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#13 一体感を楽しむ

 





 キリスト紀元(西暦)1571年10月31日







 情勢図

 挿絵(By みてみん)




 

 一路北へ。一行はナポリ王国を縦断し教皇領を難なく通過。

 ローマにさえ足を運ばず粛々と旅をつづけた。


 そしてときにカルラの所用を済ませつつフィレンツェ共和国に入国し、長い道程は互いの親交を深めるには十分なゆるりとした馬車での旅路となっていた。


 ひと月足らずにも及ぶこの長い移動時間は、菊亭一行に様々なイタリア式文化や習慣に適応するための時間として有意義な時と経験をもたらした。

 特にこれまでかなりビハインドと思われていた侍スピリッツの意識改革(主にすり合わせだが)にとっては、かなりのアドバンテージ時間となるのだった。


「では最後のおさらいと行こうか。ターンスピット(是知)。こういった場合の対策は」

「はっ。正々堂々、主家菊亭様の御威光を唱えまする」

「してどうする」

「以上でも以下でも無し! 意に沿わぬ愚か者に生きる価値無し。須らく駆逐いたして進ぜましょう」

「ふむ。眩暈を覚えるほどの利口なバカ発言。貴様、当初はもう少し柔軟かと思うたが、結局やはりサムライであったな。ロック(佐吉)、おバカなターンスピットに代わって貴様が善き見解を申すがよい」


「はっ、では憚りながら石田佐吉がお答え申す。むろん殿の御判断を仰ぎまする。そして身命を賭し御意に従いまする。ならば世は事もなしにござる」

「正気か」

「むろん」

「うむ。やはり貴様はロックじゃな。わたしから申すことは何もない。そこなギークコンビ、ニンジャbros.の方がよほどマシな見解を述べるであろう。さてJOE、お前だけは信じておるぞ」


「団子として!」

「……断固といたせ。それで」

「はい。団子として、お団子さん食べさせてくれへんかったら答えません! 若とのさんもカルラもいったいいつにったら――」

「黙れ」

「厭ですわ、某――」

「JOE、シャラップじゃと申したぞ。死にたいか」

「っ――、死にとうありません。でも……」

「デモもストもない。黙れと申したら即刻黙れ。教えたであろう」

「はい、けど……」

「甘えるな。マーキスをお支えする騎士団筆頭なのであろう」


 ギロリ。


「はい!」

「ん、お利巧さんだな。しかしハンストか。……ある意味で正しいのやも知れぬが、違う」


 是知、佐吉、雪之丞。


 やはりと言うべきか、まさかと言うべきか。カルラを前にしても自身の矜持を失わない。

 出揃ったすべての解答は何一つ彼らの味を消しておらず、サムライスピリッツの融通の利かなさをこうして露呈する羽目となるのだが、カルラはそれを心の底から楽しんでいた。


 一つにただの偏屈、頑固者ではないことをこの共に過ごしてきたひと月足らずの時間で思い知ったから。

 彼らの磨けば光る知性の輝きを、カルラはいち早く見抜いていた。そして思いの外買っていたのだ。

 あとどんな誘惑にも梃子でも惑わされない鉄のハートが、カルラの最大のお気に入りポイントだった。日に三度は最低でも“くれ”と強請る程度にはお眼鏡に適っていた。


 だが穏やかなときもここまで。彼女らとは一端ここでお別れとなる。

 馬車に乗り込むカルラを見送るべく、天彦たちは教会へとつづく参道に立つ。


「マーキス」

「ん」

「半島を血の海に沈めてくれるなよ」

「冗句なんやろうけど、そのトーン。ガチ感あってなんか腹たつ」

「ガチじゃ」

「あ、はい」


 たしかにカルラはイツメンたちの個性キャラを個別レベルで気に入っていた。

 だがそれ以上に、天彦の存在が彼ら全体の特別視へと繋がっていた。


 カルラは天彦をとことん畏怖した。まさしく畏怖。天彦の惜しみなく披露してきた叡智(未来知を担保にした予測チート)に触れ、恐れと敬いの気持ちが入り混じった複雑な感情を抱いていた。

