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ベッドから起き上がって伸びをする。
時計を確認すれば六時。いつもと同じ起床時間だった。
エマはほっと息を吐く。
昨日は少し飲みすぎたから起きられるか心配だったけれど、体調面も問題はなさそうだった
「……昨日」
そう、昨日だ。
クラリッサと飲んだその帰り道、ヴァイスとエマは――そこまで考えて首を振る。
あの後はお互い無言で、そのまま家まで送ってもらって別れたのだ。
「今日、一体どんな顔をすれば」
両手で顔を覆う。今日も今日とて仕事だった。
はあ、と息を吐く。
とりあえず今はいつもと同じことをして仕事モードにまで気持ちを持っていかなければ。
よし、とエマは意気込んでパジャマのボタンに指をかけた。
身支度を終えたエマは、テーブルに紅茶が入ったカップとトーストを並べる。そしてトーストをかじりながら新聞に目を通す。
どうやら王都のはずれにある森で、新たな迷宮が見つかったらしい。
これは今この街にいる高ランク冒険者たちも探索に向かいそうだ。
「夜の見回りを依頼する冒険者の選考をしないといけないかな」
とりあえずギルドに行ったら副ギルド長に進言しておこう。そうエマは頭の片隅にメモをする。
「っとと、そろそろ行かなきゃ」
トーストの残りを口へと放り込んで、紅茶で押し流す。
七時半、家を出る時間だった。
エマは冒険者ギルドの近くにアパートを借りている。そのため徒歩での通勤だ。
その途中、馴染みのパン屋に寄って昼食用のパンを買う。
「おばさん、おはようございます」
「おはよう、エマちゃん。今日もはやいわね」
ここはエマが幼いころからある小さなパン屋だった。
ガラス張りのショーケースにいくつかパンが陳列されていて、客が外から選ぶシステムだ。ちなみに店の一番人気は昔ながらのコッペパンである。
ふと、エマの目に季節限定と書かれた文字が飛び込んできた。
それに目ざとく気がついたパン屋のおばさんはニコニコとパンの宣伝をする。
「それ、今日からなの。ブルーベリージャムとホイップのパンよ」
「すごくおいしそうですね」
ブルーベリージャムとホイップが挟まれたコッペパンが、ショーケースの真ん中で輝いている。おいしそう。おいしそう、だけれど。
そしてエマはうーん、と悩んで商品を決めた。
「……BLTサンドでお願いします」
「はいはい、いつものね」
パン屋のおばさんに代金を渡して商品を受け取る。
冒険者ギルドの職員なのにこういうときに冒険できないのがエマだった。
「やっぱり期間限定商品にすればよかったかな」
うんうんと悩みながらエマはギルドへ向かう。
そして八時ちょうど、冒険者ギルドに到着した。
「おはようございます」
まだ受付が開始されていない冒険者ギルドの裏口から中に入る。その頃にはすっかりエマは仕事モードになっていた。
そして挨拶をすれば、すでに出勤している者たちからの挨拶が方々から返ってくる。
それにさらに挨拶を返しながら、エマはギルドを見渡せる席に座る人物のところに向かった。
「おはようございます、副ギルド長」
副ギルド長のジェラルドだ。
今日もシワひとつないスリーピースのスーツをおしゃれに着こなしている。そんなジェラルドはエマに穏やかな微笑みを返した。
「おはようございます、エマさん」
「副ギルド長、本日ギルド長はどこかへ外出ですか?」
出勤して挨拶をしたとき、まずはヴァイスの大きな声が一番に返ってくる。それなのに今日はそれがなかった。ギルド内にもその目立つ姿はない。それが不思議でエマはジェラルドに尋ねたのだった。
尋ねられたジェラルドはゆるく首を横に振る。
「エマさんは新たな迷宮が見つかった話はご存知ですか?」
「はい。たしか王都のはずれにある森で見つかったとか」
「その件で今、各地冒険者ギルドのギルド長とその対応について話し合っています」
なるほど、とエマは頷く。
ヴァイスは執務室にこもっているから姿が見当たらなかったらしい。
ギルド長の執務室には各地の冒険者ギルドと通信を繋げられる装置がある。それを使って各地のギルド長と会合をしているのだろう。
そういえば、とエマは頭の片隅に置いておいたメモのことを思い起こした。
その迷宮のことで副ギルド長に進言があったのだった。
「副ギルド長、その迷宮の件でご相談が」
「どうかされましたか?」
「はい。おそらくCランク以上の冒険者の方は迷宮の探索に向かわれるはずなので、夜の見回りの人員が不足することになるかと」
「それは新たな人員の選考が必要ですね。エマさん、目ぼしい冒険者のピックアップをお願いしても?」
「はい、もちろんです」
Dランクで人当たりのいい冒険者にはいくらか心当たりがある。とりあえず今日中に冒険者の登録情報をまとめておけばいいだろう。
エマは頷いて受付へと向かった。
「おはよう、クラリッサ」
「……おはようございます、エマ先輩」
血色の悪い顔をしたクラリッサに苦笑する。
昨日は飲みすぎたのだろう。若いクラリッサはまだ自分のアルコール許容量がまだわかっていないらしい。
「朝食は食べられたの?」
「いえ、朝は起きるのがやっとで」
「ちょっと飲みすぎたみたいね……ほら、隣の食堂でポトフでも貰ってきなさい。今朝の掃除はいいから」
「はぁい」
ふらふらとギルドに併設された食堂に向かうクラリッサに、あの様子では午前中は使いものにならないだろうなと小さく笑う。
クラリッサのそういうところもエマはなんとなく憎めなくて好きだった。
「さて、クラリッサの分も掃除しないとね」
そしてギルド内を軽く掃除して八時半。冒険者ギルド受付開始の時刻となった。




