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#08 有限生成アーベル群と星の数ほどある奇跡

 





 キリスト紀元(西暦)1571年10月2日






 ヨーロッパこそ日ノ本と同等かそれ以上に権威主義である。


 なぜなら王権の基に統一国家の形成が急務だったから。これまで国境線の曖昧だった領主封建社会から、王政を敷く統一国家の形成が急務だったから。


 すべては軍事革命(常備軍の必要性)による変革であった。

 鉄砲の登場によって戦争の形態が大きく変容してしまい封建領主の没落は明確となっていったのだ。

 こうして主権国家という概念が登場する流れとなっていったのだが、統一国家にはシンボルとしての王が必要であり、王には王権が必要である。


 それを担保したのが教会であり神だった。


 だが王政とは所詮は権力の私的所有を肯定した単なる偶像に他ならない。

 つまりただ闇雲に制度だけを先行させても正統性の裏付けに苦慮することは明白であり、だが逆に何らかの絶対性あるいは神秘性で担保されさえすれば、王権はあらゆるルートをショートカットで進んでいけた。言い換えるなら大いなる変革には必要不可欠な制度だった。


 とはいえ正統性の証明は難しいのだが、そこに登場したのが権威である。


 地位、名誉、領地、資金力。権威にも数々の種類があるが、中でも最上位の権威こそが宗教である。即ち言い換えるなら教会となる。この時代、宗教こそが権威の最高権化だった。


 権力者×教会=王権神授


 ここに最強のマッチングが成立した。


 故にヨーロッパこそ日ノ本と同等かそれ以上に権威主義である。

 なぜなら神が神の名の元に、その地位と職責をお与えになった王(政)が存在するからQ.E.D.証明お仕舞い。


「おいガキ、虚偽申告は極刑なるぞ!」


 イミグレ審査官の皮を被った異端審問官は声を枯らしてまで強弁する。むろんこの場合の極刑は例外なく火炙りの刑なのだろう。知らんけど。

 いずれにせよ火炙りこそ単に自分たちの信ずる神に抗う異端者を長く懲らしめる(苦しめる)ための責め苦として、最も惨たらしい刑であることは紛れもない。


「この邪悪極まりない黄色い大罪人めがッ」


 真っ先にこの暴言に反応したのは是知だった。

 天彦はよく学んでいると視線で褒める。序でに動くなとも指示を出す。すべて目で。


「是知、堪えろと申した心算やで」

「ですが殿ッ」

「気持ちだけ頂戴しとこ」

「……はっ。この伴天連のツラ、某けっして忘れませぬ」

「それはええこっちゃ」


 何をくっちゃべっておるか!


 またぞろ大音量の叱責が飛ぶ。日本語が一ミリも理解されない世界線だ。この話にはもってこいの状況だった。


 大事なことなのでもう一度言う。ヨーロッパは権威主義だ。

 権威にはいくつかあって中でもその最高権威は教会とされている。

 キリスト教圏ならキリスト教会が、イスラム教圏ならイスラム教会が、仏教圏なら寺社が、それぞれの国や地域での最高権威なのが相場である。


 よってその最高権威である宗教の保証人たる神様の思し召しには絶対性が伴う。

 その神が言ったのだ。信じる者は救われる、と。

 ならば救われるのだろう。もはや救われるしかないはずで、それがたとえ欺瞞に満ちた似非信者であってもきっと救ってくださるのだ。絶対だけに絶対に。知らんけど。


 少なくとも天彦は、信じれば救われると固く信じて(笑)、教会への入信を匂わせた。


「ニェッキ・ソルディ・オルガンティノ宣教師より個別に洗礼を賜ってございます」

「何を! 虚偽など申告してみろ。ただでは済ませぬぞ」

「どうぞご自由にお調べください」

「言われずとも取り調べるわッ、おい早急に調査いたせ」

「はっ直ちに」


 助祭が調べ物に向かった。


「ガキ、入信の秘跡(洗礼、堅信、聖体)は済ませているのか」

「はい」

「ふん」


 天彦は、ご存じ日本愛に溢れたイタリア人宣教師の名を持ち出した。

 彼とは親交が深く、歴史観、宗教観を語り合ったこともある仲であったことは事実。

 だが、少なくとも天彦が洗礼を受けたなどという記載はどこにもないはず。


 と、そうこうしていると助祭が急ぎ足で戻ってきた。


「はぁはぁ、ぜぇぜぇ。た、確かに名簿にございます。ヴェネツィア共和国・ロンバルディア州ブレシア県カスト(コネーム)出身、ロレート神学校卒業したのちジパングへと布教派遣されたイエズス会司祭にございます」

