やろか水
昔々、貴方様から見て大変大昔の事でございます。
その年は大変な大雨で近くの暴れ川が水量を増し、いつ何があってもおかしくは無い。と、誰しもが思うほどの大雨が降り続いたのです。
そんな雨の日のことでした。
九州から故郷へと帰る一人の武者修行のお侍様が川を渡れずに立ち往生となり、我が家に宿を求めたのでございました。
「いやぁ、急な宿の頼み。聞いてくれて大変ありがたいことだ。本当に助かったわ。」
雨合羽を脱ぎながら、そう言うお侍様を私は酷く哀れに思い丁重にもてなしました。
「それは、お気の毒に。なんとも運の悪いときに来てしまわれましたな。
この降り続く雨。川の渡しはもう4日も前にやめておりますよって。」
私がそう言うとお侍様は何度も頷いて答えられました。
「本当に運の悪いことじゃ。つい、近道をしようと山越えをしたのが間違いじゃった。
・・・・しかし、おかしなものよのぉ。山向こうの村を立つときは、雲も見えなかったというのに。
近道をしようと谷に入ってとんだ苦労をすることになった。」
「まことにそうで御座います。
10年前の日照りの時は、雨よ降れ降れと皆で祈ったものですのに・・・・。
あれほど願った雨が今はこれほど恐ろしくなって来るとは・・・・・。」
私がそう言うとお侍様は、10年前を思い出されたかのようにため息をついて私を見つめました。
「おお、あの享保の時の飢饉か。その時、私は江戸におったが西国は特に酷かったと聞く。よう生き残ったものじゃ。」(※1)
その温かい言葉に私は胸が痛くなって「尊い犠牲のおかげです。」と、ボソリと呟きました。
お侍様にもその声は届いていたでしょうに、きっと辛い記憶があるのだろうと気を使われているのか、それについては何もお尋ねになりませんでした。
その後、お侍様の温かい心遣いに心打たれた私は、雨に濡れたお侍様の為に、せめて温かいものをお出ししようと鴨汁を準備しました。
お侍様は、はじめのころは「そんな馳走をもらっても良いのか?」と遠慮なさっておられましたが、「こんな時にここに来られたのがお気の毒ですから、どうぞご遠慮なく」と、私が申しますと、それに感動して雨のことなど忘れて「美味い、美味い!」と一息に食べてしまわれました。
「いや。馳走になった。このご恩、必ずいつか返しますぞ。」
お侍様は、そう言うとザーザー降る雨の音を聞きつつ、首を傾げならこう仰いました。
「そこの川は蛇穴川と言うらしいの。
昔から蛇だの龍だのつく地名は暴れ川が多いと聞くが、この辺りは大丈夫であろうかの?
この分じゃ、『やろか水』の声が聞こえてきそうじゃ。」
「・・・・やろか水とは何のことでございますか?」
聞き慣れない言葉に首を傾げた私にお侍様は笑って話してくれました。
「いや、何。拙者の里の伝説じゃよ。
なんでも鉄砲水が来る直前にはな「やろうかぁ、やろうかぁ」と地を這うような声がするんじゃと。
人はそれを山神や水神の祟りとか言うて恐れるのよ。
許せ、ただの迷信じゃ。」
ザーザーと激しい雨音の中。私はその話を聞いて思うところがあり、話し出しました。
「水神様の祟りですか・・・・私は確かにそのような事。あると存じます。」
「・・・・・ほう。何故じゃ?」
思いがけず重い空気になったのを感じたお侍様は、息をひそめるようにして尋ねました。
覚悟を決めた私は、告白を始めるのでした。
「先ほど、尊い犠牲のおかげで飢饉を免れたと申したでしょう。
あれは、私どもの村が雨ごいのための人柱を行って、この村に雨を降らせたからです。」
「なに? ひ、人柱じゃと?」
「藁にもすがる思いでございました。長年我が村の水がめとして頑張ってくれていた溜め池もついに枯れ果て・・・・我らは食う物もなく、飲み水にさえ困る有り様。
各家々からは『雨降れ、雨降れ』と、うわごとのような声が毎日聞こえました。
そんなある日のことです。村の名主様の家に集まって、今後いかにして過ごそうかと話し合ったのでございます。それで名主様が人柱をしようとおっしゃって・・・・」
そこまで聞いてお侍様は全てを察したかのように「それで、人柱を建てようと決まったのかえ?」と、お尋ねになられました。
私は頷いて答えました。
「左様に御座いまする。
はじめは皆が反対しました。しかし、お天気のことは人間の力ではどうにもならぬ事。
最後は渋々、全員がその案に乗ったのでございます。