 そればかりではなく、そのあり得ない叡智チートに触れるたび驚愕し感心しそしてその感情を処理してきた。


 要するにひどく心惹かれたのだ。今となっては傾倒けいとうし、敬慕けいぼし、崇拝すうはいし、熱中ねっちゅうし、愛慕あいぼしていた。


 カルラはそんな天彦を、言葉にはしてこなかったが啓示を受けた神のお遣いと受け止めていた。

 だからこそ行動を束縛せず、今後も自由意志を尊重する心算なのだろう。

 でなければこのレベルの姫が、欲したモノを欲しいと望まないことへの説明がつかない。

 物であろうと人であろうと、欲する物はすべて彼女の掌の中になければならなかった。


 むろんすべては天彦得意のプロファイリングを叩き台にした最適解。即ち認知バイアスを巧みに利用した天彦のアウェアネスリード(意識誘導)である。



 閑話休題、

 だが天彦を神の遣いとするその判断はかなり個人差に委ねられるところだろう。何しろ天彦は押しも押されもせぬ黄色人種なのだから。

 あり得てもあり得てはならなかった。白人以外に神が啓示をお示しになられることなど。それは冒涜にも等しい事実である。


 白人種以外の劣等種は須らく導く対象でなければならず、導かれるなど以ての外、なのだった。


 故にあるいは一般的には、神に抗う異端者と取る者の方が多い。

 カルラはそんな危惧をした。心の底から、親身になって、天彦の先行きを案じていた。


「マーキス。よいか最後の最後まで、切り札はとっておかれよ」

「さあ、なんのことやろ」

「ふっ、まあよい。これは私からのささやかな餞別である。邪魔にはならぬはず。受け取られるがよいぞ」

「おお、カッコええさん。でもええのん?」

「遠慮は無用」


 精緻な紋章がレリーフされたカメオだった。

 しかも大変希少なブルーサファイヤが散りばめられた、目にもあざやかな逸品だった。


 今の天彦たちなら控えめに言って盗品を勘繰られかねないレベルのお宝である。

 故にカルラはご丁寧に保証書を添えていた。この者らに与えた品であることの文を自筆で認めた保証書を。


「何から何まで心尽くしの手土産を頂戴しまして。この菊亭、感謝の念に堪えません。本来なら遠慮してしかるべきところ、ですがお言葉に甘えまして。ありがたく頂戴いたします。この御恩はいずれどこかで必ずや、お返し遊ばせるとお誓い申し上げさんにおじゃる」


 天彦は旅の道程で設えてくれた何着もの衣装にも触れて手厚いお礼を言葉にした。

 そんな天彦のいつにない真摯な態度と応接の言葉に、とても気をよくしたカルラは珍しく感情を昂らせた。


「うむ。期待しておくとしよう。マーキスの旅の御無事をお祈りいたす。おいお前らも確とお仕えいたすのだぞ。ソフィア頼んだぞ」

「そんなご無体な。どうか私も連れて行ってください」

「頼んだぞ」

「……はい」


 カルラ姫はイツメンたちの頷きを確認すると、安全保障のためと貸し与えた自らの側近侍従に再度の念を押して所用のためルッカ共和国へと旅立っていった。


 最後の最後まで必死の抵抗を見せるソフィア嬢を置き去りにして。



 ばいばい、まったねー!



 そんなソフィア嬢の感情を知ってか知らずか、天彦たちはシエナの街を手堅く守る屈強な市壁に向かって歩を進めた。






 ◇






【文中補足】


 さて天彦一行が向かったトスカーナ大公国だが、メディチ家は1527年に教皇クレメンス7世(在位:1523年 - 1534年)がフランス王・フランソワ1世と同盟を結んだことをきっかけにカール5世による報復のローマ略奪を招いた責任を問われてふたたび追放された。

 1530年にはクレメンス7世と皇帝カール5世が和解したため、メディチ家はフィレンツェに帰還、復権する。こうして1532年にフィレンツェ公国(1532年 - 1569年)となった。