「ちっ」


 今、この急場は救われた。


 単に凌げただけとも言えるが、懐の広い神様のこと。それもきっと広義のお救いだろうからぜんぜん大丈夫。問題ない。


 神が御赦しになられているのだ。仏陀の顔だって踏みつけられる。

 ただしこんな霰も品もない無粋なことを強要するお前さんらの品性は疑うが。の目をして。


「品性とは最も失いたくない人格の一つにおじゃりますなぁ」


 イミグレ審査官職員が無言で足元に敷いた仏陀が刺繍された織物を見つめた。

 そっと歩み寄り右足を軽く振り上げると、


「っ――、もうよい。とっとと通れ!」


 どうやら、彼らにも僅かな品性は残っているようだった。


 第一関門クリア。だが越えなければならない関門はまだいくつも控えていそうであった。


「はーい。ジパングからお越しになられた特使様がこちらに居られると伺いましたもので」


 ざざざ――。


 目も覚めるブロンド美女の登場にその場の全員が即座に起立。

 軍式なのだろう礼法(敬礼)姿勢で直立すると、視線も合わせず出迎えた。


「ラウラそっくりオバサンねん」


 だった。


 だが万一にもラウラの耳に入ればシバかれるどころか命が危うい。

 天彦は即座にオバサンを撤回。妙齢の女史と言い換え、登場人物をじっと静かに観察した。なぜなら容姿どころか年恰好まであまりにも類似していたから。


 と、視線があう。


 見つめ合うこと数舜。そのアンバーの濡れた瞳のブロンド美女は軍靴の踵をカツカツと鳴らし、天彦目掛けて真っ直ぐに歩みを寄せた。


 かつかつかつ。


 女性将校は天彦の真正面に位置すると、ニカ。

 やはりまさに瓜二つの、あるいはもはや生き写しレベルで酷似したヨーロッパのラウラだった。


 だが細かく分析すると大きく違った。ヨーロッパのラウラには科があった。あるいは艶があった。

 そのヨロラウは男なら100人中99人が見惚れてしまうだろう蠱惑的な笑みを浮かべると、さっと膝を落として天彦の目線に合わせて中腰となった。


 そして無造作に、あるいは貴種特有の下々を相手取る無遠慮な振る舞いで、天彦自慢の長く艶やかな黒髪を撫でつける。

 さすがの天彦も魂消るが、流れに身を任せてみる心算なのか。ヨロラウの行動の一々を粒立てて咎めることはしなかった。


 推定一分ほどは撫でられていただろうか。

 ヨロラウはそれでも名残惜しそうに、さも愛おしそうな眼をして、さも親しみを込めて言った。


「はーいキッズ」

「ちゃお」

「ふっ、ふふふ。聞いていた通り、ほんとうにユニークな子供ね」

「我が国の風習ではすでに成人年齢ねん」

「そう。では私はあなたを大人扱いすればよいのね」

「そういうこっちゃな」

「ふーん、そうなんだ。では……、でもダメ」

「どない!?」


 試されているのは才気と才知と才覚だろう。

 そして度胸とユーモアも、か。


 いずれにしても一挙手一投足、そのすべてが試されていると考えてよさそうだった。


「ようこそスペイン王国へ。ピコ、遠路遥々よくお越しになりましたね」

「ご丁寧におおきにさん」


 招かれた覚えはないけれど。

 何やらそういうことらしい。


「カルラよ。姉が大変お世話になりました。その分のお返しはさせてもらう心算です」

「ご丁寧にどうも。むしろこちらが世話になったん」


 天彦はぎょっとした。


 大物すぎるやろがい!


 最終的には細い糸を手繰り寄せ、行きつく予定ではあった。

 だがこうも早いと予定していない。


 そう。彼女こそスペイン王フェリペ二世王に最も重用される人物として名を馳せる、第7代メディナ=シドニア公アロンソ・ペレス・デ・グスマン・イ・デ・スニガ=ソトマイヨールの実姉カルラ・デ・グスマンその人であった。