朝一番に女が通りかかったら、その者を生きたまま枯れた溜め池に石子詰め(※2)にして殺し、わが土地の水神様になってもらおうと、決めたのです。」
「・・・・・殺したのじゃな?」
お侍様は答えをもう御存知であろうに、確認するかのように問われました。
それで、私は事の結末まで一気に語るのでした。
「はい・・・・・。
あの日はどういうわけか、この日照りの中を一人の歩き巫女が通りかかったのです。
歩き巫女など今まで来たこともないのに・・・・・。
それで皆、女が通りかかるまでは人柱など後ろめたさを感じていたのに、女を見た途端に、『これは吉兆じゃ!』と、口々に叫んで女に襲い掛かると、枯れたため池に掘った穴に石子詰めにして殺したのでございます。
皆、あの時は飢饉のせいで頭がどうかしていたのでございます。
何の罪もない旅人を残酷な手法で殺せば恨まれることはあっても、どうしてその者が我らの村を守る水神様になどなってくれようものですか。
・・・・・しかし、あの時は誰もそのような事、思わなかったのです。」
お侍様は飢饉の事情を知ると、私を責めることはせず「左様であったか。」と、一言慰めるようにおっしゃったのです。
その上で、
「今日、ここに来たのも何かの縁じゃ。雨が上がってこの村を出る前に拙者もその者の冥福を祈りたいと思う。その娘が埋められたという池に
案内してもらえるだろうか?」と、尋ねになられたのです。
なんとお優しいお侍様でしょう。私は胸が痛みました・・・・・。
こんなに優しいお侍様が今日、たまたまにこの村に立ち寄っただけだというのに、我らと共に死なねばならんとは・・・・・。
「・・・・お侍様。それは無理に御座います。」
「・・・・無理じゃと? 何故じゃ?」
私はお侍様に手を合わせて謝りながら言いました。
「申し訳ありませぬ。お侍様。
この雨は、あの女が我らを殺すために振らす雨。誰一人、この村から出ることはかなわず、鉄砲水で死ぬ定めなのでございます。」
「なっ・・・・ななな、なんじゃとっ!」
私の言葉を聞いてお侍様は血相を変えました。
「歩き巫女は、石に詰められるときに我らに呪いの言葉を申したのです。
『よくも、おのれ。よくも』と。
『よくも罪なき妾にこのような仕打ちをっ!
こうなったら、お前らの願い通り、水神になってやる! それで水神になったらお前たちを呪い水で殺してくれるわっ!
覚えておれ! 必ず10年後にこの村の中にいる者、一人残らず殺してくれる!』と。
お侍様は、その『10年後の今日』に村に入ってしまわれました。我らと共に死なねばなりません。
本当に申し訳ない事じゃ・・・・・。」
私が手を合わせて何度も頭を下げると、お侍様は慌てて問い返します。
「な、なぜじゃっ! なぜ、ただの通りすがりの拙者まで殺されねばならんっ!!」
「・・・・・お侍様も申されたでしょう。これは水神様の祟りなのです。
祟り神になった女の怨霊に道理が通じるものですか。
もう、我らは4日もこの村から出れない体になって、ただただ、今日の処刑の日を待っていたのです。
本当に申し訳ないことですじゃ・・・・」
そう言って、私が着物の裾をめくって見せました。露になった足には何匹もの毒蛇が噛みついていました。それは私がこの村から出れないようにする水神様となった女の怨霊の呪いでした。
私の足をご覧になったお侍様は「ひゃあああああああ~~~~っ!!」と、悲鳴とも雄たけびともとれぬ大きな声を上げながら、刀を抜いて私を切りつけると半狂乱になって家の戸を開けて外へ飛び出して行かれました。
「ああああっ!! し、死なんぞっ!
どうして、拙者がこんなところで・・・・・こんな理由で殺されてたまるか~~~っ!!」
お侍様はそう叫びながら、雨の闇に消えて行きました。
なんと哀れな・・・・・。怒って前後不覚となった女の怨霊に村人かそうでない者かの区別など出来ようはずもないのに・・・・・。
そうして刀で切られ、血を失って冷たくなっていく私の耳に、遠くから怨念がこもった女の声が聞こえてくるのでした・・・・・
やろうかぁ~~~
やろうかぁ~~~
おわり
(※1)享保11年(1726年)の大旱魃のこと。
(※2)石子詰めとは、地面に穴を掘り、首から上だけ地上に出るように人を生きたまま入れ、その周囲に多くの小石を入れ、石の重みで徐々に圧死させるという非常に残酷な死刑の方法こと。