 が、1533年にクレメンス7世はフランス王フランソワ1世と縁組みをまとめ、カトリーヌ・ド・メディシスと後のアンリ2世が結婚。

 カトリーヌは10人の子を産んだもののフランスの政情は不安定で、ユグノー戦争(1562年 - 1598年)が勃発してしまう。


 1569年にメディチ家の傍系からフィレンツェ公となっていたコジモ1世に教皇ピウス5世の手でトスカーナ大公の称号がメディチ家に授与され、フィレンツェ公国は公式にはトスカーナ大公国となる。


 菊亭一行が市壁イミグレ審査を受けているその裏で、


「ご主人。わたしは初めてご主人のことを尊敬できています」

「奇遇だなニコ。私も初めて自分のことが好きになれそうだ」

「これは夢ではないのですね」

「ああ。どうやらほんとうにロンバルディア副知事公は私の後見を引き受けてくださったようだ」

「マーキス。あの方と引き合わせてくださった神に感謝を――」

「……果たして神の御加護であったのだろうか」

「不遜ですよ。図に乗る癖、ここらで一度改めてください」

「違う。違うのだニコ」


 アイモーネ=マリピエロは心底から、この出会いが奇縁の延長線上にある偶然なのかを勘繰った。

 あまりに自分に都合がよすぎるからだ。あまりに流れが意図的すぎるからだ。

 だが、考えても詮無いこと。

 神の御意思であろうと天彦の策意であろうと、どちらにせよ自分の理解の範疇を超えている。


「ご主人。この神のお与えたもう幸運、必ずや最後まで手繰り寄せてくださいね」

「ああ。その心算だ」


 マリピエロ主従は密かに再起の誓いを立てるのだった。






 ◇◆◇

 





 外見だけは場に馴染んでいる一行(天彦・雪之丞・是知・佐吉・クルル・メガテン・用人二名・アイモーネ=マリピエロ・その従者ニコ(ラ)・ソフィア(レンタル移籍)・その従者二名)都合13名は、トスカーナ大公国(フィレンツェ公国)の南の玄関口、シエナに辿り着いていた。


 シエナはかつてトスカーナ地方の覇権をフィレンツェと競い敗れ、今ではトスカーナ大公国のコムーネとして組み込まれている、かつて金融業で栄えた有力都市国家である。

 けれど依然として残るその経済力を背景として、存分に活気ある都市の魅力を放つ南口のトスカーナ大公国玄関都市である。


「えらい活気ですね」

「そやな。けどお団子さんはないで」

「場所代えましょ、今すぐに!」

「お雪ちゃんが荒ぶってる」

「ふんが――ッ」


 お団子への愛が強すぎる荒ぶる丞は放置するとして、

 シエナのファーストインプレッション。それは視界が歪むほどの熱気だった。


 マーケットはもちろん路面店にも多くの人だかりができていて、おそらく本屋だろう店にさえ見た目に出鱈目な数の人が群がっていて大繁盛を想像させる。

 他にも古物を扱う骨とう品屋、金物屋に陶磁器屋、あるいは銀行らしき建物にまで多くの人だかりができていた。


 やはりトスカーナ大公国(フィレンツェ公国)は総体的にこれまでとは空気感が違っていた。

 むろんそこはイタリア半島。戦争の余韻はどこらかしこに転がっていてそこはかとなく感じるものの、ミラノでも教皇領ローマでもない、フィレンツェならではの空気感が天彦をいたく自信付けてくる。


 トスカーナ大公国(フィレンツェ公国)はまさに天彦にとってのヘブン(天国)だった。いや大袈裟ではなく文字通りの天国なのだ。

 それはそう。何せ当面の軍資金を得るには打って付けの経済を基盤とする都市国家なのだから。

 何せ商人と銀行家が市政の指導的な立場にたち、フィレンツェを美しい都市にする様々な事業に着手しているのだから。


 天彦の付け入る隙は無限にあった。


 但しここがアジア圏だったなら。


 だが相手が悪かった。彼らは自身こそが唯一神に認められた人種であることを誇りとする白人種。黄色人種の戯言などに耳は貸さない。少なくとも対等の目線では語り合えっこないのだった。


「金儲けのタネを買えだぁ!? ははーん、さては路銀が底をついたな。けどよ外国の貴人さん。あんたのようなチビ助に考えつく手段なんか、とっくの昔に誰かの飯のタネさ」

「話くらい訊いてほしいん」

「坊や悪いことは言わないわ。うちの旦那が優しく応対している内にとっとと帰りな」

「そこを――」


 一昨日来やがれ――!


