第九話 闇に立つ仮面
夜になり、聖桜学園はすっかり昼とは違う顔を見せていた。
校舎の窓は真っ暗で、風が吹くたびに木々がざわめく。
「……やっぱ、夜の学校って不気味に見えるよな」
思わず独り言が漏れる。
昼間はただの学園なのに、夜になるとまるで別の世界に見えるのはなんでだろうな。
俺は懐中電灯を片手に、集合場所である修道院の前へ向かった。
月明かりに照らされたその建物は、どこか神聖というより――むしろ不気味で、背筋がぞくっとするほど静まり返っている。
そのとき、背後から明るい声が響いた。
「やっほー、魔宮〜!」
――神崎だ。
振り返ると、手首に数珠を三本も巻いて、にっこにこしている。
「……おまえ、それ何だよ」
「え? 除霊セット。これで“声の主”が出ても大丈夫っしょ?」
「どう見てもただの宗教混合ファッションだろ!」
「うっさいな〜、信心は自由でしょ?」
神崎はぷいっと顔をそらす。(……どこが信心だよ。完全に夜遊び仕様じゃねーか)
すると、後ろから少し息を切らした声が聞こえた。
「ご、ごめん、お待たせ!」
綾瀬だ。
いつも通りの笑顔で、なぜかでかいリュックを背負っている。
「おい綾瀬、その荷物どうした。ピクニックか?」
「違うよ! ちゃんと準備してきたの!」
そう言って、綾瀬は嬉しそうにリュックを開ける。
中には――十字架、ニンニク、そして銀のスプーンがぎっしり。
「……おまえ、相手はヴァンパイアじゃねぇぞ」
「えっ、違うの!? だって怖いときってだいたいコレ効くじゃん!」
「いや、ジャンルが違ぇんだよ……」
綾瀬はさらに胸を張って言う。
「それにこれ! 水筒の中、聖水だから!」
「……うん、それ多分、水道水だろ」
「違うよ!ちゃんと“神の名のもとに清めてください”って唱えたもん!」
神崎が隣で腹を抱えて笑っている。
「やば、二人とも方向性バラバラすぎ! ホラーよりカオスだわ!」
(……ほんと、なんでこいつらと夜の学校に来てんだ俺は)
「じゃあ、行くぞ」
俺がそう言って、重々しい修道院のドアに手をかけた。
ギィィ……と金属が軋むような音を立てて、ドアがゆっくり開く。
中は真っ暗。
昼間見たときとまるで違う――静寂が張りつめている。
空気がひんやりしていて、足を踏み入れるたびに床がわずかに鳴った。
「……やっぱり雰囲気あるな」
神崎が冗談めかして言う。
「とりあえず電気つけるぞ」
俺は壁のスイッチを探り、パチッと押した。
瞬間、部屋がパッと明るくなる。「ほら、なんだ。電気ついたらもう怖くないだろ」
そう言って肩の力を抜いた、その――次の瞬間だった。
――バチンッ!
突然、照明が消えた。
真っ暗。息をのむ音だけが響く。
そして――
カラン。
何かが床に落ちる小さな音。
「ひゃっ!?」
「うわぁっ!」
「きゃあああ!」
三人同時に叫んだ。
俺は思わず懐中電灯をつけた。
光の円が床を照らすと――そこには、転がったミニ聖母マリア像があった。
しかも……真っ二つに割れている。
「……あ、あれ? これ、俺が買ったやつじゃん!」
神崎が叫ぶ。
「え、買ったのかよ!」
「そうだよ! 名前もちゃんとつけてたのに!」
「名前!?」
「スザンヌ!」
「スザンヌって誰だよ!」
「聖母マリアの“スザンヌ様”だよぉぉ! なんで壊れるのぉ!」
神崎は割れた像を抱きかかえ、涙目で崩れ落ちる。
その姿にツッコミを入れる気力も出なかった。
……だって。
綾瀬が、真剣な顔で像を見つめていたからだ。
「これって……最後に見たの、部室だよね?」
「え?」
俺と神崎が同時に顔を上げる。
「つまり……誰かがここに持ってきたってこと?」
沈黙。
俺たちは、顔を見合わせる。
……つまり――
「わ、わたしたち三人以外に……他に人がいる……?」
