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 書類、書類、書類。昨日逃げた自分が悪いのだが、あまりにも処理する書類が多すぎる。


「今日はしっかり終わらせていただきますよ、ギルド長」

「……わかっとるわ」


 新たな迷宮に関する各地ギルド長との会合の後、ひとまず休憩すべく執務室を抜け出そうとしたヴァイスは副ギルド長であるジェラルドによって部屋に再び押し込められていた。


「昨日は妻との記念日でしたから休暇をいただきましたが、今日はそうはいきませんからね」

「わかっとるて! うるさいやっちゃなあ」

「そうですか。ではこの書類に署名と捺印をお願いします」


 そうしてヴァイスの前に新たな書類の山を築くジェラルドに顔をしかめた。それに反してジェラルドは涼しい顔をしている。


 ロマンスグレーをオールバックにしてスリーピースのスーツを着こなす元Bランク冒険者の紳士。そして愛妻家。

 エマはそんな風にジェラルドのことを称していたが、ヴァイスは全くそんな風には思わない。

 口うるさく、合理主義で、上司であるはずのヴァイスをちっとも敬わない慇懃無礼な人物だと思っている。


「あ、せや」

「ギルド長、口より手を動かしてください」


 ジェラルドの鋭い言葉が飛んでくる。それに舌打ちを返しながらヴァイスは手元の書類にサインをした。


「ほんでな」

「……ギルド長」

「手は動かしてますぅ。必要な報告や、報告」

「では聞きます」

「ちょお自然に書類増やすんやめえや!」


 ヴァイスが吠えるもジェラルドは気にしていないようだった。

 ホンマに気に食わん奴やわ。

 そうぼやきながら書類にサインをして、ときにジェラルドに書類を突っ返す。


「昨日エマに、まあ、告白されたんやけどな」

「なんですかその気色の悪い反応は。年頃の少年でもあるまいに」

「ホンマお前のその一言多いのはなんとかならんか」

「それは失敬。で、もちろんお断りされたのでしょう?」


 沈黙。ときにそれは語るよりも雄弁な答えとなる。

 ジェラルドは額に手をやり大きなため息を吐くと、やれやれと頭を振った。


「貴方という人は、いい大人でしょうに」

「……あないなもん断れるわけないやろ」


 昨日のエマの表情や言葉は全てヴァイスの心の奥深いところに刻まれている。

 ぺしょ、と耳を垂れさせヴァイスは書類の山に顎を乗せた。


「せやから相談しとんやないか」

「本当に貴方という人は困った方ですねえ。ああ、相談には乗ってさしあげますから手は動かしてください」


 のそのそと起き上がったヴァイスが書類を突っ返す。

 なんや、食堂の新メニュー提案て。そんなもん直接食堂のコックに言うたらええねん。

 顔をしかめたヴァイスが次の書類を手に取りながら口を開く。


「僕には立場っちゅうもんがある。こっからどう動いたらええと思う?」


 ギルド長がギルド職員に手を出したとなれば悪評も立つだろう。そのとき責められるのがヴァイスだけであればまだいいが、そうではないはずだ。いや、ヴァイスよりも受付をしているエマが矢面に立ってしまうかもしれない。

 それはなんとしても防がねばならないことだった。


「またざっくりとした相談ですねえ」

「僕は頭使うん得意やないし。そういうのはお前の方が得意なんやから、なんやあるやろ」


 全てをジェラルドに丸投げしたヴァイスが書類に目を走らせる。

 ギルド職員の休暇申請について、これは承認。

 サラサラとペンを走らせる。そうすれば机の上に仕分けた書類を新たに増やしながらジェラルドが口を開いた。


「簡単な答えとしてはエマさんがギルドをお辞めになるのが一番ですね」

「……そら困る。お前もそうやろ」

「ええ、困ります。ですがエマさんも合理的な方ですから、貴方の懸念を知ればそうお考えになるのでは?」


 うぐ、とヴァイスは口ごもる。たしかにエマならそう言いかねない。

 けれどエマに辞められるのはギルド長としても困るのだ。エマの仕事は基本的には受付だが、長く勤めているだけあってどこの仕事を回しても役に立つ広く浅い知識がある。繁忙期などは特にエマが抜けると困るのだ。

 そんなエマ頼りな現状を改善しようと、女子職員も結婚しても働けるように産前産後休暇や育児休暇の制度を整備しているのだが、まだ効果は出ていなかった。


「いっそ結婚した方がええか」

「それはそれで問題になりますよ」


 息を吐いたヴァイスが頭をかく。

 獣人であれば相手についた匂いで、誰と誰がパートナーかなんてすぐにわかる。それに一度結ばれたパートナーを変える人なんていない。

 それなのに人間は匂いなんてわからないし、パートナーを変えることもある。そのせいで妙な勘繰りを起こすし、その噂を悪趣味に楽しんだりもする。


「……なんや人間って面倒やわあ」

「人間社会に生きているんですから適応してください」

「そらわかっとるけどやな」


 書類の上に頬杖をついたヴァイスは片目をつむる。そしてジェラルドを見た。

 ジェラルドは顎に手を添える。


「婚約者、ならばどうでしょう」

「それは付き合うのと結婚すんのと、どう違うんや」

「正直なところ違いはさほどありません。まだ婚約者であればギルドへのダメージが少ないだけです。それに」

「それに?」


 ヴァイスが続きを促す。ジェラルドは微笑む。


「人間はゴシップも好きですが、ラブロマンスも好むものです。エマさんの長い初恋はいい題材となるでしょう」

「それやとエマが矢面に立つことにならんか」

「祝福されこそすれ悪いようには言われないかと。それに貴方がエマさんを守るのでしょう?」


 ヴァイスはまばたいた。

 エマを守る。それはたしかにヴァイスの誓いだ。けれどそれはヴァイスだけの誓いであって、ジェラルドには話していない。


「貴方はそういう方ですから」

「……僕、ホンマお前のそういうとこ苦手やわあ」

「おや、残念ですね」


 くすくすとジェラルドが笑う。ヴァイスは拗ねたような顔をして口を開く。


「婚約はわかった。とりあえずエマのご両親には頭下げるしかないとして、エマ本人にはどう説明したもんやろか」

「ああ、それは簡単ですよ」

「簡単やあるかい」

「簡単です。エマさんは貴方には甘いですから、ゴリ押しすれば問題ないかと」


 問題ないわけないと思うが、ジェラルドの自信に満ちた顔を見ると何も言えなくなる。

 ヴァイスはため息を吐いて最後の一枚になった書類にサインをする。


「信じとるで、ジェラルド」

「ええ、お任せください」

「せや、ついでに頼むわ」

「何でしょうか」


 席から立ち上がったヴァイスが伸びをする。窓から外を見れば鳥が二羽、低いところを飛んでいた。午後からは雨かもしれない。

 そんなことを考えながらジェラルドの方を振り返る。


「流れる噂やけどな、エマとギルドにええように頼むわ」

「……ギルド長はまた難しいことを仰る」

「よう言うわ。そういうんは得意やろ、副ギルド長」


 そう言ってニッと笑ったヴァイスにジェラルドは微笑みを返した。

 沈黙。それがジェラルドの答えだった。

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