#04 表現的実在性の無限をつくやつ
キリスト紀元(西暦)1571年9月23日
「ニコシア要塞が、……陥落いたしました」
「な――ッ」
「そんな、まさか!?」
「遂にこのときが……」
「くそっ、神聖同盟はいったい何をしている!」
凶報舞い込む。
そんなキプロス島東部、主要都市ファマグスタにある要塞基地の一角に設えられた将校専用のミーティングルームに天彦たちはいた。
だが居心地は控えめに言ってゲロ以下である。
何しろ天彦たちが来てからというのも、届く報せのすべてが敗北の一報ばかりなのだから。何やら今しがたには首都まで陥落したそうだし。それは良いはずがないだろう。
むろん天彦とて客だが無関心は貫いてはいない。我が事のように舞い込む凶報に恐々と小さな肩を震えさせてそれっぽいリアクションは取っている。
事実、結果がわかってはいてもいい気分のするものではない。敗北の報せというものは。
故にさすがの天彦も、肩身の狭い立場を見える化させたように隅っこで小さく縮こまっていた。
もちろん気分では。
「茶を持て」
「はっ」
束帯を着込んでいるだけでも悪目立ち甚だしいところを、如何にも権高く振舞っていてはそれは耳目を集めてしまう。たとえそれが天彦の望む態度ではなかったとしても。
はい。天彦は菊亭天彦を演じることを余儀なくされていた。自称一の御家来さんを除くすべての家来の総意によって。
「若とのさん」
「なんやお雪ちゃん」
「行き過ぎると、魔女認定されるらしいですよ。気ぃつけてくださいね」
「……お雪ちゃん」
「はい」
「さては――」
「ほんまもんです。以前ラウラに教わりました。こちらの作法とやらを」
「ほーん」
「なんですの、そのお顔さんは」
「かわいいさんやろ」
「どぶ――ふがふがんが」
やめとけしばく。
しかし勉強熱心なことで。
益々確信を覚えてしまう。やはり雪之丞は世界を股に掛けるあの夢物語を、本気の真剣に捉えていたのだと実感して、天彦は改めて軽口を控えようと自分に言い聞かせる。
やはり侍とは人種が違う。このエピソードをその一言で片付けてさて。
天彦の命を受けて茶を所望した是知の下へ紅茶セットを運んできたのは、幸運の騎士ことアイモーネ=マリピエロであった。
やや彫が深いこと以外は特別アングロサクソンを意識させない好青年な彼は、なぜかすっかり天彦の魅力(笑)に魅了されていた。
魅了されているとしか思えない態度で終始応接するアイモーネだが、当然だが単に天彦の魅力(笑)に魅了されているばかりではなく、実質的な恩恵を天彦の登場によって受けていた。
天彦が流れ着いたニコシアが彼の本来の配属先であったのだが、外国の貴人を預かってしまったばっかりに、こうして戦渦から遠ざかった東部ファマグスタに避難しなければならなくなった。
そして彼の配属先は転居したまさにその当日、すなわち本日、見事に業火に沈んでいる。
天彦はアイモーネにとっても幸運を運ぶ青い鳥なのだった。
そして移動の最中も為人を知るためになのか、彼らはお互いに対話を重ねすっかり意気投合して今に至っている。
天彦の教養ならば大抵の知識人の関心は引けるとしても、波長が合うかは運による。やはりここでも天彦は見えざる何らかの力を感じていた。
それを運命というチープな言葉で片付けてしまう程度には、この出会いに偶然以上必然未満の何か運命的な感覚を覚えていたのだった。
猶、大冒険家マルコポーロの記した東方見聞録はこのヴェネツィア共和国では300有余年たった今でも、未だに重版出来の傑作として市民に広く親しまれているため、黄金のジパング伝説はかなり利用できるネタだった。
「マーキス、お加減は如何かな」
「おおきにさん。お蔭さんで良くも悪くもあらへんで」
「それは何よりだ。気を付けてくれよ。これ以上外国から攻め込まれたら本国はひとたまりもないからね。ははは」
「余裕あるやん」
「ふっ、だったらいいんだけど」
一昨日は天彦は移動と気疲れによる発熱を発症していた。それを気遣っての労いであろう。
そんな心優しいアイモーネに、心意地汚い小悪党は、まるでではなく付け込むべく効き目抜群を確信している悪魔の囁きをそっとつぶやく。
まるでそれを見てきたかのように真に迫って。
「アイモーネ、ひとつええか」
