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#11 朝まだき、月の剣ぶっ刺す

 





 キリスト紀元(西暦)1571年10月3日






 気づいていたのに知らんぷり。


 一番ダサい。てかキモい。


 それは助けることのできる権利の放棄だと天彦は考える。

 こんな“いい人キャンペーン”に加点してくれる恰好のポイントアップイベントも他にない。まさに丁度いい。


 そんな風に嘯きながら天彦は、手枷足枷を外されて農作業に従事するおそらくは同胞だろう日本人奴隷の作業をじっと見つめる。


「若とのさん」


 そんな天彦にそっと言葉をかけたのは雪之丞ただ一人だった。


 是知も佐吉も、あるいはクルルもメガテンも。

 何も言わずただじっと、天彦の見つめる光景のすべてを共有せんとばかり注視している。

 主君たる天彦の内面の機微を推し量らんが一心で。


 史実では1571年(本年)セバスティアン1世王(ポルトガル王国)の名の許、

 日本人奴隷の貿易禁止令が発布される。

 あまりにも非道だったからではない(推察)。その方が利益を生むと判断されたから。すべては政治と計算づく。

 だがこの法案は結局発布されなかった。セバスティアン1世王が未婚のままアルカセル・キビールの戦いで戦死するからだ。


 以降のポルトガルは衰退の一途をたどる。

 セバスティアン1世王の大叔父である枢機卿ドン・エンリケが王位に就くが、ドン・エンリケにも嗣子はいなかった。

 1580年1月にエンリケ1世は後継者を決定しないまま没し、マヌエル1世の孫たちが王位継承権を主張した。こうして継承戦争が勃発する。


 大部分の貴族、知識人、官僚、商人の支持を集めるスペイン王フェリペ2世と、民衆からの人気が高いクラトの修道院長ドン・アントニオが争い、フェリペ2世が派遣したスペイン軍は各地で勝利を収めた。


 結果1581年4月にトマールで開催されたコルテスでフェリペ2世はポルトガル国王として承認され、イベリア半島にスペイン王がポルトガル王を兼ねる同君連合が成立した。


 よって日本人奴隷の貿易禁止令が公布されるのは発布された日のずっとあと。

 長きに亘り法案は塩漬け状態にされていた。日本での布教活動に極めて支障をきたすという理由で、1603年朝廷の要請を受けたイエズス会の嘆願を承認したフェリペ2世王が施行することにより、ようやく法案は実行されるにいたる。


 勅許を公布するまでには、実に32年もの時を要していた。


 その間に連れ去られたり売られたりして海を渡った日本人の数は、5万とも10万とも言われている。おそらくはもっと。


 ――が、これは所詮は架空の話、言わば天彦の知っている世界線のお話、夢物語だ。


 なぜなら目下は1571年10月。事実はセバスティアン1世王が発布した。その一点に尽きてしまう。


 天彦は無い知恵を振り絞り、悪巧みを練りに練った。


 だが、


「絶不調ねん」


 正しくは違う。予備知識があまりにも乏しく、打てる策がほとんどなかった。

 あと少し、見知らぬ地ということもあって余所行きの顔をしていることも否めない。

 加えて天彦の主張に一定以上の正当性を与えてくれる地位も名誉も血筋も権威も、何もないという実質的問題も顕在化しつつあるのが現状だった。


 目下の彼はただの菊亭天彦なのだ。あるいはアマヒコ=キクテイなのだ。いやそれすら怪しいただのヒト。ただの異教徒。ただのキッズ。

 よって打てる手は極めて狭まる。ほぼないのが現状だった。


 そして頼りの悪巧みだが、知恵巧者の彼とて叩き台となる知識がなければ自慢の閃きも輝きを放たない。

 何しろ彼は少し他人よりも記憶力のいい自他ともに認める凡人中の凡人なのだから。



 敗北者が途方に暮れていい場所ってどこですか。



 天彦が人知れずへこへこに凹んでいると、


「無理せんと、ここはカルラ頼りませんか」

「ここで借りを、……いや、貸しを帳消しにされるのは痛恨の悪手や。最後の手段にもしたくないな」

「ほな若とのさんは、あれらを見捨てはるお心算ですか」

「それをどないするか頭を悩ませてるんやで」

「答え出てますやん。某にはわかりますもん」

「……そやろな」

「若とのさん」

「なんやのお雪ちゃんそない声張って」

「もしそのお心算なら某はお暇申し上げます」



 朱雀貴様――ッ!


