の検知地点へ向かう」

「検知地点?」

「港の倉庫街。通行証を持たぬ者のアクセス試行」


通行証。

権限。

鍵。

世界が全部それになっていく。


倉庫街は朝でも薄暗かった。

高い木箱と石壁が光を遮り、通路は狭い。潮と油と木の匂い。荷車の車輪がきしみ、遠くで金槌の音がする。


視界の端に、赤ではない淡い警告が出た。

観測ロールでも、危険の“気配”は読めるらしい。


【Unauthorized access attempt: recent】

【Signature: masked】

【Target: warehouse node #3】


“マスクされた署名”。

偽装。

昨日のフードが言った「剥がれる」という言葉が脳裏をよぎる。欠片は落ちてるんじゃなく、剥がれる。なら、ここは“剥がれやすい場所”なのかもしれない。


倉庫の角で、仮面が止まった。

仮面の小型個体が箱を開け、光の針を伸ばす。針が空気を撫で、見えないものを探る。


「検知。ここに痕跡」


仮面の声が落ちた。

その瞬間、アヤメの観測窓に小さな行が流れた。


【Evidence: counterfeit token residue】

【Pattern: resembles maintainer signature (partial)】


維持者の署名に似ている。

整備者の署名。

母の影に繋がる単語が、また出る。


アヤメの喉が乾く。

似ている? なぜ?

母が関わった署名形式が、偽装欠片に使われている?

それとも、整備者の署名そのものが“偽装しやすい”のか?


