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前編

 冒険者ギルドの受付カウンターで、ふうと息を吐くひとりの女性がいた。

 茶色の髪をシニヨンにして、細い金縁の眼鏡をかけている。草原の色の瞳をした真面目そうな雰囲気の女性だ。

 長年このギルドの受付嬢をしているエマである。


「……ようやくお昼だ」


 今の季節は、春になろうかというところだった。

 春先の冒険者ギルドは忙しい。

 動植物の活動がさかんになるおかげで、植物採取の依頼も獣討伐の依頼もその数が爆発的に増加するのだ。


 エマは朝から長蛇の列をなす冒険者たちをどうにか捌ききったところだった。

 細い金縁の眼鏡を外して目頭を軽く揉む。

 これから一時間の昼休憩があるとはいえ、また午後からやってくる忙しさを思うとエマは気が重くなった。


 そこで、はたと気がついた。

 依頼内容が書かれた紙を掲示板に貼りに行った後輩のクラリッサがまだ受付カウンターに戻ってきていないようだった。

 眼鏡をかけ直したエマは、ギルド内に視線を走らせる。


「……あらら」


 掲示板の前で三人組の冒険者に絡まれるクラリッサがいた。

 春先は依頼も増えるけれど、新人冒険者も増える。だからギルドの規則もよくわかっていない若者たちによるこうした問題は、春先によくあることだった。

 エマは席を立ち、クラリッサのところへと向かう。


「あの、困ります!」

「ハハッ困りますぅだってよ」

「カワイイじゃん」

「……カワイイ」


 クラリッサの前には屈強そうな男、長身痩躯の男、フードを被った背の低い男の三人がいた。

 手こそ出していないが、クラリッサを囲うようにして立っている。


 エマにはその三人組に見覚えがあった。

 先日エマが冒険者登録の処理をしたばかりの新人冒険者パーティーだ。

 たしかランクは最近FランクからGランクに昇格となっていたはず。


 よし、と息を吐いてエマは背筋を伸ばす。

 それからコツンとブーツの踵を鳴らし、わざと足音を立てながらクラリッサと三人組に近づいた。


「どうかされましたか?」

「えっエマ先輩ぃ」


 ぴゅんっと素早い動きでクラリッサはエマの背に隠れる。

 かわいそうに怖かったのだろう、エマの名前を呼ぶクラリッサは涙声だった。


「どうって、なあ?」

「オレたちは桃色の髪の子に用があるんだよ」

「……地味なおねーさんに用はない」


 地味。新人冒険者の言葉にグサリと心を刺されながら、エマは顔だけで振り返る。

 不安そうに肩まである桃色の髪に触れ、空色の瞳を潤ませたクラリッサがエマを見上げていた。

 たしかにこれは守りたくなる可愛さだなと思いながら、エマはこそっとクラリッサに声をかける。


「クラリッサ、カウンターに戻ってアランかモーガンを呼んできて」

「えっでも、そうしたらエマ先輩が」

「私は大丈夫だから。でも、はやくお願いね」

「は、はい!」


 ぱたぱたと駆けていくクラリッサを目の前の三人組は追いかけようとする。

 それをエマは両手を広げて引き留めた。


「なにか、依頼内容についてのご質問ですか? あの子はまだ新人ですので、代わりに私がお答えします」


 目の前の三人組の目的がそうではないことはエマにだってわかっている。これはただの時間稼ぎだ。

 先ほどクラリッサに呼びに行かせたアランとモーガンというのは、元冒険者のギルド職員。つまり、ギルドの用心棒だった。


 けれど、とエマはギルド内を軽く見回す。

 もうすでにエールを飲み始めているけれど、ギルド内には中堅の冒険者の姿がちらほらと見えた。

 もしアランたちが駆けつける前に騒ぎが大きくなったとしても、彼らがエマを助けてくれるだろう。


「ですが、もしその用というのが質問ではなく、ギルド職員への迷惑行為であった場合は、ギルド規則によりギルド長への報告の上、厳重注意とさせていただきます」


 だからエマは両手を腰に当てて、はっきりとそう言った。

 まさかおとなしそうなエマに反論されるとは思わなかったのか、新人冒険者の三人組は黙り込む。


 冒険者には敬意と誠意を、不届きものには毅然とした態度で注意を。ちなみにそこで決して威圧的な態度にならないようにするのがポイント、というのは十二年前に新人だったエマが先輩の受付嬢から教えてもらったことだ。