 武骨な肉切り包丁がギラリと睨みを利かしてきたので秒で退散。


 やはり大方の予想通り、天彦の言葉に耳を傾けてくれそうな商売人はいなかった。

 カルラの威光は極力振りかざさない。これは当初からの方針であり、カルラの為人を知れば知れるほど、天彦の中のマストとして徹底され家来たちにも周知されていた。


 迷惑だけはかけられない。その思い一心で。


「マーキス。如何なさいますか」

「如何も何もまだなーんにも始まってへんやん」

「ではお手並み拝見いたします」

「見とき」


 冷血漢を地でゆくソフィアでさえ黙って見ていられないほど、シエナは町ぐるみで天彦の心を折りにきた。


 二度三度、四度五度と同じ場面を繰り返し、


「じんおわ」


 程なくすると、折れないとしても凹まるくらいには十分なダメージを負いつつ、じわじわと地味にメンタルを削られるのだった。


「マーケットどないさん」

「魚介市が立っていると思われます。お国柄、薬市もございましょう」

「それは重畳。ほなマーケット参ろう。マーケットなら身共の心を癒してくれるはず」

「では参りましょう」


 彼の天才数学教師ガリレオ=ガリレイが自作した天体望遠鏡によって天動説に異を唱えるよりも百年以上前のこと。天彦の言葉など妄言以外の何物でもない。


 科学は抑圧され、異端は火炙り刑に処されたまさに暗黒の時代。

 人々はあまりにも愚かで、盲目的に偏執的だった。


 市に着いた。


「ほう旦那の頭痛が酷い。ならこれだ。遥々シルクロードから取り寄せた逸品。そんじょそこいらの丸薬とは訳が違うよ、奥さんお一つ如何かな」

「下さいな」


 まんじ。


「御婦人さん、それは毒や。やめとき」

「あらまあ」

「おいガキてめえ、言うに事欠いて毒だ!? 商売の邪魔する心算なら容赦しねーぞ」


 おうふ。


 やばい逃げろ。


 怒り心頭の露天商が黒人奴隷を嗾ける前にとっとと退散。


 天彦の目の前では白昼堂々水銀が、然も万能薬のように売られていた。

 しかも飛ぶように売れている。まさしくじんおわ。恐怖以外の何物でもない。


「なんだあの子ザルは、気味の悪い」

「どこの奴隷だ。躾がなっておらんな」

「生意気に一丁前の衣装誂えてもらいやがって」


 だが周囲の天彦たちを見る目はお察しで、ただでさえ悪目立ちする一行の、何やら主人格らしき御曹司の言動がこれでは奇異な視線を向けられて尤も。


「おのれ――ッ!」

「訊こえておるぞ不躾な。これ以上我らを愚弄する気なら――」


 やめとけ。


 二人合わせても戦闘力3のゴミイツメンがキャンキャン吠えるが効果はゼロ。


「殿……」

「……殿」


 けれど相手は何しろあの菊亭天彦なのだ。人が見せる極限の感情程度ならすでに耐性ができている。

 天彦は二重の意味での哀しい現実に直面し、けれどいつも通りを崩さない。

 それが自らに課された、唯一絶対の存在意義だと承知しているから。


「ソフィア」

「厭です。無理です。無謀です。あり得ません」

「まだ何にも申してへんのやが」

「失敬。どうぞ」


 ほならせめてどうぞの目をせえ。の感情で、


「目当ての人物がお忍びでこのシエナにお越しさんやと存ずるがどこさんや」

「お目当ての人物とは」

「ソフィアにしては珍しく、斯様な愚問を口にするんやな」

「はい。お手数ですがどうか御聞かせください。マーキス、貴方様に限っては言葉の解釈違いが命取りになると痛感いたしておりますので」

「そない警戒いたさんでも」

「いいえ致します。どうぞ」

「さよか。現トスカーナ大公殿下さんの弟御前に決まってるやろ」