「……質問していいですか」


アヤメは仮面へ言った。許可の鍵を使う。

仮面が短く答える。


「許可する」

「この“維持者署名”は、誰でも真似できるんですか」

「規定上、署名は複製困難だ」

「でも似てる。残滓が似てる」

「似ていることは、同一ではない」


冷たい。

だが正しい。

それでも現場では、似ているだけで事故が起きる。


仮面が続ける。


「対策。締め付けを強化する」

「締め付けると、裏が儲かります」

「裏は監査対象」


裏は監査対象。

対象だからって消えるわけじゃない。むしろ増える。

規定側は“対象”で満足する。現場は“減らない”で死ぬ。


エドが横から小さく言った。


「君の言う通りだ。でも、監査は一気に緩められない。緩めた瞬間、責任が監査に落ちる」

「責任、責任……」

「責任があるから、動ける。責任があるから、止まる。——君も同じだろ」


アヤメは言い返せなかった。

同じだ。だから嫌なのだ。


その時、倉庫の裏から足音がした。

人間の足音。急いでいる。隠す気配。


レイが反射的に一歩前へ出る。

だが、アヤメが袖を掴む。


「……止める係、お願い」

「分かってる」


レイは歯を噛み、立ち止まる。

見えない危険に飛び込まない。今はそれが役割。


仮面の大型個体が、足音の方角へ動いた。

石の足音が静かに近づく。

倉庫の影から、少年が飛び出した。顔が汚れ、手に小さな布包みを握っている。


「やべっ——!」


少年は走った。

走った瞬間、仮面の大型個体が腕を伸ばし、少年の肩を掴む。

掴んだだけで、少年の身体が硬直した。拘束具が働いたのだ。


「痛っ……! 離せ!」

「未認証の所持物を提示せよ」


少年は怯えた目で周囲を見る。

アヤメと目が合った。

その目に、見覚えがあった。市場で見た目だ。貧しい家の子。仕事を探している子。こういう子が、裏の餌になる。


「……待って」


アヤメの声が出た。

許可。許可が必要。

アヤメは仮面を見た。


「提案していいですか」

「許可する。簡潔に」

「この子を今ここで潰すと、裏はさらに深く潜ります。供給源に繋がる可能性がある。——聞き取りを、制限じゃなく“取引”で」


仮面の光が僅かに揺れた。

揺れたのは計算だ。感情じゃない。


「取引は規定外」

「規定外でも、現場は回ってます」


自分でも大胆すぎると思う。

でも言わなければ、少年はここで壊れる。壊れたら、残るのは怒りと報復と裏の拡大だけだ。


エドが息を吸い、言葉を整える。


「……規定内に落とし込む。『協力者扱い』だ。違反者ではなく、情報提供者として扱う枠がある」

「あるの?」

「ある。使われないだけだ」


使われない規定。

現場を救うために存在するのに、使われない規定。

それが一番腹立たしい。


仮面が一拍置き、言った。


「協力者枠を適用する。条件:情報提供。虚偽は即時拘束」

「……それでいい」


アヤメは少年へ視線を向け、声を落とした。

怯えを刺激しない声。市場で鍛えた声。


「名前」

「……ユ、ユウト」

「ユウト。持ってるの、何」

「……布包み。売れば……金に……」

「それ、欠片?」

「分かんねぇよ! 光るって言われただけで——」


ユウトの声が震える。

嘘ではない震え。貧しさの震え。


アヤメは頷き、仮面へ向けて言った。


「提示させてください。ここで暴かない。周りが見てます。見られると、裏が逃げる」

「許可する。場所を移す」


場所を移す。

それができるなら、まだ救える。


倉庫の角の小部屋に移動した。

薄暗い。木箱の匂い。外の音が少し遠くなる。

仮面の大型個体が入口に立ち、逃げ道を塞ぐ。小型個体が光の針を準備する。


ユウトが布包みを机に置き、震える手でほどいた。


中から出てきたのは、小さな薄い板——欠片に似ているが、表面の刻印が粗い。

アヤメの視界の端で、観測窓が淡く反応した。


【Token-like object: suspected counterfeit】

【Signature: masked / inconsistent】

【Risk: unstable】


偽物。

不安定。

もしこれを使えば、事故が起きるタイプだ。


「誰に渡された」


アヤメが問う。

ユウトが唇を噛み、視線を泳がせる。


「港の……裏の路地。……“先生”って呼ばれてた」

「先生?」

「顔は見せねぇ。手袋。声だけ。……欠片を拾えば、飯が食えるって」


先生。

そう呼ばれるやつほど危ない。

人を餌にするやつは、自分を“教える側”に置く。


エドが仮面に小声で言った。


「これは供給源に繋がる。……港門だけじゃない。倉庫ノードに寄生してる」


寄生。

その言葉が嫌なほど似合う。

規定と現場の隙間に、欲が寄生している。


仮面がユウトへ言った。


「協力者。追加情報を提供せよ。先生の特徴。場所。時間」

「……夕方。潮が引く頃。路地の奥。酒場の裏。……手袋、黒。指が……細い」

「声の特徴」

「……笑わない。怒鳴らない。淡々としてる。……怖い」


淡々。

怒鳴らない怖さ。

仮面と似ている。

でも人間の淡々は、選んで淡々としている。そこに悪意がある。


アヤメは手帳を開き、ユウトの情報を箇条書きにした。

書く。書けば、次の手順が作れる。

観測ロールで手が出せないなら、手順で手を伸ばす。


その瞬間、視界の端で小さな通知が流れた。


【Observer note: subject shows effective field translation】

【Recommendation: assign as audit liaison】


推薦。

監査側からの推薦。

“使う”の匂いがする。

でも使われるなら、現場を守るために使い返す。


エドがアヤメの手帳をちらりと見て、言った。


「君のログは、現場だけじゃなく規定側も動かす」

「動かしたい。……でも檻がある」

「檻は外れない。だが檻の中でも、できることはある。君はそれをもうやってる」


褒め言葉に聞こえるのが怖かった。

褒められると、その方向へ歩かされる。

でも、歩くしかない。


仮面が言った。


「本日の監査行動:潜入調査。協力者ユウトは保護対象。現場での単独行動は禁止」

「……はい」


単独行動禁止。

当然だ。昨日みたいな危険は繰り返せない。

しかし同時に、単独でしか見えないものもある。

その葛藤が胸に刺さる。


小部屋の外へ出ると、港の朝が動いていた。

荷車が通り、縄が張られ、列が分かれて流れが少し良くなっている。アヤメの提案が現場に残っている。

残っているのに、自分の手で直したわけじゃない。


観測窓が淡く表示を変えた。


【Port gate throughput: limited -> improving】

【Conflict risk: medium -> low】


改善。

読める。

読めるのに、手は出せない。


アヤメは手帳を閉じ、受領札の上に重ねるように握った。

札とログ。

この二つが、今の自分の武器だ。


そして、胸の奥で静かに呟いた。


「……檻の中でも、ログは取れる」


言葉にした瞬間、視界の端で小さな白い点が灯った。

誰にも見えない、細い細い通知。


【Message pending: admin-tier】

【Do not open in public】


息が止まる。

管理者級。

また“上”がこちらを見ている。


レイが横で、気づいたように声を落とした。


「顔、青い。何か来た?」

「……来た。上から。……でも、今は開かない」


開かない。

開けば終わるかもしれない。

開かなければ、何も進まないかもしれない。


それでも今は——現場が先だ。

現場を守るのが、アヤメの手順だ。


港の路地の奥、夕方の潮が引く頃。

“先生”のいる場所へ。

檻の中からでも、そこへ辿り着く手順を作る。


アヤメは小さく息を吸い、笑ってみせた。

笑ってごまかす癖が、今日も出る。


「いや、仕様って……。忙しいね」


レイが苦笑して、頷いた。


「忙しい。……でも、やろう」


港の朝は眩しい。

眩しいほど、影が濃くなる。

ここまでお読みいただきありがとうございます。


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