#03 強かに、けれどサイコロを振るように何でもなく
キリスト紀元(西暦)1571年9月18日
天彦たちは、やはり見立て通りキプロス島南岸のサリネス海岸に漂着していた。
そのキプロス島にある最大の要塞、ニコシア要塞の一室にて天彦一行は漂流の疲れと空腹を癒していた。
五人は車座になり北イタリアの伝統料理であるポレンタ(とうもろこしの粉をお粥状にしたゲ○のような何か)を啜りながら、窮地から脱した祝宴をあげていた。
ポレンタを一口啜るたびに眉をこれでもかと顰める天彦は、
「佐吉は歴代の主上さんを存じ上げてるんか」
唐突に話題を振った。
振られた佐吉は木の器を床に置くと居住まいを正し、
「はっ、むろんにございまする」
折り目正しく応答した。
天彦はうんうんと嬉し気に頷き、そして視線をそのよこに移す。
「殊勝な心掛けや。是知はどないさん」
「はっ、朝家の臣として当然の心掛けかと存じまする」
「つまり」
「在任期間まで暗記してございまする」
「ほう。同機はやけにうさん臭いけどまあええやろ。メガテンとクルルは」
「はい。ルカお姉様に叩き込まれてここにあります」
「同じく、コンスエラお姉様に叩き込まれて、にんでござる」
「そやろな」
天彦は彼らの教養レベルの高さを今更のように感心しつつ、この選任が偶然の産物でないことを認識する。
佐吉と是知はさて措いても、メガテンとクルルはあまりに適任すぎた。ご都合が過ぎると言い換えてもよいだろう。
何せ彼らは現地に溶け込める容姿も然ることながら、操る言語はイタリアンネイティヴスピーカーなのだ。おまけにラテン語も粗方かじっているとなれば、この時、この場面を想定してもはや育成されてきたと勘繰っても違和感はないだろう。つまり逸材。いや逸材すぎて、あまりにも不自然が過ぎていた。
「なんも訊かされてへんのんやな」
「はっ、断じて。己の不覚を恥じ入るばかり」
「訊かされておれば、殿をこのような。……一生の不覚にございまする」
佐吉はさて措き是知まで。
やはり周到に練られた策であることは紛れもなかった。
部分的にだが、この点を鑑みてもやはり、どうしたってラウラの見えざる意図を感じてしまう。その中身までは読み解けないけれど。
……と、天彦が小考に入ろうとすると、視界にちら。自称一の御家来さんが駄々を捏ねるような仕草で顔を覗き込んで思考の邪魔をしてきた。……ほんま。
「なんやお雪ちゃん」
「何ややありませんわ。若とのさん、某にはなんで訊いてくれはりませんの」
「何をや」
「主上さんの系譜ですやん。みんなさんに訊いて、某に訊かへんのは無礼と違いますやろか」
「ああ、それは堪忍。ほなお雪ちゃんは存じているんやな」
「え知りませんけど。先代の帝しか存じ上げませんわ」
「おいコラ、ほんならなんでゆーたんねん!」
「へへへ」
天彦の景気のいいツッコミ待ちだったのだろう。
聞いてにんまり。雪之丞はどこをどう切り取ってもかわいいだけの笑顔を振りまいて場を和ませた。但し是知以外の場を。
「ちっ、気色の悪い」
「おい、某に申したんか!」
「知らんなぁ」
「何を」
だがこの二人の罵り合いはそう長くは続かない。
常に是知が逃げるからだ。
「おい長野、いい加減白黒決着つけたろか」
「笑止。望むところじゃ植田家の盆暗」
「何を、申したな! ほな串お団子の早食いや。棒にひっついたお餅もちゃんと最後まで舐り取るんやで。ずるはなしやで」
「勝負は吝かではない。だがその串団子とやらは誰が用意するのだ」
「お前やろ。まさかお前、格上の某に場を整えさせる心算か」
「……貴様の勝ちでよい」
「勝った!」
お雪ちゃん、たぶんそれ負けてるで。
だが雪之丞がそれでよいなら天彦に否やはない。
閑話休題、
雪之丞とのデイリーお約束を消化した天彦は、解消しなくともよいがしないと妙に気色の悪い事実と向き合うことにした。
「是知、佐吉。お前さんらまでなんでイタリア語が聞き取れるんや」
「……それは」
「なんと申せば……」
是知と佐吉は口を揃えて雪之丞の存在を仄めかした。
いや仄めかすなどというレベルの素振りではない。はっきりと雪之丞を視界に捉えて言いづらそうに口籠った。
「お雪ちゃん、何をしたんや」
「某はなんもしておりませんし、申しておりませんよ。ただ若とのさんに生涯付いて参りたいのなら、伴天連の操る言葉は絶対に使えるようになっておけと申しただけです」
「それやろ」
「さようですか。ほなそれですね」
「まったく」
どうやら雪之丞の中ではあの口約束は絶対に履行される血盟だったようだった。こわ。