綾瀬の言葉に、背筋がぞくっとした。
そのとき――
修道院の奥から、カタ……カタ……と何かが動く音がした。
神崎が小声でつぶやく。
「……スザンヌ、怒ってる……?」
「黙れぇぇぇっ!!!」
俺と綾瀬の声が、見事にハモった。
「……っ、いまの音、聞こえた?」
綾瀬が息をのむ。
修道院の奥――闇の向こうで、何かがゆっくりと動いているような音がする。
神崎はスザンヌを抱いたまま、震えながら言った。
「な、なんかマジでヤバい気がする……スザンヌが言ってるもん……“帰れ”って……」
「スザンヌ喋んのかよ!!」
俺のツッコミが響いた直後――
――ギィィ……。
まるで、誰かが扉を開けるような音。
三人の視線が、一斉にその方向へ向いた。
俺は手の震えを押さえながら、懐中電灯をそっと向ける。
光の先に――白い仮面をかぶった人影が立っていた。
「……っ!!」
仮面の下の目が、じっとこちらを見ている。
微動だにしない。まるで、俺たちを“観察している”かのように。
「きゃああああ!!!」
「ぎゃあああああ!!!」
「スザンヌううううう!!!」
三人の絶叫が重なった。
次の瞬間、俺たちは全力で廊下を駆けだした。
階段を駆け上がり、息を切らしながら二階へ逃げ込む。
神崎はスザンヌを抱きしめたまま叫ぶ。
「絶対バチ当たったって!スザンヌ割ったから呪われたんだって!!」
「落ち着け神崎!スザンヌ関係ねぇ!!」
「ある!スザンヌの魂が怒ってるの!!」
「ねぇ、二人とも……!」
綾瀬が震える声で指をさす。
階段の下――
懐中電灯の光が届くギリギリの暗闇の中で、
さっきの仮面の人影が、ゆっくりとこちらを見上げていた。階段を駆け上がり、足音が木造の床を叩く。
「早く!早く!」
綾瀬が半泣きで叫ぶ。
背後で――カタ……カタ……と、あの足音が追ってくる。
「やばいやばいやばい!!!」
神崎はスザンヌを抱きしめたまま、ほとんど四つん這いで階段を登る。
「絶対バチ当たったって!スザンヌ割ったから呪われたんだって!!」
「落ち着け神崎!スザンヌ関係ねぇ!!」
「ある!スザンヌの魂が怒ってるの!!」
「だからスザンヌに魂ねぇっての!!」
俺はドアを乱暴に開け放つ。
「とりあえず部室だ、部室に行くぞ!!」
三人は息を切らしながら、半分パニックのまま部室へ飛び込んだ。
「ねー、これからどうするの?」
神崎が息を切らしながら言う。
魔宮は腕を組んで「うーん」と唸ったあと、真顔で言った。
「とりあえず……あの仮面は幽霊じゃないな。足、あったし」
「あーたしかに!」
綾瀬と神崎が同時にうなずく。
でも、その“たしかに”が逆に怖かった。
――“人間”だったら、なんであんな時間にあんな所にいたんだ?
魔宮が顎に手を当てて考え込んでいると、ふいに腕を引っ張られた。「……ん?」と振り返ると、そこには綾瀬。
「魔宮くん、トイレ行きたい」
「…………は?」
真剣そのものの顔で言う綾瀬。
その目はまんまるで、月明かりを映して透き通っていた。
――てか、こんな状況で可愛いのずるいだろ。
修道院のトイレは一階の右側にある。
つまり、俺たちの部室がある二階の左棟とは――真反対だ。
「神崎。俺、綾瀬と一階行くけど……おまえどうする?」
神崎は即答した。
「行くに決まってんでしょ! 一人で残るとか絶対イヤ!!」
「いや、別に置いてかねぇけど……」
「トイレって……まさかあの真っ暗な廊下の奥の!?」
「そこしかねぇだろ」
神崎の顔が一瞬で青ざめた。
「……スザンヌ、守ってね……」
胸元の割れたマリア像をぎゅっと握りしめる。
魔宮はため息をつき、懐中電灯を持ち直した。
「よし。じゃあ――行くか」
三人は、再び闇の階段を下り始めた。




