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第十二話 雨はまだ止まない

梅雨の時期になり、窓の外は朝からずっと雨だった。

しとしとと降り続く音が、自習室の静けさをより際立たせている。


天城先生の「テスト前は自主勉強しろ」という一言で、

俺たち四人は放課後もこうして残っていた。


黒崎はホワイトボードの前でチョークを走らせ、

神崎はその隣でノートを開きながら眉をひそめている。


黒崎「だからこのXをこっちに移項するんだ。ほら、闇の法則その一――“バランスは常に保たれる”」

神崎「闇の法則とか言うな! 普通に数学の話して!」

黒崎「ふっ、言葉の本質を理解できぬ者に解答は見えぬ……」

神崎「うるさい! てかなんであんたそんなにできるの!?」


黒崎はさらりとペンを回して、神崎のノートに式を書き込む。

その手つきが妙に手慣れていて、俺と綾瀬は顔を見合わせた。


綾瀬「……黒崎さん、教え方うまいね」

魔宮「というか、あいつほんとに頭いいんだな……」

黒崎「当然。我が知識は闇より深い」

神崎「そういうこと言うから台無しなの!」


外では雨脚が少し強くなり、窓を叩く音が響いた。

天城先生が職員室に戻り、室内には四人だけ。

黒崎と神崎の言い合いが続く中、時計の針が六時を回る。


神崎「もう無理! 頭パンクする!」

黒崎「ふ、まだ第七公式に至ってもいないのだが……」


魔宮「もういいだろ。続きは明日な」

神崎「はーい……」


神崎がだらりと伸びをして立ち上がる。

黒崎もノートを閉じ、傘を手にした。


黒崎「では、我らは先に帰還する」

神崎「“帰還”とか言わなくていいから魔宮とあやちは帰るときく?