 武士の情け、某が介錯してやる即刻腹を召せ――!


 黙れよ愚物いったん氏んどけ!


 馬鹿は一生団子食ってろ!



 雪之丞のまさかの告辞、暇宣言に、イツメンたちは感情を露わに烈火のごとく非難の言葉を浴びせかけた。


 だが雪之丞も天彦も。

 外野の声などまるで聞こえていない風に、視線をまっすぐに見つめ合うと二人の世界で語り合う。


「若とのさん」

「わかったって。わかったから黙っとき」

「黙りません」

「見たらわかるやろ、身共はいま知恵を絞って唸ってるんや、黙っとき」

「黙りません」

「信用ないんか」

「あります」

「ほな」

「黙りません。逃げんといてください。某は本気です」


 かちーん。


「聞き飽きたからその言葉。ちっこいときから何遍も何遍も、いったい何遍申すん。あんたさんは身共のたった一人の血の通った家族さんで、菊亭一番のお家来さんと違うのんか」

「血は通っておりませんけど、そうです」

「通ってるで。武田の襲撃の際、あんたの血をよーさん分けてもろうたし。それで救われたこのお命や」

「……覚えてませんけど」

「覚えてて! あんな濃い濃い友情エピソード他にないやろ。あってたまるか」

「知りませんわ。そんなこと。ともかく――」

「待って。それ以上はもうええ堪忍。お願いやからそんな哀しいこと申さんといてほしい」


 天彦は扇子を取り出す手間さえ惜しんで、雪之丞の言葉を身体全体で制した。



 ぎゅ。



 果たしてどのくらいそうしていたのか。


「臭いです」

「やめとけ!」


 すんすんすん。


 湯あみはこの後速攻するとして、


「カルラ呼んで参れ」

「若とのさん!」

「最初で最後やで、こんなお強請り訊くのんは」

「え普通に一生申しますけど」



 知ってた。


 天彦は本当は伝えたかった。生きるとは奇麗事だけでは済まないことを。

 人の世とは弱い者たちが夕暮れなのだと、どうしても伝えたかった。

 けれど。

 あの真っ直ぐな目を見たら……。

 そんなことはどうでもよくなってしまう。


 何よりも、大前提この世は馬鹿しか幸せになれないとするのなら、雪之丞こそ最もその権利を有するのではと思ってしまっていた。


 要するに天彦の完敗。雪之丞の圧勝だった。


 いつも通り、いつものように。


「なんか失礼なこと考えたはりますやろ」

「ぜんぜん」






 ◇






 天彦の主張は一定以上の道理を得た。むろん権利者の納得は得られない。だが少なくともこの場の権限者の賛意は得られた。

 自国の民の窮状に手を差し伸べる。美談であることも然りながら、必要最低限貴種に課された義務でもあった。


 形勢が奴隷解放に傾きかけたそのとき。


「ほう。これは愉快そうな場面に出くわせたな」


 ところがカルラと交渉中、そこに地元領主貴族のドラ息子がやってきて、話が急転直下振り出しに戻ってしまったのだ。嘆き――!