故の善意の進言だったのだろう。言った方も大概だが、それを僅か数年で実行に移せた彼らは、やはり常軌を逸していると言わざるを得ない。……身共のことスキすぎやろ。
天彦は内心のニマニマを鉄壁のATフィールドで覆い隠し、何か物言いたげな雪之丞に視線で促す。
「はい。ほなそう申されます若とのさんはどないですのん」
「ふん、身共はな、数字立てられた体系ならすべての記録を記憶してるで」
「あ、大袈裟申さはった。すべてはさすがに言い過ぎですやろ」
「いいや、言い過ぎちゃう。すべてはすべてや、この世の数字立てられた体系ならすべての記録を記憶しているんやで」
「ウソです! ウソがすぎます」
「ほんまやで」
「ほなここのお殿さんの記録もですか。さすがにしてませんやろ。はい論破」
「いいやしてるで。あとこのヴェネツィア共和国に王家はない。故にドージェ(共和国元首)や。何せ共和制を敷く共和国やからな」
「え!?」
「こっちが“え”や。お雪ちゃん、ひょっとして共和制がわかるんか」
「ぜんぜんわかりません!」
「……そやろな」
天彦はようやく乾いた愛用の扇子でぴしゃり。雪之丞の額をはたいた。
「痛っ――、はい。わかりませんので教えてください。お殿さんがいたはらへん。ほな朝廷は、幕府はどないさんですの」
「朝廷も幕府もない。あるのは評定を執り行う議会だけや」
「え。……でもお公家さんくらい居たはりますんやろ」
「それは居る」
「ほっ、ほな安心です」
「安心するんか。お雪ちゃんはやっぱしけったいやな」
「何ですのそれ、あ」
「ちゃうちゃう。バカにしたんとちゃう」
「ほな……」
「まあええやん。共和制、わからんか」
「はい。てんでわかりません」
「議会制民主主義は」
「さっぱりです」
「やろうな」
ヴェネツィアは歴史上最も長く続いた共和国である。
但し厳密には、政体は共和制と議会から選抜されたドージェ(共和国元首)による君主制、そして貴族院による貴族政治と大評議会による民主政治の複合政体だが、そんなことを今この場で彼らに説明しても意味がないとまではいわないが理解に苦しませるだけなので今は後。
「大事なことやからもう一遍申す。言い過ぎちゃう。すべてはすべてや。身共はこの世の数字立てられたすべての体系を記憶しているんやで」
「え」
……え。
雪之丞を始めとする新イツメンたちが漏れなく全員、いい顔で驚愕したまま凍り付いた。
いち早く現実世界に舞い戻ってこられた雪之丞が、半信半疑のテイで問い質す。
「けどお殿さんいたはらへんかったら、どないして決めごと決めはりますの」
「お殿さんの代わりに元首が居るんや」
「呼び方が違うだけですやん」
「有り様がちゃうんやけど、まあ追々な」
「はい。ほなその系譜は何代つづいたはるんです」
「元亀二年、言い換えるならキリスト歴1571年現在で85代や」
「すごっ。……ほな問題です! 65代のお殿様はどなたさんですか」
「65代ドージェはフランチェスコ・フォスカリ。この共和国の最も華やかなるとき国家元首を務めはったお人さんや。てか訊いたところで確証とれんやろ」
「てへ。そうでした。あははは」
あははは。
乾いた笑いを挟みつつ、天彦はイツメンたちの唖然顔に気をよくして本題に入った。
史実では9日前にすでに陥落しているはずのキプロス島の要塞に、天彦たち菊亭ファミリアは招かれていた。
だが要塞は風前の灯。やはり史実に倣い、陥落してしまうのだろう。
よって逃げる算段だけはどうしても付けておかなければならない。その伝手にこの偶然の出会いを利用できないものかと天彦は、脳内PCをフル回転させて思案していた。
件の人物。ここへ案内し天彦たちを招き入れた騎士は目下不在。彼の上官とやらに報告を上げに席を外している。
彼はアイモーネ=マリピエロと名乗った。
天彦は自身の立場をジパングの特別大使だと紹介した。王に通じる序列№2の血筋だとも説明している。
けれどそんな情報など不要なくらい彼は天彦を丁寧に扱い、流暢なラテン語スピークに頻りに感心していたのでおそらくきっと大丈夫なはず。
さて措き、おそらく二十歳にも満たないだろう彼が名乗った姓名に、天彦は妙な引っ掛かりを覚えていた。
日ノ本でもそうであったように、この時代、姓名には単なる個別識別アイコン以外の多くの重大な情報が記されていた。
その観点から掘り下げるより早く、彼の家名マリピエロは直感的に歴代ドージェ(ヴェネツィア共和国元首)の姓と重なった。