魔宮が俺らはまだ勉強しとくよという


ふたりが出ていき、残ったのは俺と綾瀬だけだった。

部屋が静まり返り、雨の音が一層はっきりと聞こえる。


綾瀬「……ふふ、あの二人、仲いいよね」

魔宮「ケンカしながら仲いいタイプだな」


綾瀬はペンを置いて、小さく息をついた。

窓の外、街灯の下に雨の筋が光っている


魔宮「……にしても、雨止まないな」

綾瀬「うん。朝からずっと降ってるね」


窓の外を見つめる綾瀬の横顔。

その肩には、部活で使っている“シスター服”の名残――白いフードつきの上着がかかっていた。

光を受けて、淡く滲むように見える。


正直、似合いすぎてて反応に困る。

宗教的というより、どこか幻想的で――ただ、純粋に“かわいい”と思った。


「……そろそろ帰ろっか」

綾瀬がノートを閉じながら、少し照れたように笑った。

「うん」

俺も頷き、椅子を引いたそのとき――綾瀬がもじもじと立ち止まった。


「どうした?」

「えっと……その、私の傘が……ないの」


「傘?」

思い返す。そういえば――黒崎が帰るとき、似たようなのを持ってたような。


「あー……あいつ、持ってったな」

俺は額を押さえてため息をついた。


綾瀬は困ったように笑う。

「どうしよう……この雨の中、走ったらびしょびしょになっちゃう」


俺は鞄から自分の傘を取り出して、軽く広げた。

「俺の傘で、一緒に入って帰ろうか」


綾瀬が目を瞬かせて、頬をほんのり染める。


校門を出た瞬間、冷たい雨の匂いがふわっと広がる。

街灯の光が水たまりに反射して、足元がゆらゆらと揺れていた。


魔宮が傘を差し出す。


魔宮「ほら、入れよ」

綾瀬「うん、ありがとう」


彼女が一歩近づく。

肩がほんの少し触れた瞬間、心臓が跳ねた。

傘の下、空気が静かになる。

外では雨音、近くでは――綾瀬の息の音。



綾瀬の髪から、しずくが一滴落ちて、魔宮の手の甲に触れる。

その冷たさに、なぜか妙に現実を感じた。


綾瀬「ねぇ、こうして歩くの、なんか変な感じだね」

魔宮「何が?」

綾瀬「いつも部室にいるのに、外で一緒にいるの、初めてだなって」


言われて気づく。

放課後の静かな廊下、教室の光――全部、校舎の中だった。

今はそれが背中のほうで、

雨の音が“ふたりだけの世界”を包んでいる。



横を見れば、綾瀬の横顔。

白いフードが少し濡れて、頬に貼りついていた。

街灯の光が反射して、まるで発光してるみたいに見えた。


「ねー、もし“なんでも言うこと聞く券”ゲットしたら、魔宮くんは誰に使うの?」


唐突な質問に、魔宮は眉をひそめた。

「……俺か?」


少し考えるふりをしてから、肩をすくめる。

「天城先生に使うかな。“俺はこのふざけた部活を抜けます”って言う」


「――え?」

綾瀬が足を止めた。


雨のしずくが、彼女の髪先からぽた、ぽた、と落ちる。

その声には、わずかに怒りが混じっていた。


「……なんでよ、それ」


「どうした?」

魔宮も足を止め、首をかしげる。


綾瀬は頬をふくらませ、じっと魔宮を見上げた。

「抜けるとか……悲しいこと言わないでよ」


その表情があまりにも真っすぐで、魔宮は目をそらした。

「……悪い。冗談だって」


「もう……そういう冗談、嫌だ。」


静かな雨音が、ふたりの間に落ちる。

どうやら綾瀬にとって、“聖心部”は本当に大切な場所らしい。

――いや、きっと“人とのつながり”そのものが、彼女にとっての救いなんだろう。


「じゃあ、綾瀬は誰に使うんだ?」

魔宮が少し笑って尋ねる。


「うーん……そうだなぁ……」

綾瀬は腕を組み、片手で顎をさわりながら考え込む。

そのままふたりはゆっくり歩き出した。


駅の近くに差しかかったころ、コンビニの明かりが雨の中に滲んでいた。

光の下には、三人の男たちの影。




制服じゃない――どこか荒んだ空気を纏っている。


ひとりが口笛を吹きながら、綾瀬の姿を見てニヤリと笑った。

「おい、見ろよ。シスターのコスプレじゃね? なに、撮影帰り?」

もう一人が下品に笑う。

「てか、普通にかわいくね? ちょっと話しかけてみようぜ」


綾瀬がびくっと肩を震わせた。

その反応に、やつらの笑い声が広がる。


魔宮は軽く舌打ちをした。

「気にすんな。早く行くぞ」


傘の柄を少し傾け、綾瀬の肩をそっと引き寄せる。

そのまま早足で駅の方へ歩く。

雨が強くなってきて、傘の上で水音が激しく跳ねた。


けれど――背後から、靴の音が三つ、ついてくる。

コン、コン、と濡れたアスファルトを踏む音。


魔宮……つけてきてる


一瞬で、空気が変わった。

冷たい雨よりも冷たく、背筋に電気が走るような感覚だ。


トンネルの中は、雨音が反響していた。

外よりも少し暗く、湿った空気が肌にまとわりつく。

切れかけた蛍光灯が、ちらちらと点滅している。


魔宮は歩きながら、小さく息を吐いた。