 まあ、今回はランクが上がって少しばかり調子に乗ってしまった新人冒険者が相手だったので、彼らを不届きものとするのは言い過ぎだけれど。


 ふう、と息を吐いてエマは目の前の新人冒険者三人組を見た。

 彼らはうつむいていて、反省しているように見える。

 エマは小さく顎を引いた。


「今回は私からの注意で終わらせますが、次はギルド長に報告しますからね」


 そう言いながらエマは、アランやモーガンが来る前に対応を終えられそうで内心ほっとする。新人冒険者である彼らが今後活動していくためにも大事にならないのが一番いい。

 それに比較的短い時間で対処できたし、これなら昼休憩も十分に取れるだろう。

 そう思ったときだった。どこからかどっと笑い声が起きて、それが次第に伝播していった。


「エマちゃんにやり込められたなあ、坊主たち」

「こりゃ傑作だ」

「俺もエマちゃんに叱られたいねえ」


 ケラケラ、ゲラゲラ。新人冒険者たちを笑う声がギルド内に響いた。

 笑い声の主を見れば、顔を赤くして完全に酔っ払っている中堅の冒険者たちだった。

 エマの前にいる三人組も中堅冒険者たちとは違った理由でみるみる顔を赤くしていく。

 先輩冒険者たちによる洗礼。それはそうなのだが、今その煽りはエマにとってタイミングが悪すぎた。


「て、テメーのせいで!」

「クソッ」

「……笑われた」


 怒りに支配された屈強そうな男が腕を振り上げた。

 これはまずいことになった。エマはぎゅうっと目をつぶる。


 ごん、ごん、ごん。三回鈍い音が響いた。

 来るべき衝撃が来ないことにエマは首を傾げて、そろりと目を開ける。

 目の前に広い背中があった。それから白くて大きく、とても立派なふさふさとした尻尾も。


「そらアカンわ。温厚な僕でも怒ってまうで」


 それにこの特徴的な獣人訛り。それらを持ち合わせている人は、この冒険者ギルドにひとりしかいない。


「……ギルド長」


 エマの声に振り返った男は大きな口でニッと笑った。純白の毛に覆われた顔にある金色の瞳がきらりと輝いた。

 狼の獣人で、この冒険者ギルドのギルド長であるヴァイスだった。


「エマ、大丈夫やったか?」

「はい。すみません、こんなことでギルド長のお手を煩わせてしまって」

「かまへん、かまへん。エマが無事でなによりや」


 そうしてヴァイスはエマの頭に大きな手をぽんと置く。

 そしてすぐに慌てて両手を勢いよく上げた。あまりの勢いにエマの前髪が風圧で持ち上がる。


「しもた。今のってセクハラになるか?」


 人間と違って顔を毛で覆われた獣人の表情はわかりづらい。

 けれどヴァイスはなぜか表情豊かだった。今もなんとなくの雰囲気だが眉を下げて情けない顔をしている気がする。

 それに頭の上にある大きな耳もわかりやすく垂れ下がっていて、思わずエマはくすくすと笑ってしまった。

 そうして少しばかり笑って、エマは小さく首を横に振る。


「いいえ、大丈夫ですよ」

「そらよかったわ……ほな、キミらの処罰の話でもしよか」


 そう言うとヴァイスはくるり、とエマに背を向けた。

 ヴァイスの背から覗くようにしてエマが向こう側を見れば、頭を押さえてしゃがみ込む三人組がいた。


「ギルド職員に対する迷惑行為、あとギルド内での暴力。どっちもギルドの規則違反や」

「ぼ、暴力ならテメーもオレらにやったじゃねえか」

「僕はギルド長やからええねん」

「横暴だ!」


 ギャーギャーと騒ぐ三人組にヴァイスはうるさそうに両手で耳を塞いでいる。

 けれど大きくため息を吐いて、三人組に向き合った。三人組と視線を合わせるようにヴァイスもしゃがみ込む。


「あんなあ、初回やからげんこつで済ませてやってんで。取ったばっかの冒険者の資格、ホンマに剥奪されたないやろ」


 じろり、とヴァイスの金色の瞳に睨まれた三人組は口を閉ざした。

 それからヴァイスは先ほどまで騒いでいた周囲を見回して声を張り上げた。


「周りの冒険者共もあんま新人を煽らんこと。あと酒飲んでウチの職員に迷惑かけんのなら出禁にすんで」


