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12

 午前十時、間もなくフカ討伐の時刻である。

 本来であればこの時期ならたくさんの人で賑わっているらしい海水浴場にはエマたち以外に人の姿はない。


「っとと」

「大丈夫か、エマ」

「はい、すみません」


 慣れない砂浜に足を取られたエマをヴァイスが支える。デレクとユーニスはスタスタと歩いていた。経験の差だろうか。

 けれど砂浜というのは、なんとも形容しがたい不思議な感触だ。


 ヴァイスに手を引かれながら砂浜を歩いていれば、砂浜にぽつんと銅像が立っているのに気がついた。大剣を天高く掲げているポーズをした獣人の銅像だ。

 銅像を見る。隣のヴァイスを見る。銅像を見る。ヴァイスを見る。


「……ヴァイスさん?」

「気にしたらアカン」


 片手で顔を覆ったヴァイスが呻くように言った。

 エマは頷く。頷いてなるべく気にしないように、なぜ銅像が立つことになったのかその経緯が気にはなるのだが、銅像から視線を逸らす。

 そうすると、銅像の下に人の姿があることに気がついた。人の側には大きな木箱とこれまた大きな荷車がある。

 その人物もこちらに気がついたのだろう。大きく手を振りながら駆け寄ってきた。


「先生!」


 エリオットだった。今日も今日とて装飾過多な服装だが美しい顔で違和感を覚えさせない。そして、あるはずのない尻尾がブンブンと振られているのが見えた。


「エリオット、言うてたもんは揃てるか?」

「バッチリですとも。ええ、先生の頼みですからね。間違いなく完璧にそして美しく準備させていただきましたよ、このオレが!」

「美しさは別にいらんけど、助かったわ」

「そんな、先生から感謝の言葉を聞けるなんてありがたき幸せ! 恐悦至極、まさに無上の喜び!」


 はわわ、と両手で口元を覆い感激で震えているエリオットを見てエマは思う。今日も今日とて愉快なご領主様だった。


「何を用意してもらったんですか?」

「ま、見た方がはやいわな。爺さん準備手伝ってや」

「ジジイを働かせんじゃねェよ!」

「そないにやかましいジジイがおるかい!」


 そうして言い合いをしながら木箱に向かっていくヴァイスたち。本当にあの二人は仲がいい。

 そう思って見ていればユーニスが近づいてきた。そしてエリオットを見て、エマを窺い見る。


「あ、あの、エマさん、そちらの……キラキラした方は?」


 かなり言葉を選んだのであろうユーニスの言葉にエマは小さく肩を震わせた。たしかにエリオットは全体的にキラキラとしている。

 咳払いをひとつして、エマは手でエリオットを示す。


「ユーニスさん、こちらはエリオット・アスター子爵……ご領主様であらせられます」

「ごっ……あわ、あわわっ不敬ですみません! ご領主様、命だけはどうかお許しください!」

「あっはっは! ユーニス嬢は愉快な方ですね。全く不敬ではありませんでしたが、いいでしょう。許しますとも! おそらくオレが美しすぎたのが原因でしょうから。罪深い美しさで申し訳ない!」


 噛み合っているようで全く噛み合っていない会話にエマは肩を震わせた。

 どうしよう、この二人あまりにも愉快すぎる。

 顔を青くして何度も頭を下げるユーニスと片手は胸に、もう片手は腰に当てて胸を逸らせるようにして立ち、高笑いをするエリオット。場は混沌としていた。

 そこに荷車を押したヴァイスとデレクがやって来る。


「何なんこれ」


 ぽつりとヴァイスのツッコミが響いた。




 荷車にはロープのついた長さ一メートルほどの銛が三本載せられていた。銛についたロープの先はあの獣人の銅像に括られているようだった。これがあの木箱に入っていたものだろう。