「……綾瀬、このトンネルを抜けたら、傘を持ってダッシュで逃げろ」


綾瀬が不安そうに顔を上げる。

「でも……魔宮くんは?」


「俺は、あいつらを止める」

淡々とした声だった。まるで、もう決まっていることのように。


「危ないよっ!」

綾瀬の声が震える。

それでも、魔宮は小さく笑った。


「おれ、“聖桜の悪魔”って呼ばれてんだぜ? 大丈夫。

ちゃんと聖心部に戻ってくるよ」


照明の光が彼の横顔を照らす。

その笑みは、不思議と穏やかだった。

まるで、嵐の中で笑うような強さがあった。


綾瀬は唇を噛み、うつむく。

「聖心部に戻ってくる約束だよ!」

その声はかすかで、雨音にかき消されそうだった。


トンネルの出口が近づく。

雨の匂いが強くなる。

あと数メートル――。


「綾瀬、大丈夫か?」

「……うん……」


その返事は、小さくて、泣きそうで、

それでも確かに前を向いていた。


――抜けた瞬間。

綾瀬は傘を握りしめ、雨の中へ駆け出した。

白いフードが、街灯の光と雨の粒の中で滲むように揺れる。


魔宮はその背中を見送りながら、ゆっくりと振り返った。

トンネルの奥から、三人の影が歩いてくる。

足音が、コツン……コツン……と響く。「なんだよ、かわい子ちゃん逃げちゃったじゃん」

ひとりが笑いながら言う。

「そういうの冷めるんだよねぇ。ちゃんと引き止めてくれなきゃ」


魔宮は静かに答えた。

「悪いな。もう帰ったんだ。……それに、喧嘩する気はない」


その穏やかな声が、かえって相手を苛立たせたのか、

不良のひとりが舌打ちして前へ出る。


「は? 何カッコつけてんの、逃げ腰かよ」


言葉のあと、拳が飛んできた。

魔宮はわずかに体を傾け、紙一重で避ける。

湿った風が頬をかすめた。


「おい、ふざけんな!」

もうひとりが蹴りを放つ。

それも、ひらりとかわす。

だが、反撃はしない。


魔宮は綺麗に身をかわし、代わりに相手の肩を軽く押して距離を取る。

攻撃はせず、ただ“受け流す”。

その動きは冷静で、どこか訓練されたような静けさがあった。


「悪いが、相手にするつもりはない。……喧嘩する気も、恨みもないんだ」

声は落ち着いていたが、その瞳には一切の油断がなかった。


「お願いだから――手を引いてくれないか」


雨音と蛍光灯の点滅の中、その言葉だけが静かに響く。

だが、不良たちは止まらなかった。


「はっ、なに正義面してんだよ!」

「ムカつく顔してんだよ、テメェは!」


怒号が響いた瞬間――

背後で空気が動いた。


魔宮が振り返るよりも早く、

鈍い衝撃が頭部に響いた。


「――ッ!?」


視界がぐらりと揺れる。

一瞬、呼吸が止まる。


振り返れば、そこには折れた折りたたみ傘を握る男が立っていた。

殴った勢いで骨が折れたのか、金属の芯がむき出しになっている。


額から血が流れ、視界の端に赤がにじんだ。

「クソッ……」

崩れかけた膝を無理やり支えながら、ゆっくりと顔を上げる。


その瞬間、不良のひとりがにやりと笑った。


「……あー、やっぱりどっかで見たと思ったわ。

喧嘩無敗の――魔宮辰巳、だよな?」


魔宮の表情が一瞬だけ動く。

額から血を流しながら、魔宮は再び顔を上げた。

壁に手をつき、ふらつく足を無理やり踏ん張る。

それでも――その瞳だけは、まっすぐだった。


「……お前らが、可哀想で仕方ねぇよ」

掠れた声が、トンネルに反響する。


頭の中に、一瞬の光景がよぎる――

部室で笑い合う綾瀬の声、黒崎が机に向かいながら冗談を飛ばす顔、

神崎がぶつぶつ文句を言いながらも、楽しそうにカードを並べる姿。


放課後の静かな自習室で、綾瀬がわからないところを黒崎が教えている――

小さな手助けに、みんなで笑ったあの瞬間。

雨の日に窓の外を見ながら、何気ない話をしていたあの時間。


魔宮は思わず拳を握る。

「喧嘩でしか威張れねぇ毎日。

 笑いあうことも、助けあうこともねぇ。

 人のぬくもりを感じることもなく、

 そんな空っぽの中で――生きてんだろ!」


トンネルに怒声が響いた。

顔を真っ赤にして、キレた不良が折りたたみ傘を振り下ろそうとしている。


「……ごめん、綾瀬。約束、守れそうにないかも……」

魔宮は小さく呟き、目をぎゅっと瞑った。心を決める。


その瞬間、低く厳しい声が響く。

「やめなさい!」


警官の声だ――。

「やべっ、逃げるぞ!」不良たちは慌ててその場を離れ、トンネルの出口へ駆け出した。


視界がぼんやりと揺れる中、遠くから聞こえる声があった。

「魔宮君! 魔宮君!」


それは綾瀬の声。雨音の向こうで、確かに響いた。


だが、意識はどんどん薄れていく。

視界は狭まり、色が滲み、音が遠くなる――。

心臓の鼓動だけが、かすかに自分を現実に引き留めていた。

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