「……」

「名を申さなあかんか」

「っ――、いいえけっこう」


 天彦の言う目当ての人物とは、現大公フランチェスコ1世の実弟フェルナンド・デ・メディチであった。

 当然だがおいそれと会える人物ではない。

 だがここでその当然や物の道理を口するとどうなるのか。答えは容易い。

 目の前にいるキッズはその道理を無理にでも捻じ曲げて、何が何でも謁見にこぎ着けてしまうのだ。

 それをこの旅の途中、嫌というほど見せつけられてきたのだった。


 故にだからこそ。


 ソフィアの予測は半ば確信めいていた。


 故にだからこそ。


 ソフィアは半ば白目を剥いて、いやいやとばかり首を左右に振って応じる。

 つまり予測はすべてことごとく当たっていたのだろう。むろん厭な方の予測がズバピタで。


「真理は残酷だが正しい。諦めよ」

「お国では“将を射んとする者はまず馬を射よ”と申されるとか。将をいきなり攻略するは邪道ではございませんでしょうか」

「副将も馬に含まれる」

「御冗談を。大公国の内情をご存じないとは申させません」

「黙れめんどい。ソフィア疾く案内いたせ」

「他の解釈ができる余白を頂戴いたしたく存じます。近隣を地獄の業火に焼き尽くさせない。それが私に課せられた任務故、なにとぞご理解ください」


 認識えぐいて!


「お前さんの大変さも理解する。その上でええかソフィア。身共と出逢ったのがお前さんの転機。天運に身を委ねよ。さすれば道は開かれるであろう」

「この出遭いこそなるほど転機(運の尽き)にございますね。はは、あはは……、畏まってございます。諦めましょう」


 ソフィア嬢はどうとでもなれと腹を括ったようだった。






 ◇






 ソフィアの案内で、お目当ての人物が逗留しているであろう先に向かう道すがら。


「凄いです!」

「そうでも……、ない」

「あれ、どないしはったんですか。若とのさんが得意がらはらへんなんて、どっかお身体さん調子悪いんですか」

「やめとけ」

「なんでですのん」

「説明させるは意地悪やろ」

「へへへ」

「あ」

「あ」


 天彦としても半ば本心。悪巧みにまだ本来の冴えは戻ってきていない。

 今回もそう。ろくでもない選択肢の中から単に最もマシなものをチョイスしただけなので、そう偉ぶれたものでもないだけだった。


 それでも天彦は懲りず企む。自分には手札がそれしかないと言い聞かせて。

 そして他方、ソフィアを通じて確信する。狙い撃つはバリキャリ官僚。その一点突破だけで十分であると。


「あ。久しぶりにあくどいお顔さんしたはる!」

「人聞き!」


 だが事実。

 天彦は実にいい(悪い)貌で、次回への悪巧みへとつづく道を踏みしめる。

 そしてこっそりひっそり、愛してやまない必要経費の算盤を弾くのだった。














【文中補足】

 0、ターンスピット(ドッグ)

 16世紀から19世紀の欧州(主にイギリス)で肉を焼く作業に使役されていた小型の犬。

 本文では利口な割に吠えてバカ五月蠅いの意で是知の揶揄に利用されている。


 1、真理は残酷だが正しい。

 ハガレン11巻イズミ・カーティスの言葉。


 2、トスカーナ大公国(=フィレンツェ公国)

 16世紀から19世紀にかけて北イタリアに存在した国家である。領域はほぼ現在のトスカーナ州にあたり、同州の前身となった。


 トスカーナが政治的な実体を持って地理的文化的に成り立ったのは15世紀から始まった都市国家フィレンツェ共和国がその拡大政策によって1406年にピサ共和国を、1421年にはリヴォルノを取得したことに始まった。