「これは?」

「捕鯨用の銛やな」

「正しくは捕鯨砲の銛ですが! 残念ながら今回は時間がなく、砲台まではご用意できず……うーん悔やまれます!」

「いや別に砲台はいらんねん」

「おっと、そうでしたか!」


 エリオットがまばたいた。

 二人の会話から推測するにこれは砲台から発射されるものなのだろう。しかし砲台はない。ヴァイスはどうするつもりなのだろうか。

 エマがヴァイスを窺い見る。


「僕が投げんねん」

「……ぼくがなげる? ギルド長さんは砲台だったんですか?」

「ユーニス、話を逸らすな」

「えっあの、支所長さん、アタシは全然逸らしてませんですけど?」

「あっはっは! やはりユーニス嬢は愉快な方ですね!」


 また場が混沌としてきた。

 しかし、ユーニスの言葉にも一理ある。僕が投げるとは一体どういうことなのか。


「この銛の先に火薬が……ま、見た方がはやいし、やるわ」


 ヴァイスは首を左右に倒し、右肩をぐるぐると回す。そして銛を一本手に取った。

 そのまま数歩走って、銛を投げる。ヴァイスの肩と腕の筋肉が盛り上がり、やがて腕が鞭のようにしなった。

 銛を投げた先は海だ。サメの特徴的なヒレが三つ見える。悠々と三頭は泳いでいるようだった。

 そんな中、空気を切り裂くような勢いで飛んでいった銛がそのうちの一頭に命中する。耳が割れるほどの爆発音が響いた。


「こないな感じで銛の先に火薬がついとって、ちゃんと刺さんねん」

「坊主、残りの二頭が逃げる! さっさと仕留めろ!」

「はいはい、言われんでもわかっとるわ」


 突然の爆発音にぐるぐると目を回したユーニスを支えながら、エマは再び銛を手に取るヴァイスを見る。そのヴァイスはなんだか、


「先生、楽しそうですよね」

「ご領主様」

「先生には、やはり自由を愛する冒険者がよく似合う。しかし領主としては領地に元Aランク冒険者のギルド長がいるというのはとても魅力的です……うーん、悩ましい!」


 顎に手を添えて本気で悩んでいるらしいエリオットにエマはかける言葉を探す。探して、探して、見つからずに沈黙を選んだ。

 エリオットが言うように今のヴァイスの表情は生き生きとしている。楽しそうというには些か獰猛すぎる表情だけれど、あれが冒険者としてのヴァイスの表情なのだろう。

 また爆発音が響いた。


「先生はオレの自由の象徴でした。先生の冒険譚を聞くたびに胸が熱くなり、憧れを抱き、よく冒険者になった自分を夢想したものです」


 ヴァイスを眺めながらエリオットが呟いた。

 エリオットは冒険者になりたかったのだろうか。もしかしたら今も――。

 一心にヴァイスを見つめるアイスブルーの瞳に僅かに滲んだ寂寥感を見つけてエマは息を呑んだ。


「……すべてギルド職員は、冒険者の登録において、罪を犯したものをのぞき、その信条、性別、出自、種族を理由として、これを拒んではならない」

「冒険者ギルドのギルド規則ですね」

「はい」


 ギルド規則。それはエマたちギルド職員が守らねばならない規律で、果たさねばならない義務だ。

 そして先ほどエマが口にしたのは、誰でも冒険者になる権利があることを記した決まりだった。王都では貴族でも冒険者登録をすることがあるらしい。だからエリオットにも当然その権利がある。


「誰でも冒険者になれる権利がある。素晴らしい規則です。そうしてエマさん、やはり貴女は聡明でお優しい方だ……なるほど、先生はそこに惹かれたのかもしれませんね」


 そう言ってエリオットは破顔した。

 その青年らしい笑みにエマはまばたく。けれど、そのまばたきの間に笑みは消え、いつもの自信に満ちた表情になっていた。一分の隙もない美しい顔だ。

 そしてエリオットは片眉を上げ、エマに問いかける。


「そうして登録された冒険者の義務は依頼を受け、達成すること。そうですね?」

「はい。そのため一定期間の後、依頼を達成できなかった冒険者は登録を抹消されます。もちろん再登録はできますが」

「ではエマさん、領主の義務とは何だと思いますか?」


 なんだか学校での授業を思い出す問答だ。しかし、領主の義務とはなんだろう。

 エマは首を捻る。そして自分の考えを口にした。


「領主は領民に土地を与え、保護するかわりに税の徴収をします。つまり領主の義務は、領民の保護になるかと」

「そうですね。正しい答えだと思います。けれど、オレはこう思うのです」


 爆発音がした。きっと最後の銛だ。

 海に視線をやれば、三頭の大きなサメが浮かんでいる。ヴァイスとデレクがロープを引っ張り、サメを海の中から砂浜へ引き上げようとしていた。


「領主の義務とは、その地を愛し、その地に住むものを愛し、そして守り抜くことだと」

「……とても、素敵な考え方だと思います」

「ありがとうございます。ですから残念ですがオレが領主である限り、冒険者の義務は果たせないのです。怪我をしない冒険者はいないでしょう? いざというときに怪我をしていては愛するものを守り抜くことはできませんから。それに、」


 エリオットが微笑む。愛おしいものを目にしたような美しい笑みだった。

 そして高らかに宣言する。


「オレのこの美しい髪一本、血の一滴、その命すべてをこの地とこの地に住まう愛するものたちに捧げてしまっているので、冒険者にはなれません!」


 胸を張るエリオットにエマは頭を下げた。

 本来ならば膝を折るべきなのだろう。しかし、そうすると気絶しているユーニスを砂浜に転がしてしまうことになるし、なによりエリオットがそれを望んではいないと思った。


「浅慮で礼を失した発言、謝罪申し上げます」

「特段に謝罪されるようなことはありませんでしたが、許しますとも。なにせエマ嬢もオレの愛すべき民ですからね!」


 ぱちん、とエリオットが片目をつむる。

 愉快で、敬い愛すべき領主の姿だった。


 そこに荷車にサメを三頭載せたヴァイスたちがやってきた。

 サメはそれぞれ六メートルはあるだろうか。エマはサメ自体見るのは初めてだが、とても大きいとわかる。


「楽しそうやったけど何の話してたん?」

「強いて言えば権利と義務の話です」


 首を傾げていたヴァイスが顔をしかめた。それから唇を尖らせる。

 どうやらお気に召す答えではなかったらしい。


「そんな話より僕の活躍を見ててや」

「何をおっしゃいますか! もちろん先生のご活躍は何ひとつ一瞬たりとも見逃すことなく、この美しい瞳に焼きついていますとも!」

「いや、お前とちゃうねん」


 エマはくすくす笑う。なんだか二人のやりとりがとても愛おしいものに見えたのだ。

 そんなエマを見てヴァイスは口を開こうとして、デレクに尻を蹴り上げられた。


「痛っ何すんねん!」

「坊主、はやく漁港に持って行って処理するぞ。サメの肉が臭くなる!」

「あーもう、ホンマしょうもない爺さんやなあ。エマ、ユーニス連れて支所に戻り。僕は漁港に行ってくるから」

「はい、わかりました」


 そうして三頭の大きなサメを載せた荷車を軽々と引いていくヴァイスに面食らいつつ、エマはようやくユーニスを起こすことにしたのだった。

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