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いよいよ週末である。手紙で先に紹介したい人がいると伝えておいたおかげだろうか、久しぶりに実家に帰ったエマを見ても両親は落ち着いた様子だった。
そしてテーブルにナッツを置きながら母のエイダがエマに尋ねる。
「ねえ、エマ。お相手の方はいついらっしゃるの?」
「もう来ると思うけど」
エマとヴァイスはバラバラにエマの実家へと行く手筈になっていた。日中に二人きりで実家に向かう姿を見せて、婚約前に余計な噂を立てないためだ。
いや、それよりもエマには気になることがあった。
「ねえ、母さん。どうしてそんなにテーブルにおつまみを並べているの」
「え? だって、お父さんがいらっしゃる方とお酒を飲みたいって言うから」
「親に紹介したいということは結婚を考えている相手なんだろう? なら義理とはいえ息子じゃないか。父さん息子と酒を酌み交わすのが夢だったんだよ」
そう言って父であるカーティスはウイスキーをテーブルの上に置いた。
すでにテーブルの上にはハム、チーズ、ドライフルーツにナッツ、チョコレートも並べられている。
それらを見ながらエマは困惑する。まだ誰が来るかも言っていないのに、なぜこんなに歓迎ムードなのかと。
「せめて相手を見てからにしてくれない?」
「でも、エマの紹介したい人ですもの。ねえ?」
「ああ、エマの紹介したい人だからなあ」
うんうんと頷き合う両親にエマは頭を抱える。
最初に家に帰ったときは、両親から結婚を反対されるかもしれないと緊張でいっぱいだったのに今は困惑でいっぱいだ。
そんな中、不意に玄関のドアがノックされた。
「はいはーい」
「私が出るから!」
嬉しそうに出て行こうとする母を止めて玄関に向かう。
ドアを開けると緊張した面持ちのヴァイスがいた。グレーのスーツに身を包んでいる。久しぶりに見るフォーマルな装いだが、エマにときめく余裕はなかった。
「ギルド長! じゃなくて、ヴァイスさん。あの、予想外の展開になってます」
「えっ予想外ってなんや。もう反対されとるん?」
「いえ、あの逆で」
「逆?」
ひそひそと小声になりながら玄関でやりとりをしていれば、足音がした。
振り返ればニコニコとしたエイダがいた。
「ヴァイスくん、いらっしゃい。ほらエマ、いつまでも玄関にいないで、ヴァイスくんを案内してあげなさい」
「えっあ、うん」
「お、お邪魔します」
そう言って何事もなかったかのようにリビングに戻っていくエイダにヴァイスは戸惑う。
これは一体どう反応するんが正解なんや。
困惑しながらエマを見れば、エマも同じような顔をしていた。
「エマ、ちなみに今日のことはなんて?」
「紹介したい人がいる、とだけ」
「……何が起きとるかわからんけど、とにかく話しさせてもらおか」
「はい」
そうして再びこそこそと作戦会議をした二人は、戸惑いを胸にエマの両親が待ち構えるリビングへと向かった。
「ヴァイスくん、久しぶりだなあ!」
「はい、ご無沙汰してます……あの、よければこれ」
「まあ、これ有名なパティスリーのじゃない! わたし、あそこのケーキ好きなのよ」
ヴァイスの手土産にエイダがぱっと顔に喜色を浮かべた。それから受け取った箱を手にウキウキとキッチンに向かっていく。
その様子にヴァイスは、ほっと息を吐いた。手土産作戦はどうやら成功らしい。
「ヴァイスくん、ほらこっちに来て一緒に飲もう!」
「ちょっと父さん! まずは話を」
「飲みながらでもできるだろ。なあ、ヴァイスくん」
「いや、飲みながらはさすがに」
「あらやだ、あなたたちまだ座ってなかったの? ほら、はやく座って座って」
やたらと酒を勧めるカーティスにエマは怒り、ヴァイスはしどろもどろになっているとキッチンからトレイを手にしたエイダが戻ってきた。トレイの上には人数分のケーキと紅茶が入ったカップが載せられている。
そしてエイダはカーティスの向かいの席に腰掛けた。
「なんで母さんがそこに座るの」
思わずエマの口からこぼれ落ちた。ヴァイスも内心その言葉に大きく頷く。
