#01 オープンジョー
キリスト紀元(西暦)1571年11月6日
フィレンツェ~ヴェネツィア間のざっと200キロの道程をじっくりまったり丸五日間かけての馬車移動の旅はもはや趣味移動。不覚にも認めざるを得ないほど地味な道のりの連続だった。
総勢十名(天彦・雪之丞・是知・佐吉・クルル・メガテン・アイモーネ・ニコル・ソフィア・その侍従)は、カルラから借りた馬車を直近の街で預け渡し、馬での移動に切り替えて、荘厳な市壁を臨む小高い丘にて小休止。←今ココ
アイモーネ=マリピエロはど派手な凱旋擬きをすることもできた。
派兵されていたキプロス島を死守できなかったとはいえ、それはアイモーネひとりのせいではない。それどころか手土産に、メディナ・シドニア公の実姉でありロンバルディア州副知事公であるカルラ姫ばかりか、隣国の実質支配者たる次期メディチ公の協力を取り付けて帰還してきたのだ。しかも実質無償で。十分どころではないその資格は有しているはず。
ところが天彦はこの地味極まりない帰還手段を選んだ。むろん戦略的に。
ハズいとか怠いとかそんな感情論などではもちろんなく、もっと現実的な実利に即した理由から。
ソフィア女史は真正面から異を唱えた。その主カルラなどはむしろ凱旋を押し付けようとしてきたほどだったから。だが天彦は有難いそのお誘いを断固として固辞したのだった。
大袈裟でも誇張でもなく、ほんとうに辞退したのだ。理由はいくつかあるが要するに大方針にそぐわない。そのたったひとつの理由から。
「平民を装うなど、とても正気だとは思えません。私には報告の義務がございます」
「お好きにどうぞ」
鞍上でむくれるソフィアをおざなりに扱い、早朝、鞍上。
天彦は分厚い鈍色の雲がまるで先行きを暗示していなければよいのだが的な曇天に覆われた空を見上げ、ぶるぶると首を左右に二度ほど振った。
そして縁起でもないと声にならない言葉を発し、そこからゆっくりと視線を下げていき彼方に向けると、
「初めましてヴェネツィア。キミ実在してたんやね」
得意満面に言い放った。いいボケをしたときのお馴染みのドヤ顔を添えて。
ようやくヴェネツィア共和国首都ヴェネツィアの市壁を臨める位置に差し掛かり、長かった旅の終着駅を目前とした天彦の第一声がこれ。
発声されたのはこれまでの地味さを象徴するかのように、いたって地味な何の思いも乗っかっていないフレーズだった。
「若とのさんどないしはりましたん、そない腑抜けはって」
「腑抜けてるかい! あかんかった?」
「はい」
「くっ、ほなほな、単に調子がいまひとつ出えへんだけや!」
「おんなじですやん」
「ちゃうわ」
不思議だが雪之丞にツッコミを入れると喉が開く。
喉が開くと気合が乗る。
気合が乗ると活力が漲る。
ぜーんぶ気のせいよーく知ってる。
天彦は常識をすべて承知の上で、敢えて上げたテンションその勢いを駆ってアイモーネに馬首を向けた。
馬も機敏に反応する。
どう、どう。
「アイモーネ」
「はっ」
「ちょっと訊ねたいことがある」
「何なりとお訊ねください」
「ん。ほなら……」
天彦がアイモーネにレクさせたのは、以下の共和国情勢(貴族序列)だった。
「メモをお取りになられますか」
「そやな。身共には無用やがこの者らには……、佐吉」
「はっ、直ちに」
一旦この場で腰を下ろすことになった。
綿のレジャーシートを敷き簡易休憩ゾーン完成。
佐吉は手早く筆をリアル羽ペンに変えて、手際よく筆記の支度を整えるとインクを自在に羊皮紙に走らせる。
猶、この頃にはすでに紙(中国紙)は普及しているが品質面において不安視されていた。よって公の書式には採用されていない。
天彦も同様に、羊皮紙は高価だが破れにくく耐水性に優れているため、こちらを主に採用している。中でも長期的に記録しておきたい情報などはとくに。
「支度、整いましてございまする」
「では口頭でご説明差し上げます――」
アイモーネ曰く、
16世紀に1名以上サン・マルコ財務官を輩出したのは56クランのみ。
その中で多くサン・マルコ財務官を輩出したクランは以下の通り。※クラン=氏族・血族集団・一門
1、グリマーニ家 (10名)
2、コンタリーニ家 (9名)
3、プリウリ家 (8名)
4、モチェニーゴ家 (7名)
5、ヴェニエル家 (6名)
6、コルネール家 (5名)
6、ジャスティニアン家(5名)
が、超大手クラン、
8、カッペロ家 (4名)
8、レッツェ家 (4名)
8、モロジーニ家 (4名)
