16
暑いのに寒い。頭がズキズキと痛むのに意識はふわふわとしていて、エマは微睡みの中を彷徨っていた。
プニプニの少し冷えた肉球の感触が額に触れる。それが心地が良くて、はあとエマは熱い息を吐いた。
「あっつ……おでこで目玉焼き焼けるんとちゃう?」
ヴァイスの声に薄っすらと目を開ける。眉根を寄せたヴァイスが心配そうにエマの顔を覗き込んでいた。
「おはようさん」
「……おはよう、ございます」
エマの口から発された声は掠れていた。たしかに昨日の夜、少しのどが痛いような気もしていたが、これは完全に風邪だろう。
体調管理には気をつけていたはずなのだが、風邪を引いてしまったことに落ち込む。
「今日は休みや」
「……はい」
そう言うヴァイスの言葉に渋々頷く。
おそらくはもう家を出る時間になっているのだろう。スーツ姿のヴァイスにそう判断する。
しかし、ギルド長でもあるヴァイスがそんな時間までエマを寝かせておくことした時点で休むほかなかった。
「ここに水置いとくで。あとリゾット作ってあるから腹減ったら食べて薬飲みや。薬もダイニング置いとくさかい」
「はい」
やや急ぐように説明されたことに頷けば、ナイトテーブルに水の入ったコップが置かれた。
そしてヴァイスの大きな手で頭を撫でられる。
「今日はなるべくはよ帰るから。無理せんと寝ときや……ほな、いってきます」
「はい、いってらっしゃい」
のろのろと手を振って、それだけ言うとエマの意識はまた微睡みにとろりと沈んでいこうとした。けれど、パタンと扉を閉めて出て行ったヴァイスの後ろ姿が頭から離れない。
はやく、帰ってきてほしい。
エマはぼんやりとそう思って、ヴァイスの枕に手を伸ばす。そして、それを抱きしめて眠った。
再びエマが目を覚ますと朝よりも頭がすっきりとしていた。熱もかなり下がった気がする。
そう思って自分で額に手を当ててみたけれど、よくわからなかった。
それもそうかと小さく笑って、上半身を起こすとナイトテーブルに手を伸ばした。
「……お水」
そうしてヴァイスが置いてくれていた水を飲んで、はあと息を吐く。汗で濡れたパジャマが気持ち悪かった。
とりあえず着替えよう。
そう思ってエマはベッドから抜け出して洗面所へと向かった。
濡れたタオルで体を拭いて、新しいパジャマに着替えると幾分か気持ちもすっきりとした。
そうすると、ぐうとお腹が鳴った。自分の現金さに笑ってダイニングに行く。
ダイニングにはヴァイスの言った通りリゾットがあった。さつまいもときのこのリゾットだ。
それを温め直して食べる。食べるとさつまいもの甘みが広がって、ほっとする味だった。
「ごちそうさまでした」
鍋にあったリゾットをきれいに食べ終わるとテーブルの上にあった薬を飲んだ。
液体の薬は苦くて思わず顔をしかめる。しかし、この薬はよく効くのだ。我慢して水を飲んだ。
そうしていると、薬の副作用だろうか。また眠気がやってきてベッドに戻る。
またヴァイスの枕を抱いて眠った。
ふと、頭を撫でられる感触がしてエマは目が覚めた。
そこには朝と同じように心配そうにエマの顔を覗き込むヴァイスがいた。
「……おかえりなさい」
「ただいま。起こしてしもたか」
「いえ、大丈夫です」
「さよか。チキンスープ作ったけど食べれそうか?」
ヴァイスのその問いに頷く。寝ていただけなのにお腹は空いている。ぐう、と鳴るエマのお腹にヴァイスがケラケラと笑った。唇を尖らせてその腕を叩く。
「ごめんて」
「……もういいです」
そうして拗ねながらエマはヴァイスと共にダイニングへと向かった。
ダイニングに着くとトマトのいい香りがした。
またエマのお腹がぐうと鳴る。ヴァイスは肩を震わせていた。
「……ヴァイスさん」
「ごめんて。ほら、温め直すから座っときや」
「はい」
からかってくるけれど、なんだかいつも以上にヴァイスが優しい。エマはそれにこっそりと笑って、ダイニングの椅子に腰掛けた。
「できたで。おかわりもあるからな」
「はい。いただきます」
スープを掬って飲む。トマト味のチキンスープは優しい味がした。
もしヴァイスが風邪を引いたときはこれを作ってあげよう。そう思いながらスープを食べ進めていく。
「体調はどないや」
「ずっと寝てたので、もう大丈夫そうです」
「たぶん疲れが出たんやろな」
春先はギルドの仕事が忙しくなって式の準備ができないからと、比較的暇な冬の間にエマは式の準備を進めていた。しかし、それで体調を崩してしまうとは情けない話だった。
「ま、明日も念の為休みや。クラリッサもがんばる言うてたし」
「そんな、大丈夫ですよ」
「ええから。そもそもエマは働きすぎやねん」
「そうでしょうか」
エマは自分ができる範囲の仕事しかしていないのだが。それで働きすぎだと言われてしまうと困ってしまう。
苦く笑うエマには触れずにヴァイスはスープが入っていた器を指差した。
「おかわりいるか?」
「あ、はい。いただきます」
おかわりをよそってくれているヴァイスの後ろ姿をぼんやり眺める。そして考える。
エマが万全じゃない体調でギルドに戻っても、きっと迷惑になるだけだろう。
それならクラリッサとヴァイス、二人の言葉に甘えて明日もゆっくりさせてもらおう。
そんなことを思いながらおかわりのチキンスープを受け取って、エマは小さく笑った。