 まさかの展開に、あのカルラもちょっと困惑していたくらい、地元領主貴族のドラ息子は好戦的だったのだ。

 要するに戦の虫。戦争がしたくてしたくて仕方がない、ちょっと頭のネジが何本かぶっ飛んだ人物だった。


 だがそのくせ知恵と舌はよく回った。


「ハプスブルク家の寵愛を一身に受けたプリンセスとあろう御方が、まさか世の道理並びに貴族間の筋を通されぬはずはなかろうが、念のため申し上げる」


 しかも事情通ときた。

 相手としては最悪の部類に入る、そんな人物だったのだ。


 地元領主貴族のドラ息子は抜け抜けと言い放った。

 曰く、民は子も同然であると。そしてその子が財産権を侵害されたなら、乗り出さぬ親はいないと。

 当然だが奴隷は財産。これはどの国であっても法によって担保されている共通認識に相違あるまい。

 だがシドニア公の御威光並びにカルラ殿の顔を立てぬわけにもいかぬ。何しろ就任をお控えなさる隣国ミラノ公国の御領主様(ロンバルディア州副知事)なのだから。


 長々と口上を立てていた割に、結局はならば買い取れと法外な要求をして、天彦の延いてはカルラの面目を潰して悦に入った。

 そこには剥き出しの反感からくる敵愾心がありありとあった。


 すると途端潮目が変わる。地元領主の応援が入るや否や、息を吹き返したかのように農夫ファミリアは強気の態度で迫るのだった。


「無茶を申されましても困ります」


 と。


 善悪の問題ではない。意地と矜持とプライドの問題だった。

 故に拗れると流血必至。

 彼らもけっして馬鹿ではない。ならば相応の勝算は持っているはず。


 カルラは偉い。単純に偉い。それこそ外国であろうとなかろうと、一定以上の敬意を以って遇されるレベルで偉いのだが、所詮は外国の貴種、要人である。

 命令権も決定権も持ってはおらず、仮に意思を押し通すのならそれなりの手順を踏まなければならない上に、それ相応の流儀に従わなければならなくなる。


 つまりすべては銭となる。どの世も常に金、金、金。


 しかし一周回ってドラ息子の要求は無茶でも理不尽でも何でもなく、至極正統性の高い言い分だった。


 財産権の侵害は命を張るに値する、十分かつ恰好の題材だった。


 故にカルラは問う。天彦に問う。


 あの領主一族と正面から揉めるのなら相応の覚悟が必要となると。

 お前にその覚悟はあるのか。延いてはその財力はあるのかと。

 天彦に強く問いかけたのだ。


 当然だが、カルラはそんな常識的な問いに感情を込めたりはしない。何しろ生粋のプリンセス。世間一般とは感覚が違っていて当然なのだ。

 ましてや金銭などカルラからすれば頭を悩ませる問題足りえない。おまけに近隣との揉め事など、そんなものいくらあっても困らない。むしろくれ。

 そもそも近隣の制圧こそが彼女に課されたお役目みたいなものなのだから。


 ならば。


 カルラの言葉の行間には「皆殺し」の文字があった。

 やるからには殲滅あるのみ。後の遺恨へと繋がる禍根を、僅かにでも残すことだけは彼女の矜持が許さなかった。慈悲など彼女の辞書には絶対になかった。

 故にやるなら根切りオンリー。カルラの問い掛けにはそんな別種の覚悟が含まれていたのである。


 そこが日ノ本と欧州貴族との顕著な違いだろうか。

 日ノ本は余程のことがないかぎり殲滅戦などしはしない。兵の命乞いを条件に責任者の切腹で手打ちが相場。ところが。

 この欧州地域での戦いは、専ら殲滅戦が主流となった。ひとつに民族人種の違いが挙げられる。そこに宗教観などが加味されるのだが詳しくは割愛する。


 いずれにしても戦が始まってしまえば最後、勝者は敗者の皆殺しが基本となって略奪の限りを尽くすのだった。


 侘びも寂びも人情も、当たり前だが風流もない。

 あるのは勝者による残酷な略奪のかぎりだけ。

 カルラは見た目ボンボンで上品で気の弱そうでお人好しそうな、そして実際にオニお人好しな箱入りボクちゃんに、その覚悟はあるのかと問うたのだ。


 よって整理すると、カルラに突き付けられた覚悟は三つ。

 同族を救うために数十倍、いや数百倍の命を奪う覚悟も追加しなければならなかった。

 当然だがすべてに対して覚悟皆無な天彦の返答はNO。


「今回は諦めよ」

「ふむ。案外意気地がないのだな。いや見た目通りと言ったところか」

「煽っても無駄。身共の決定は覆らへんよ」

「ふん、君主正着を差すか。最善が正しい結果を導くともかぎらぬのだがな」


 カルラは意味ありげに言うと、やや興醒めしたような目で天彦の解答を受け入れるのだった。


 なぜかまったく異論を申し述べない雪之丞を筆頭に、家来イツメン衆の、知る者こそ知る不穏な気配だけをそこに残し、天彦一行は農場を後にするのだった。