 そう言って立ち上がったヴァイスは首をぐるりと回す。大きな手を首に当てて、深く息を吐いた。


「これ以上オッサンを働かせんといてや。頼むで、ホンマ」


 ヴァイスのその静かな呟きで、事態は完全に収拾した。

 三人組はギルドから出ていき、冒険者たちは静かに飲み直している。

 けれどエマだけは不満そうに唇を尖らせていた。


「……ギルド長はおじさんじゃないです」

「ホンマにエマはええ子やなあ。飴ちゃんやろか?」

「いりません。私もう二十八ですよ、子ども扱いしないでください」

「はあ、もうそないになるんか。そら僕も年取るはずやわ」


 そう言うとヴァイスは顎に手を当てて感慨深そうに頷いた。

 ヴァイスが冒険者を引退してこの冒険者ギルドのマスターとなったのは、今から二年前のことだ。だから二人は受付嬢とギルドマスターとしての付き合いは二年ほどになる。

 けれど、エマ個人としてならヴァイスと出会ってからもう二十年は経つが。


「ヴァイスさん。私、大人になりましたよ」

「おん。ベッピンさんやで」

「……そういうことじゃないです」


 ふい、と拗ねたように顔を逸らすエマにヴァイスはケラケラと笑う。

 そんなやりとりをしながらエマとヴァイスの二人が受付カウンターに戻ると、カウンターの中からクラリッサが飛び出してきた。

 そして、エマに勢いよく抱きつく。あまりの勢いによろけたエマの背をヴァイスがそっと支えた。


「エマ先輩、ご無事でよかったですっ」

「ありがとう、クラリッサ」


 ふわふわとしたクラリッサの桃色の髪を撫でれば、ぎゅっと抱きつく力が増した。

 なだめるようにクラリッサの背中をぽんぽんとエマは軽く叩く。


 そうしてしばらくして、ようやく離れたクラリッサをエマはじっと見つめた。


「でも、クラリッサ。私が呼んで欲しかったのはギルド長じゃなくて、アランかモーガンだったのだけれど」

「あっそれは」

「あーちゃう、ちゃう。ホンマはアランが行こうとしてんけど、なんや騒がしいやろ? 暇やったし、クラリッサに僕が代わりに見に行くわ言うてん」


 そんなことでギルド長を頼ってはいけない、と叱るつもりだったエマはヴァイスの言葉に勢いを失ってしまった。

 けれど、とエマは眉をひそめて背後にいるヴァイスを見上げた。


「どこの冒険者ギルドに暇なギルド長がいるんですか」

「ここにおんで」

「……まさか、また書類を溜めているんじゃないですよね」

「僕が書類を嫌いなんとちゃうで。書類が僕を嫌いやねん」


 そう言いながらもヴァイスはエマから視線を逸らしている。やましいことがあることは明らかだった。

 エマがため息を吐く。


「昼休憩の間でしたら手伝いますから、執務室に行きましょう。すぐにでも」

「ホンマ? そら助かるわ」

「副ギルド長のご迷惑にならないためです」

「なんやエマ、えらい冷たいなあ。僕のためとちゃうん?」

「強いて言えばギルドのためです」


 そうして気安いやりとりを重ねながらエマとヴァイスの二人は、ギルド長の執務室へと消えていく。

 これが冒険者ギルドの受付嬢であるエマの日常だった。







 執務室に消えていった二人を見て、クラリッサはきゃあっと小さく黄色い声を上げた。


「あの二人って、やっぱりそういう関係なんですね!」


 それから周りのギルド職員にこっそりと告げる。

 クラリッサの言葉を聞いた職員たちは顔を見合わせて、それから噴き出した。


「あの二人が? ないない」

「エマに逆らえないだけだろ」

「このギルドにエマに逆らえるやつはいないよ」

「まあ、ギルド長が書類仕事苦手なのは事実だしなあ」


 思っていなかった反応にクラリッサはまばたく。

 それから人差し指を頰に当て、首を傾げた。


「えー、絶対にそうだと思ったのになあ」


 そんなクラリッサの言葉がギルドの喧騒に消えていった。

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