「改まってどうしたんだい。深刻な相談なら別室を用意させるけど」
「いいやそこまでの話やない」
「そうかい。だったらどうぞ」
「ん。実はな――」
天彦はこれから起こる史実の出来事を自身が練った作文と併せて語って聞かせた。
むろんそこには推測や状況証拠の積み重ねもあると留意させた上で、けれどこの状況にある者なら絶対確実に耳を傾けざるを得ない、迫真の情報を開示してみせたのだった。
それはこうだ。
第四次オスマン帝国×ヴェネツィア共和国戦争(キプロス戦争)は、1570年から1573年のオスマン帝国とヴェネツィア共和国が衝突した戦争である。
後にヴェネツィアを含む神聖同盟(教皇領、スペイン王国、ジェノヴァ共和国、サヴォイア公国、聖ヨハネ騎士団、トスカーナ大公国)も参戦することとなる大戦であり、セリム2世治下のオスマン帝国がヴェネツィア支配下のキプロス島に侵攻したことで開戦した。
数で圧倒的に勝るオスマン帝国軍が短期間で主要都市ニコシアなどキプロスの大部分を制圧し、ヴェネツィア側にはファマグスタのみが残るという事態に陥った。
キリスト教圏諸国からの援軍到着も遅れ、ファマグスタは11か月にわたる包囲戦の末に1571年9月21日(史実8月某日)に陥落することとなった。←今ココ
キプロス陥落の2か月後にキリスト教連合艦隊がレパントの海戦でオスマン海軍を破ることとなるのだが、神聖同盟はこの勝利を十分に生かすことができなかった。
と同時にヴェネツィア共和国側も、神聖同盟をそれほど重要視していなかった。というよりむしろ警戒していた節が強い。
というのも裏ではオスマン帝国と秘密裏に交渉を重ねていて、戦勝に沸き立つキリスト教圏諸国の反応を冷ややかな冷笑を浴びせかけるかのような秘密外交を展開することとなるからだ。
そう。ヴェネツィア共和国議会は決断する。惨たらしい大虐殺を敢行し夥しい戦死者を出した敵国オスマントルコ帝国と密約を結び、キプロス島を完全譲渡した上で30万ドゥカートの貢納金を支払ってまで、自国のアイデンティティである交易を優先させることとを。
この決断が英断かそれとも大失策かは、すぐに史実が証明することとなる。
なぜならレパントの海戦で大敗を喫したオスマン帝国だったが、即座に海軍を立て直して反攻に転じることとなるからだ。
どうにか戦渦を収めたいヴェネツィア共和国側と、戦線がどれほど拡大しようがイスラム教圏オスマン帝国を叩きのめしたいキリスト教圏諸国とでは意見の食い違いが生じて尤もであり、単独講和を結ぶことは半ば迫る状況を前にしての必然でさえあったのだった。
だからここでの粘りはすべて無駄。そして散っていった命はぜんぶ無駄死に。憐れなことに。
――と、いった内容を魔女狩りや予言者扱いを受けないレベルにまで巧みに落とし込み、けれど教養あるものならそれが極めて事実に即した内容であることを理解できる内容に変換して語って聞かせた。
理解のある者なら、ここファマグスタからの撤退、もしくは退避を決めるのに秒とかからないはずである。はずなのに。
「……言いたいことはすべてわかった。おそらくその通りになるのだろう」
「ほな」
「ありがとう。けれど僕はここを離れない。離れることはできないんだ」
この弁を受け、天彦はやや落胆の色を双眸に浮かべつつ、けれど取り立てて粒立てることはしなかった。
ただ一言、城を枕に討ち死にか。とだけ言って片付けるのだった。
むろんその文脈には、案外お前さんもしょーもない人種やったんやな。という飛び切り特級の皮肉が込められていることは明らかである。
するとアイモーネは行間を読んだのだろう。皮肉な笑みを浮かべると、
「あはは。騎士道に興じられたらいいんだけどね」
「なんや違うとでも申すんか」
「……それを語るにはマーキス。僕と君との関係性を今以上更に深めないことにはね。そうだね、ざっと100年ほどは煮詰めたいね」
その応答を受けて天彦は愛用の扇子をぱちん、ぱちん。
すっかりお馴染みとなった小考状態を表す集中モードに入っていた。
むろん天彦も必死だ。何なら明日をも知れなかった寺子屋の境内の時代よりも懸命に足掻いているのかもしれなかった。
真剣な眼差しで何事かを思案していたが、ややあって、左目をきつく眇めると愛用の扇子をビシ――!