ただエイダもカーティスも不思議そうに首を傾げている。
「それじゃあヴァイスくんは、ぼくの隣だね」
「エマ、こっちに座って」
二人は、エマの両親に言われるがまま座るしかなかった。
たしかにエマが幼いころヴァイスを家に引きずり込んで一緒におやつや夕飯を共にしていたときはこの並びで座っていた気がするが、今日はそういうものとは違うとわかっているのだろうか。
エマはそうっと両親の顔を窺うが、ニコニコしているだけで何もわからなかった。
「父さん、母さん。わかってると思うけど、こちら」
「ヴァイスくんだろう?」
「本当久しぶりよねぇ。ギルド長ってやっぱり忙しいの?」
「はあ、おかげさまで忙しくさせてもろてます……やなくて、今日はですね、その、エマさんとの結婚を認めていただきたく」
「うん、いいよ」
ヴァイスの言葉の途中でカーティスが頷いた。エマもヴァイスもまばたく。
「じゃあ飲もうか!」
「いやいやいや、あの、僕は獣人やしエマとは年も離れとって」
「でもヴァイスくんはヴァイスくんだろう?」
「そうそう。二十二年前に迷子になったエマを助けてくれた我が家の英雄よねぇ」
カーティスとエイダの言葉にヴァイスは閉口する。二人の態度はヴァイスに都合がよすぎて、現実味がない。エマも紡ぐ言葉が見つからないようだった。
「ほら、エマは一度言い出したら聞かない子でしょう? そのエマがヴァイスくんと結婚したいってずっと言っていたし」
ヴァイスが持ってきたフルーツタルトにフォークを刺し入れながらエイダが言う。
「それにヴァイスくんを追いかけて冒険者ギルドに就職までしてしまったしね」
自分とヴァイスの前にウイスキーの入ったグラスを置きながらカーティスが言う。
「それなのに今さらヴァイスくん以外の男を連れて来られてもなあ」
「こっちも反応に困っちゃうわよね」
そうして、うんうんと頷き合う両親にエマは頭を抱えた。ヴァイスは、ぽかんとしている。
カーティスが笑ってグラスを掲げた。
「とりあえず、飲もう! 今日は我が娘の結婚が決まっためでたい日なんだから」
リビングからすぴすぴという寝息が聞こえてくる。
ヴァイスはウイスキーを二杯飲んだところで呂律が怪しくなり、三杯飲んだところで目がとろりとして、四杯飲んだところで机に突っ伏した。酒にはさほど強くないのだ。
ちなみにカーティスは平気な顔をして飲み続けている。
「ねえ、やっぱり二人ともあっさりしすぎじゃない? 結婚の挨拶だったのに」
キッチンでエイダと二人、後片付けをしているエマがぼやいた。
皿を洗いながらエイダがくすくすと笑う。
「そう言わないの。あれでもお父さん緊張してたんだから」
「そうなの?」
「そうよ。エマからの手紙を貰ってからずっとソワソワしてたもの」
そうなのだろうか。父の態度を思い返してみても全然そんな風には見えなかったけれど。
キュッと水道を止める音がした。タオルで手を拭いたエイダがエマを見る。エマは拭いていた皿を置いた。
エイダの両手が伸びてくる。冷えた手がエマの両頬を包んだ。
「お母さんはね、エマの幸せが一番なの。ヴァイスくんと結婚することがエマの幸せなんでしょう?」
「うん」
「それならいいじゃない。わたしたちのことは気にしなくていいの。幸せになりなさい、エマ」
「……ありがとう、母さん」
母とハグをする。あんなに大きかった母が随分と小さくなってしまった気がして胸がぎゅっとなる。けれど、温かく頼もしいエマの自慢の母だった。
「どうだい、ぼくの自慢の妻と娘は」
キッチンから聞こえてきた会話に氷の音を立てながらグラスを傾けたカーティスが笑う。
「ホンマにええ親子やと思います」
テーブルに肘をついてなんとか起き上がったヴァイスが返事をした。
その返事にカーティスは目を細める。
「ぼくも妻と同じだよ。娘の幸せが一番だ……だからエマを頼んだよ、ヴァイスくん」
エマと同じ草原の色をした瞳がヴァイスを見る。
それにヴァイスはしっかりと頷いた。エマはヴァイスが必ず幸せにする。
そうたしかに頷いて、そこで耐え切れずにヴァイスは再びテーブルへと突っ伏したのだった。