が、大手クランとされている。
11、マルセロ家
11、ミケーロ家
11、モーリン家
11、ペーザロ家
11、レニエ家
11、ソランゾ家
11、ティエポロ家
11、ドロン家
が、各々3名のサン・マルコ財務官を輩出している。
そしてこの他に13クランが各二名輩出し、25クランが各1名輩出して合算100%の数値となった。
このことから上位超大手クラン5家だけで全体の30%を占め、大手クランとを合算すれば実に全体の45%を占める割合となっていることがわかり、時代の趨勢を読み解く上でもたいへん貴重なデータとなっていた。
参考図1
参考図2
「こうして図式にされるととても分かりやすくていいです」
「そやろそやろ」
「しかも、たいへんわかりやすい構図でもありますし」
「ん、お雪ちゃんの申す通りや。今日のお雪ちゃんは切れ味がある」
「えへへへ。なんかご褒美ください」
「ほな当家の外交部門を任せたろ」
「某、ご褒美と申しましたけど」
「どっからどう見ても褒美やろ」
「あ」
「あ」
お役目を与えられて不満を表明するのは彼だけである。ことはさて措いても、雪之丞の指摘は的を射ていた。
この構図は大評議会を内裏に、サン・マルコ財務官選出家を内裏における公家情勢図に置き換えてみると非常にわかりやすくなった。
つまり図を参考に超大手クランは摂関家、大手クランを清華家とするとすんなり理解が進むのだ。
但し決定的な違いがある。それはヴェネツィアが共和国制を敷いているということ。要するに皇帝へと繋がる青き血筋がないのである。
共和制とは即ち選民意識の上に立つ、指導者選出制を意味するから。
天彦には馴染むようで馴染まない(大統領制に似た)制度であり、言い換えるなら誰でも貴種足り得、逆に誰もが貴種足り得ないとも言えた。
頓智のような言い換えだが、これは厳然たる事実である。
ヴェネツィアも困窮していた内裏と同様、一般市民に金品での爵位の売買を行っていた(主に商いによって富を得た富豪市民を対象とした)。
よって貴族性に絶対性は担保されず、けれど他方、貴族にしか共和国大評議会への参加権は認められていなかった。
「ですがマーキス。我が愛する祖国ヴェネツィアは、けっして腐敗などしておりません」
「どないしたアイモーネ。そない鼻息荒うして。身共はなーんも申してへんで」
「そのつぶらなお瞳が饒舌に語っておいでになられます」
「弄ってんのか身共の糸目を」
「け、けっしてそのような……」
「冗談はさて措き勘繰り過ぎや。身共はちゃんと正しく理解している心算や」
「であれば僭越をお詫びいたします」
「まあ急くな。身共はちゃんと正しく理解している心算や。長引く戦渦による弊害や、とな。つまり為政者、即ち共和国を運営する大評議会の大失策やとな」
「……返す言葉もございません」
アイモーネは謝罪した。だが彼は運営サイドの末端にさえかすっていない雑兵である。謝罪は僭越。本来なら分を弁えるべきだろう。
ところが天彦はその愛国心を素直に讃え、肩をとんとん。愛用の扇子で二度軽く叩いて意気込みを褒めてやる。
「アイモーネ=マリピエロ。祖国を思うその意気やよし」
「お褒めに預かり、ありがたき幸せに存じます」
閑話休題、
故に“貴族性の形骸化”と考えるのが自然の推論となるのではないだろうか。
少なくとも天彦はそう解釈したし、アイモーネも否定はしない。
「加えても一つ伺いたい」
「何なりとお訊ねください」
「騎士号や。お前さんもたしか騎士爵とやらを叙爵されておったな」
「……はい」
アイモーネの表情には、またぞろこの頭上に広がる分厚い曇天の空のような深い陰りが落とし込まれた。
騎士。この語感から感じる清廉性や潔癖性は今では誰も感じなくなっていた。
これはヴェネツィアに限った話ではない。イタリア半島全土に蔓延る騎士の扱いのせいだと言えた。
貴族が騎士という称号を軽んじた余り、低い身分の青年に授与しまくったせいだった。中には腕のいい職人でさえ騎士を名乗ったほどである。それではさすがに希少性には繋がらない。
よって騎士爵・騎士号は名誉称号以外の何物でもなくなっていて、あるいはその名誉でさえあるのかどうか疑わしいほどに落ちぶれていた。
つまり天彦が何を問いたいのかというと、庶民の成り上がりが容易であるということであり、そして、
「裏を返せば銭がすべて。なぜなら富以外に貴族と非貴族を区別する境界線は無に等しいからにおじゃる」
ふふ、くくく、あははははははは――!