使い込まれた先端をアイモーネに差し向けた。そして、
「百年の呪いごとき笑止千万。身共は千年の業を背負って生まれ落ち、抗い続けて今に至る」
「……そういえば1500年続く都が故地だったね。マーキス、お互いに苦労が絶えないね」
「アイモーネ。お前さんの事情とやらが、遡ること百有余年前のご先祖さんに纏わる事情なら、悪いことは申さん。すべてこの身共に託すがええさん」
「話せないと言った心算だけど」
「これを訊いても考えが変わらんかったら諦めよ。ええかアイモーネ、この菊亭天彦はお前さんが背負っている宿業ごとすべて祓える世界でただひとりのお人さんやで」
「我が家名を、マリピエロ家を舐めているのかい」
「仮に貴家を軽んじているんなら、とっくにこの場から退避してると申したろ」
…………。
いったい彼は何をほざいているのか。私の何を理解できるというのか。
終始柔和だったアイモーネ=マリピエロの双眸に、少しの怪訝と大いなる苛立ちの感情が浮かぶのだった。
【文中補足・考察】
1、ファマグスタ
キプロス東部・ファマグスタ地方の主要都市。湾の中央部にありキプロスで最も水深のある港がある。
2、16世紀・西欧の服飾
16世紀はヨーロッパ史における近世の始まりに当たる時代である。
16世紀に入ってそれまでの領主に対する領民から国家に対する国民というように、国家に対する帰属意識が徐々に認識されていく。
このころのファッションに関して「ドイツ風」「イタリア風」「フランス風」「スペイン風」「トルコ風」というように、国名を冠したスタイルが貴族の日記や小説にひんぱんに見られるようになっている。
外交官のバルダッサーレ・カスティリオーネは、各国のファッションが宮廷に入り乱れる中で貴顕の人にふさわしい服装として、「フランス風」は仰々しく「ドイツ風」は簡素すぎるからいずれにしてもイタリア人によって手直しされたものがよいと述べている。
さらに色彩に関しては普段使いのファッションとしては落ち着いた暗色がよいとして、「スペイン風」の色彩を勧めている。
ここからフランスでは華美、ドイツでは簡素、スペインでは落ち着いた印象、イタリアでは当時もっとも洗練された服装が身に着けられていたことが分かる。
3、マーキス
侯爵。
デューク(公爵)とは違う。アール(伯爵)でもない。協議の結果、天彦の公称はマーキス(侯爵)となった。
但し現状では彼ら二人の間だけの決め事なので、呼称が周知されるかは展開次第です。猶アイモーネは二人きりの場面に限り天彦のことを愛称のピコ(極小)と呼びます。
注※
現地人との会話はすべてご当地語で交わされています。
都度、何語で交わされているのか、それが文脈以外に意味を持つときだけ明記しますがそれ以外はニュアンスで受け止めてください。
例えばアイモーネ=マルピエロとの会話なら、イタリア語で話しています。