 フィレンツェ共和国はメディチ家が支配する16世紀に世襲制君主国のトスカーナ公国になり、領土はトスカーナ地方全域に拡大した。


 メディチ家時代の第1期(1434年から1494年)はコジモ・デ・メディチ(治世:1434年 - 1464年)に始まり、メディチ家のフィレンツェ追放により終わる。

 その後フィオレンティーナ共和国が建国されたが、1512年にメディチ家が復帰し1527年にフィレンツェ共和国が再興された。


 1530年神聖ローマ皇帝カール5世はアレッサンドロ・デ・メディチを摂政に任命し1532年にアレッサンドロはフィレンツェ公となった。

 その為国名をフィレンツェ公国に改めた。


 コジモ1世が1537年にトスカーナ公となるとイタリア戦争に関わっていきカール5世のスペイン軍と共にフランスと結んだシエーナ共和国を攻撃し1555年にシエーナを占領した。

 そして1559年のカトー・カンブレジ条約によりスペインに貸していた膨大な債権と引き換えにシエーナ共和国とシエーナ公の地位を手に入れ併合した。


 1569年にはローマ教皇ピウス5世により初代トスカーナ大公に叙されトスカーナ大公国が成立した。

 コジモ1世からフェルディナンド1世までがメディチ家の絶頂期とされる。


 参照トスカーナ大公国 - Wikipedia


 3、フェルナンド(1世)・デ・メディチ(1549年/現22歳)

 メディチ家の第3代トスカーナ大公(在位:1587年 - 1609年)

 初代トスカーナ大公コジモ1世とエレオノーラ・ディ・トレドの五男で、第2代大公フランチェスコ1世の弟。

 15歳でカトリック教会の枢機卿となったが1587年10月に兄フランチェスコ1世夫妻が急死し、フェルディナンドがメディチ家の当主となった。


 前(作中現)大公フランチェスコ1世の評判は大変よろしくなかった。

 神聖ローマ皇帝フェルディナント1世の娘ヨハンナ(ジョヴァンナ)と結婚し8子をもうけたが、妻が存命中から愛人ビアンカ・カッペッロをそばにおき、ジョヴァンナの急死後ビアンカと再婚した。

 そんな自らのスキャンダルに続き、一族のスキャンダルもフランチェスコの悪評に拍車をかけた。

 1576年の弟ピエトロの妃殺し、もう一つは妹イザベッラ暗殺事件である。

 フランチェスコはこの両事件を黙殺し、大公国の威信を大きく低下させてしまう。

 そして政治からも遠ざかり実験室にこもりがちとなり不自然な終わりを迎える。


 そんなフランチェスコ1世の不自然な死は、長きに亘りイタリア史の謎とされてきた。

 この不運もあってフェルナンド1世は兄フランチェスコの毒殺疑惑が終生拭えなかった人物でもあった。


 他方、政治能力は相当高かったと思われる。フェルディナンドは枢機卿時代の経験と人脈を生かして積極的な内政・外交を展開した。

 またスペインからの外交的自立性を高め、農地の開墾を進め、産業振興に努めたほか、港町リヴォルノを自由貿易港として関税を免除し、貿易を活発にした。

 こうして兄の時代に低迷していたトスカーナ大公国の経済は活性化し国庫収入も増加、首都フィレンツェの人口も最盛期に迫る7万人台を回復した。

 加えてメディチ家の伝統ともいえる文芸・芸術の保護・振興にも努め、積極的な建設事業を行った極めて有為の為政者であった。


 付くならここ。天彦にそう確信させる傑物だが、問題はけっして拭えぬ毒殺疑惑。身内さえ手段を択ばず排除する人物を信用できるかと言えば誰だって疑問符が付いてしまう。

 事実がどこにあれ当時の彼は最後までダークなイメージを払しょくできずにその生涯を終えたのだった……。


















ともに一体感をお楽しみください。

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