ひとり勝手に疑問を投げかけ、ひとり勝手に理解して大笑いする図。
控えめに言ってホラーである。少なくともマリピエロ家主従にとっては理解しがたい状況だろう。普通にオニ気色悪いことも手伝って。
だがイツメンたちは誰ひとり笑わない。むしろ逆に期待感だけに染まった熱意120%の眼差しを天彦に差し向ける。熱心に情熱的に。
が、
「ほな家あきませんやん」
「おいて」
「おいも姪もありませんわ」
「何でやのんお雪ちゃん。盛り上がってるとこ水差さんといてんか」
「家、ただの一遍でも銭儲けしたことありますか」
「あるやろ。それこそ数えられへんほどたんと」
「その銭どこにありますの」
「……ない」
ぜーんぶのうなった。
そういうこと。天彦の申告が事実のすべて。
「若とのさんは申さはりました。裏を返せば富以外に貴族と非貴族を区別する手立てはないと。つまりこれって財産をきちんと形成しなければあかんということですよね。絵に描いたお餅さんではあきませんのと違いますやろか」
「朱雀、貴様ぁ――!」
「僭越なるぞ!」
「お雪様、辛口い」
「たまにあのモード入るよね。だる」
外野の雑音さえ今の天彦の耳には届かない。
雪之丞の指摘は一言一句、違わない。天彦にとって痛恨の指摘だった。
自覚はある。自分は銭の神に呪われていると。あるいは貧乏神に愛されすぎているのだと。
だからではないが、振り絞って返す言葉にもいつものようなキレはない。
「念のために訊いとくけど――」
「はい。ほんまもんの雪之丞です」
だった。
がっくし。
だがただ項垂れているだけの天彦ではない。
彼は脇役を返上し、主人公になるため自らの意志でこのヴェネツィアを選びやって来たのだ。へこたれている時間が惜しい。
ぐっと歯を噛み締め、ぐっと扇子を握り込み背筋をぴん。腹に力を入れてやや上擦った声で言い放つ。
「朱雀雪之丞」
「なんですの。……はい」
「其の方を菊亭の、いいや身共菊亭天彦の永代家令に任じておじゃる」
「それ一番要らんやつですけど」
「あ」
「あ」
と、
「おのれ朱雀!」
「朱雀貴様!」
間髪入れず是知と佐吉が雪之丞に吠え掛かった。
「同じこと申して。仲良しかお前さんらは」
「あ、え、いや……」
「え。ま、まさかに、ございまする」
あの佐吉が咄嗟的とはいえ天彦に対し口答えするほど、二人の仲はよろしいようだ。
いずれにしてもわちゃわちゃいちゃいちゃ、こうして菊亭ファミリアの地道な成り上がりの日常が始まった。
結論、切り札は取っておく。
後ろ盾はむちゃくちゃに強大だが不変とは程遠く、何なら明日をも知れないお立場。しかもゴリ押せばその分失ったときの反動も途轍もないのは想像に難くない。
東宮と織田の後ろ盾を失った当時の己がその最たる証なのだから。
故に天彦は地道策を選択した。あいにく時間だけはたくさんあった。
主軸としてアイモーネ=マリピエロを大評議会へと送り込むべく全力で裏支えしつつ、片や己は己で地道な足元固めの作業から入る方策をそっと固める。
「お前さんら、ええか」
「はっ」
そして意思を固めたら実行あるのみ。仮説を立てたら検証あるのみなのと同様に。
「まず是知」
「はっ、主家一の忠臣長野是知、ここにございまする!」
「佐吉」
「ここにございまする」
「クルル、メガテン」
「にん」
「にん」
「お雪ちゃんもやっとくか」
「もう! ちゃんとしてください」
「ほな朱雀」
「ほなは要りません」
「朱雀」
「はーい」
あはは。腕上げたやん。
「アイモーネもよう訊くように」
「はっ」
天彦は温めていた大方針を宣告し、それに沿った細やかな方針や役割をイツメン家来衆に各々に与えて指示を下した。
逐一懇切丁寧に、あの面倒くさがりが一切面倒くさがらず端折ることもせずに丁寧に膝を突き合わせて指導した。
「私が……、サン・マルコ財務官に……」
「あくまで中間努力目標や。最終的には――」
「お待ちください。まずは着実に」
「ん。評議会議員の席やな」
「はい」
「ご主人、マーキスの信頼にお答えせねば男が廃ります。腹が鳴りますね!」
「ニコ、せめて腕にしてくれ」
「はい!」
あははははは。