 ラウラとは母方の従兄にあたり、カルラはラウラを実の姉のように慕っていたらしい。その親密さはカルラの応接態度を見ていれば一目瞭然。

 姉の恩人である天彦をけっして下には置かないという確固たる意志がその濡れて揺れるアンバーの瞳にありありと写し出されていた。


 その関係で天彦のことは把握していたようだ。

 むろんその出自も立場も、……性格も。


「マーキスとお呼びした方がよろしくて。ボクちゃん」

「お好きにどうぞなさってください。ほなこちらはロンバルディア副知事さんとお呼びした方がええさんやろか」


 え。


 今度はカルラが固まる番だった。

 だが仕返しにしてはえげつない。カルラ女史はぎょっとしたまま目を見開いて、けっして短くない時間、間抜け面を晒してしまっていた。


 ややあって、


「……あり得るの。あり得ているわね。貴方、人よね。姉は神のお使い狐の化身だなんだと言っていたけど強ち……」

「かわいいさんやろ」

「てっきりお姉様が愛童を自慢するため大袈裟に誇張しているとばかり。けれど実感したわ。聞きしに勝る千里眼ね。恐れ入った。カルラと呼んでちょうだい」

「ほなそれでカルラ。身共もピコと気安く呼んでくれてええさんや」

「よろしくねピコ」


 カルラは絹の手袋を脱ぎそっと掌を差し出した。

 天彦は差し出された手をとると掌の上に唇をそっと置いた。


「……種は明かしてくれるのかしら」

「商売あがったりねん」

「どうしても?」

「どうしても」

「けち」

「お褒めに預かり光栄なん」

「ばか」

「……」

「その文脈なら褒めているのよね。うふふふ」


 負けず嫌いはお血筋か。


 いずれにせよカルラの驚愕も尤もであった。何しろカルラ・デ・グスマンが現ロンバルディア州副知事を仰せつかっていることを知る者はおそらくこの場にはほとんどいないはずである。いや皆無のはず。