ヨーロッパのそれも滅亡した国の歴代ドージェ(共和国元首)の名を記憶している時点で天彦も相当の変態だが、かつてヴェネツィア共和国は日ノ本に通じる千年続く歴史ある国家だった。
共和国では存続最長記録も有しているので共通項ということで非常にシンパシーを感じて強い関心を寄せていたのだ。とか。
だが反面そんな偉大な家名を背負った人物が、まさか精々十人長が関の山の衛兵をやっているとは思えない。しかもこんな最先端の激戦地に送り込まれるような末端騎士として。
故にあくまでも可能性の一環として、関連性を紐づけるにとどめる。
今は単に人の好さそうな即ち長生きしなさそうな好青年騎士として認識し、彼の帰りをじっと待った。
というより彼の帰還がなければ何もことは始まらない。すべては展開次第待ちだった。
「暇ですね。というより大航海ってずっと暇ですやん」
「もう、口を開いたら文句!」
ぶーたれる雪之丞は放置するとして、遡ること半刻前。
天彦を丁重に扱いこの城塞に招き入れた衛兵だか騎士だかとの出会いは、まさに僥倖だった。土地柄風に言えば神の御導きとなるのだろう。
何せ都市陥落寸前のこの緊迫した局面。通常対応なら雑に斬って捨てられてお仕舞い御尤もだっただろうから。
彼の人柄と教養の高さに救われた。それ以上でも以下でもなく。
ならばこの運命に託すのも一興。いや託すほかあるまい。
ここに方針は定まった。
世界制覇は大袈裟だとして、ヴェネツィア共和国で名を馳せるくらいわけないはず。それもただ名を馳せるにとどまらず、国賓級の凱旋を果たせるほど名を馳せてやる。
そして出来上がっているだろう安土城に特大の大砲をぶっぱなしてやるるるるるるる。のだ。わっはっは、参ったか。
そのくらいの意気込みで、この暗黒時代の近世ヨーロッパを渡り歩いてやろうではないか。
そして自分を邪険に扱った魔王をぎゃふんと言わせてやるのだ。やるといったら絶対やるのだ。
天彦は中長期的達成目標を掲げると同時に、マスト達成事項も忘れない。
メネゼス提督絶対しばく。本気と書いてまぢと読む一撃をお見舞いしてやる。ラウラと与六には目突きとチョップをくらわすとして、さて。
天彦はやはり強運、いや悪運は尽きていないと実感する。が、加えてこの幸運を引き寄せたアイテムとして、クルルとメガテンが首から下げていたロザリオの存在もけっして無視できないと認識していた。
「ここは一旦、ゼウスを信奉してみるのもありやな」
「無しに決まってますやろ! ご都合で信じる信じない、相変わらずめちゃくちゃですやん」
「……殿、おさすがにそれは」
「そればかりはおさすがに、殿……」
「ひどいです、えぐいです、人道にも悖ります」
「お殿様、冒涜すぎ」
だが天彦としては半分以上、本気であった。
何しろ天彦はまたしても敬虔なカトリック信者に命を救われたのだから。
事実、これがもし攻め方のオスマン・トルコ軍だったなら。控えめに言ってお仕舞いだった。その最後は凄惨を極めたことだろう。知らんけど。
知らんけど実際、史実での彼らオスマン・トルコ艦隊は、ここキプロス島ニコシア要塞を陥落せしめた後、2万人のニコシア住民に対する大虐殺を断行した。
本来ムスリムにとって不浄とされる豚ですら殺しつくされ、生き残ったのは奴隷として売り飛ばすために捕らえられた女性と男児のみであった。とか。
いずれにせよ、こう偶然も度重なるとそれはもはや示唆なのではと感じてしまって不思議ではない。普通の感覚ならばきっとそう思うはず、感じるはず。
だが天彦は自他ともに認める端っこの席の人。そんな偶然の積み重ねに何かの教導的示唆など1ミリも感じ取らない人種である。
「ほないったん保留で」
天彦にしては珍しくイツメンたちの感情を優先して発言を引っ込めた。
「ほえ、珍しいこともあるもので」
「ふん、何とでも申せ」
「けどどう凌ぐにしても、先立つものが要りますやろ。そこはどうお考えですの」
「銭はいる。まずは道筋、それをどう算段つけるかやな……」
言った天彦のその表情に、常のコイントスで決めるような気軽さやラフさはない。
あるいは自身の立てた推測にリアルな手応えを得たいほど心細さを感じているのかもしれないが、何にしてもそんな素振りは1ミリも見せず感じ取らせず、天彦らしくない丁寧な記憶の整合性確認の作業に入るのだった。
最後までお読みくださいまして(*ˊᵕˋ*)⸝アリガトウ
次話から物語は雅楽伝奏~らしくホームドラマ展開&進行していきます(きっぱり)
ですので乞うご期待! よろしくお願いいたします┌○ペコリ
ポータブルWi-Fiはゴミだ…┐(-。-;)