ニコラのボケで快活な笑い声が響き、やや緊張感で重苦しかった雰囲気が一遍に霧散した。ニコやりおる。
天彦の感心をよそに、各々が課されたタスクを脳内反芻していると。
「若とのさん! あれ」
「ん、開いたようやな」
しばらくして概ねの理解と納得を取り付けた丁度そのタイミングで、入門の長い列が動き始めた。市壁が固く閉ざしていた大門を開いたのだろう。
「ほな参ろうさん」
「はっ」
菊亭一行も他の入国勢と同じようにイミグレ審査を受けるべく、列の最後尾を目指して馬をぽっかぽっかと走らせる。
「くくく、腕の見せどころねん」
鞍上の天彦はつぶやく。
自信の表れなのかそれとも不安を打ち消す強がりなのかはわからない。
けれどヴェネツィア共和国は超が付くほどの経済大国で、一国であのオスマン帝国を相手どれるほどの列強国。少なくとも腕は鳴っていそうである。
「……」
天彦は市壁をぐっと睨みつけ、さあ本当の意味での勝負どころとばかりこっそり闘志を燃やしてそっと静かに意気込むのだった。
【文中補足】
1、オープンジョー
往路と復路の出発地が異なるエアーのこと。と、呆れるほどの適性を見せる雪之丞(JOE)の性質とを掛けた副題。あはい。
2、ヴェネツィア共和国基軸通貨ドゥカート=ダカット。
表記揺れが多そうなのでダカット(英語)に統一します。
猶フィレンツェ・フィオリーノ金貨も(フローリン表記)に統一します。
3、2章の主な争点となるサン・マルコ財務官(と、サン・マルコ財務官がヴェネツィア共和国の財政に果たしていた機能の重要性)
計9名がサン・マルコ財務官の定員となった。当然ながら貴族である財務官自身が細かな雑務にいたるすべての任務を処理していたわけではない。
むしろ彼らの地位はサン・マルコ財務長官とでも呼ぶべきものであり、実務を担当したのはおもに市民階級に属する多くの職員たちであった。
サン・マルコ財務官はヴェネツィアで最も重要かつ人気の高い聖堂であるサン・マルコに寄進され続ける莫大な資産・財宝の管理・運営に加え、その高い信用度ゆえに住民だけでなく外国人からも財産や遺産の保管や運用を委託された。
また政府の他の部局も罰金収入や差し押さえ資産、戦利品などをサン・マルコ財務庁に預け、1262年以降は政府公債の収入の一部がサン・マルコ財務庁に預けられてそこから利子が支払われるようになった。さらにヴェネツィアで徴収される教会税までもがサン・マルコ財務庁に預けられた。
要するに、公・私・ 聖・俗のあらゆる領域に属する巨額の現金・動産・不動産がサン・マルコ財務庁に流れ込んでいたのである。
個人から預かった財産は原則として手つかずのまま保管されたが遺産は遺言により慈善や投資に向けられた。
というのも当時の一般的な習慣として遺産の一部を複数の宗教団体(教会・修道院・施療院など)に寄進したり貧者への施しにしたりすることが遺言書で指示されたが、現金がそのように振り分けられただけでなく不動産から得られる家賃収入や地代収入を永続的に喜捨に充てることが好まれたからだ。
そのため寿命の限られた個人ではなく、役所とし ての持続性を持つサン・マルコ財務官が遺言執行人として指定されやすかったのだ。
その結果、膨大な不動産の管理とそこからの収入の活用がサン・マルコ財務官に委ねられたのである。またサン・マルコ財務官に託された遺産の別の一部は政府公債や商業に投資され、そこから得られる利益が遺族に与えられたり慈善に利用されたりした。
こうしてヴェネツィアでは個人の遺産がサン・マルコ財務庁を通して社会福祉の財源や商業資本として活用されるシステムが形成されたのである。
国家財政にとってもサン・マルコ財務庁は貴重であった。
それは同庁 が政府公債に深く関わっていただけでなく、緊急時に頼ることのできる潤沢な準備金を常に保有していたからである。
実際戦費調達のための融資がサン・マルコ財務庁に求められたり、サン・マルコ財務庁に預けられた公金が公的な負債の償還に利用されたりした事例は枚挙に暇がないくらいだ。
引用 和栗朱里16世紀ベネツィアの門閥家系より抜粋