 なぜなら彼女が副知事の任を受けたのはつい先先日であり、目下出向しているまさに真っ最中なのだから。


 加えて彼女は、まだいくつかの肩書を備えていた。

 中でも最大の栄誉称号は彼女の自慢。カルラはまるでではなく負けず嫌いの対抗心を隠さず言い放った。

 おそらく本性なのだろうネコ科の肉食獣を思わせるしなやかな仕草で権高く、そして如何にも挑発的に。


「ではピコ。物はお試しです。目下、私の一番の自慢の称号をお当てになって御覧遊ばせ。見事当てれば褒美を――」

「金羊毛騎士団員の称号」

「な――ッ!? ……貴方ね、いい加減にしなさいよ。考える素振りくらい見せるのが紳士の嗜みではなくって」

「秒で答えるとか、かわいいさんやろ」

「可愛げの欠片もないわ」

「お試しにはパスしたと思うてええさんやろか」

「ふん、知らないわ。ご褒美は却下です」


 ほなそれで。


 天彦はほっと胸を撫で下ろした。こう見せてハチャメチャに緊張していたようだった。


「ソフィア。この方々を案内なさい。くれぐれも丁重に」

「はい。畏まりましてございます。皆さま、どうぞこちらへ」

「まだ他に連れがおるんやが」

「はい。ご案内いたします先にマリピエロ家の主従はお待ちです」

「さよか」


 カルラの従者に先導されるままに案内され、天彦たちはイミグレ室を出た。


「ソフィアさんと申したな」

「ソフィアとお呼びくださいませ。マーキス」

「ほなピコと」

「はいピコ様」

「ひとつええか」

「お一つに限るならば、裁量権の許す限りどうぞなんなりとお訊ねください」


 天彦は訊ねたいことが二つ三つでは利かないほどあったのだろう。

 だが一つと言ってしまった手前、一つに絞らなければならなくなった。


 数秒考えこんで、


「三つ」

「お一つ」

「そこな家来が持っている刀を付けよう。それでどうや」


 是知は一瞬ぎょっとして立ち止るが、天彦の顔を見るや即座に腰の得物を差し出して寄越した。


「どないさん。大した業物やあらへんけど、この応酬ではかなりのお値打ち物ではあるで」

「……いいでしょう。三つに限り、どうぞ」

「おおきに。まず、身共らとの出会いは偶然か」

「いいえ」

「では目的は」

「安否の確認。御無事だった場合は御救出して差し上げるのが、わたくしに課された目的でございました。意図までは承知しかねます」

「ソフィアは忍びか」

「シノビとやらを存じ上げません。以上三つ、お答え――」

「待て。今のは世間話や」

「御冗談を」

「ごめんなさい」

「あらお可愛い。ですが愛らしいマーキスに一つ御忠告を。我が国に措ける“ごめんなさい”は形勢不利な側の唯一の切り札。そのように軽々に切るものではございません」


 天彦はその謎文化、ほんま嫌いやわあ。けどお蔭さんでひとつお利巧さんになれたと嘯いて、


「最後に、フェリペ2世王はご存じか」

「お答えしかねます。ですが、……目下財政難に喘ぐ王国にとって、ジパングとの交易のプライオリティはかなりお高い。とだけお答えいたしましょう」



 助かるー。



 おおきにラウラ。たんと売り込んでくれていたよう。


 天彦はこのとき、人生で初めて胸の前で十字を切っていた。それこそ無意識の意識が働いたかのように。

 十字を切る。あるいはロザリオにキスをする。それは親の顔よりよく見た光景だったから。感謝の言葉を捧げた相手が、日常的に行っていた所作だった。


 と、


「サービスです」

「ん?」


 ソフィア嬢は主人と同じように、天彦の目線と目線を合わせるように膝を折ると小声でそっと。


「別室に傭兵が控えておりました」


 ぞ。


 ぞぞぞ肌が粟立つ、ぞっとしない言葉を囁くのだった。


 つまり始末されていたのだろう。あの場面、ほんの少しカルラ女史の登場が遅れていたら。


 自己主張しないと存在を黙殺される未来の令和現代社会は正直しんどい。

 だがどうやらこの新世に入ったばかりのヨーロッパ社会では、自己主張してもしなくてもアジア人というだけで、物理的に抹殺されてしまうようだった。


「ではマーキス。この奇跡の出逢いに祝福あれ」

「星の数ほどある奇跡か。シチリア島では奇跡も大安売りしてるようやな」

「あらお上手ですこと」



 まさに瓜二つの、あるいはもはや生き写しレベルで酷似したヨーロッパのラウラが現れたのだった。













【文中補足】

 1、王権神授

 国王の権力は神から与えられた神聖不可侵なものであり、反抗は許されないとする政治理念。

 主権国家体制の形成期のいわゆる絶対王政国家において、国王およびそれに依存する貴族や聖職者によって体制維持の理論として展開された。


 2、グランデ

 中世から近世までのカスティーリャ王国、ポルトガル王国、ブラジル帝国の宮廷に存在した慣習の一つである。

 国王の前での脱帽(男子の場合)あるいは起立(女子の場合)義務を免除される特権を持つ者が存在した。こうした特権保持者がグランデである。


 3、メディナ=シドニア公

 スペイン貴族の公爵位。グランデの格式を有する。代々サンルーカル・デ・バラメーダ(アンダルシア州)領主であった。

 1445年カスティーリャ王フアン2世が、第3代ニエブラ伯爵フアン・アロンソ・ペレス・デ・グスマンにメディナ=シドニア公位を授けたのに始まる。

 称号名はアンダルシア州の自治体メディナ=シドニアに由来する。


 第3代公爵フアン・アロンソ・ペレス・デ・グスマンの三男ペドロがオリバーレス伯爵家を興したことや、第7代公爵アロンソ・ペレス・デ・グスマンが無敵艦隊の総司令官に任命されたこと、第8代公爵フアン・マヌエルの娘ルイサがポルトガル王ジョアン4世の王妃となったことでも知られる。


 1640年には第9代公爵ハスパルがフェリペ4世への反乱を企て、アンダルシアの独立を目指したが失敗している。


 4、ロンバルディア州

(ミラノ、ブレシア、モンツァ、ベルガモ、コモ・ブスト・アルシーツィオ、ヴァレーゼ、セスト・サン・ジョヴァンニを統括する)


 1425年以後ミラノ公国とヴェネツィア共和国との間には戦争状態が断続的に続いた(ロンバルディア戦争)。

 ミラノでは1450年には傭兵隊長コンドッティエーレ出身のフランチェスコ・スフォルツァがミラノ公となった。

 1454年、ミラノ公国、ヴェネツィア共和国などイタリアの五大国はローディの和を結び都市国家間の戦争に終止符を打った。結果ミラノ公国とヴェネツィア共和国はアッダ川を境界線と定めた。


 1499年にフランスのルイ12世がミラノ公国の権力抗争に介入して北イタリアに侵攻(第一次イタリア戦争)、スフォルツァ家がミラノから追放される。

 シャルル8世のイタリア遠征は失敗に終わるが、フランスによるイタリア戦争は16世紀を通して継続的に行われることになる。


 1535年ミラノ公国はスペイン王国(スペイン・ハプスブルク朝)に服従、ハプスブルク家はミラノ公国を支配することとなった。←本編はココ













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