 同胞奴隷を置き去りに。






 ◇◆◇






 日を跨ぎ明けて四日、まだ夜が明けきらない早朝、


「……て、思うじゃん」

「クルたん、それは殿の真似事やね」

「そういうメガテン殿こそ朱雀様の声真似じゃん」

「似てるかなー」

「ぜ ん ぜ ん 似 て な い!」



 あはははは、けたけたけたけた、わははは――



 屈託ない穏やかな笑い声が響くそこには、無数の遺体とその躯から出たのだろう夥しいほどの流血によってできた血だまりがあった。


 控えめに言ってホラーな現場はあまりに凄惨過ぎて笑ってしまう。

 そんな不気味さを漂わせる現場はさて措き、敵対は避けられないが戦場は選べる。


 彼らはこの主君天彦のよく口にする言葉に従い行動していた。

 即ちこの世で最も卑怯卑劣とされる、合意形成後の翻意の夜襲である。


「でかしたぞ枢、メガテン」

「にん」

「にん」


 二人を率いるのは数ある自称菊亭一の御家来さんの中でも、我こそが真の一番だと公言して憚らない長野是知その人だった。


 すると、ピカ――、BOM――!


 閃光が迸り重たい爆発音が響いた。


「……凄い」

「外れた……」


 ドラ息子曰く、鍵がなければ世界中の誰にも解錠できないらしい手枷足枷が物の見事に木っ端微塵となり果てていた。


「えへへ。褒めてくれていいよ」


 クルルは手枷足枷が吹き飛んで自由を手にした二人の同胞奴隷(元)に自慢がった。


「オラおっ魂消たべな」

「んだんだ」


 自分で催促しておきながら、賞賛の言葉を受けてクルルは照れ臭そうに笑う。

 ギークたちから伝授された爆発物の扱いは彼のアイデンティティのすべて。なのだろう。

 その手にべったりと付着したままの真っ赤な血糊のことなど1ミリたりとも気に留めず、心の底からの喜びを噛み締めるように笑み崩れた。


「枢、流石の技前にござった」

「射干党の御点前、お見事なり」

「クルたん、えぐ」


 積極的とはいいがたいが結局奴隷奪還作戦に加わった佐吉も加わり、こうして極秘奪還作戦は成功裏に事を終えるのだった。


「今日の日の痛みと責任はこの不肖身共がすべて負う」


 闇に乗じて誰かがつぶやく。人物特定にこれ以上ないほど特徴的な声音と口調で。


 むろん彼らにその声は聞こえていない。

 だが発言者の心意気は常に彼らに届いている。常に彼らと共にある。


 美しくなどなくていい。美談などクソくらえ。善意など存在しない。この世は結果がすべてである。


 と、嘯いて、そして同時に、人様を家畜同然に扱うのだ。それはもはや人ではない。そんな理論の飛躍で脆い心を武装して。


 いいことは他人のためにするものではなく、己の為にするものだ。


 人生なんか後悔しかない。戦国室町を生き抜いてきた公卿、舐めんな!


 ――と、こちらは紛れもない本心を吐露して、荒だった心情を素直に顕わにしていた。


 けれど、それでも……、


 逸る鼓動、押し迫る後悔の念。秒単位で増してゆく己の存在意義の軽さ。


 心臓の位置にある布部分をぎゅ。


 そっと夜空を見上げてみる。


 だがあのお月様が、日ノ本で見る美しかったお月様と同じお月様とはとても思えなかった。どうしても思いたくなかった。


「つらぁ」


 つい。


 なんでもつい言語化してしまう悪い癖が出てしまう。

 人助けが辛いのか、それとも人殺しが辛いのか。あるいはそのいずれもか。


 けれど天彦はこの卑怯な夜襲にも恥じ入らず堂々と、表面上は涼しい顔で押し通す。

 これが敵味方双方の被害を最小限度にとどめる最善手だったと言い聞かせるように。

 自身と同じく、どこかの物陰から絶対にじっと見ているだろう誰かさんに向けて、堂々と胸を張って。


 天彦は彼のすべてを肯定してやる覚悟を胸に、一人そっと敗北の苦味を噛みしめるのだった。












【文中補足】

 1、朝まだき

 夜が明けきらぬ早朝


 2、ロンバルディア州副知事

 名目上の知事をフェリペ2世王とするのが自然と考え、今後はカルラを副知事とします。

 ※絶対に出現するだろう表記揺れ(知事表記)も気にせずに読み流してください。(実質的な権限者であることに変わりはないので)



















誤字報告、たいへんお世話になっております。ほんとうにありがとうございます。


少しずつ本作も、書き手同様鈍足ですけれど上向いてきてる模様。

ブクマ・いいね・☆の高評価等でのご声援、くださったらとても嬉しいです。よろしくお願いいたします。




PS、PV急増! いいね爆裂スタンプシステム発動!


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