第1話 希望日の書類はおよびじゃない
「幽霊みたいだって言われるんです……」
私は窓口の椅子に腰かけ、今日五人目の相談者である、女生徒の姿を眺めていた。
彼女の名はエリシア・ノクティス。
長い髪ですっかりと顔を覆い、背中を丸めて俯く姿は、まるで自分の存在を消そうとしているかのようだ。
膝の上で震えている手は蒼白く、手首も折れてしまいそうなほど細い。
――ちゃんと学食食べてるのかな?
私はそんな心配をしながら、彼女の消え入りそうな声に耳を傾けていた。
ここは国立カタレア魔法学園。このイニシス王国でもっとも素質のある魔導師たちが学ぶ場所だ。
私はそこに首席合格し、入学後すぐにこの相談窓口を生徒会長から任された。
このブースは生徒会が用意したもので、一年生が学校生活や魔法学習に関する悩みを相談できる場所だ。
部屋のなかには、学校の案内や資料が入った本棚と長机がひとつ。それから観葉植物と、椅子が四脚あるだけ。
相談員は私と私の幼なじみのオルフェルの二人だ。けれど今日、彼は課題に追いつめられているらしい。
「幽霊……? どんなときに言われるんですか?」
「その、授業中に発表するときとか……、廊下を歩いているときとか……」
「なるほど……。だれが言ってるかわかりますか?」
「みんな……。みんな、みんななんです……。みんな怖がって、私に近づいてこないんです……」
私は相談記録シートに、彼女の話をひとつひとつ書き込みながら、胸が締め付けられるように痛むのを感じていた。
私も子供のころから、この愛想のない顔とつまらない性格のせいで、ろくに友達ができなかった。
この学園に入学してからも、私にかまうのは同郷の幼なじみたちくらいだ。
きっとこの子も、この学園に入学するために、これまで脇目も振らず勉強してきたのだろう。
その結果、友達を作る方法もわからなくなり、こうしておびえて暮らしているのだ。
――わかるよ……! 私と同じだね!
――でも私よりずっとえらいよ。ちゃんと人に相談して、解決しようとしてるんだもんね。尊敬するよ。
彼女の現状が自分と重なり、とても他人事とは思えない。
共感で胸がいっぱいになるのを感じながら、私は彼女の顔を見詰めた。
もっとも彼女の顔は長い髪に隠れていて、少しも表情を読み取ることができない。
緊張すると無表情になってしまう私と、どこか似ているような気がした。
だけど私には、だれかに相談する勇気なんてどこにもないのだ。
勇気を出してここにきてくれた彼女のために、私はなにができるのだろう。
――うーん……。なんとかしてあげたいけど、どうしたものかさっぱりわからないよ。わかるなら私が聞きたいくらいだもん。
――だけど、黙ったままじゃダメだよね……。あれこれ質問だけしておいて、解決できないなんて最低だもんね……。
考え込む私のまえで、エリシアさんはじっと待っている。
ふと見ると膝の上の彼女の手は、プルプルと小刻みに震えていた。
私のこの無表情な顔が、威圧感を与えてしまっているのだろうか。
これ以上私のせいで、傷心の彼女を怖がらせるわけにもいかない。
私はさっと立ちあがると、書棚から一枚の書類を取りだし、彼女の前に差しだした。
「すみません、エリシアさん。こちらで対応できる相談ではないようですので、スクールカウンセラーに紹介状をまわします。ここにカウンセラーのスケジュール表がありますので、希望日に丸を付けてください」
すると突然、彼女はガタンと立ちあがった。そのままくるりと背中を向けられ、私はきょとんとしてしまう。
「あの……? 希望日に丸を……」
「冷たい人……。もういいです」
「え? エリシアさん……?」
唖然とする私を残して、彼女はブースを去っていった。
△
――うーん……。あれ以来エリシアさん相談しに来てくれないな……。
――私って、そんなに冷たいのかな……。うまく相談に乗れなくてごめんね、エリシアさん……。
あれから数日、私は相談窓口のブースに入るたび、そんなことを考えては落ち込んでいた。
もしかすると、私がじっと見ていたせいで、睨んでいると思われたのかもしれない。
私は普通にしているつもりでも、ときどき「怒ってるの?」と聞かれてしまうことがあるのだ。
――はぁ。私って、どうしてこうなの……。
私がため息をついていると、隣にいたオルフェルが私の顔を覗き込んできた。
赤い前髪の向こうに、火炎球のような赤い瞳。
その明るい見た目のままに、彼は炎属性だ。
「ミラナ、最近元気ねーよな」
「別に……。そんなことないけど」
「そうか? なにか悩んでるなら、なんでも俺に相談してくれよなっ」
そう言って爽やかに笑う彼は、その親しみやすさや見た目のよさもあいまって、昔からかなりの人気者だ。
そもそもこの寒いイニシス王国では、炎は光と並ぶほど人気の属性で、それだけでも人を惹きつける。
闇属性の私とは、まったく真逆の存在だ。
――エリシアさんが来てくれたとき、オルフェルがいてくれてたらなぁ……。
きっとエリシアさんははじめから、オルフェルに相談したかったのだろう。
そんなふうに考えると、ますます元気がなくなってきた。
「すみません、相談いいですか?」
「お、きたきた。本日最初の相談者だぜ!」
そのとき、軽く扉がノックされ、見知らぬ男子生徒が顔を覗かせた。
「おぉ、ルシアンじゃねーか」
「どうぞこちらへ」
私たちが招き入れると、彼は丸椅子に腰を下ろした。オルフェルが相談記録シートに、「ルシアン・エヴァネス」と名前を書きこむ。
オルフェルは友達が多いから、同学年の生徒なら大抵顔や名前を知っているようだ。
ルシアン君はオルフェルに少し笑顔を見せたあと、軽く肩をすくめてみせた。
「浮かねー顔だな」
「うん、そうなんだ。実は……幽霊の噂を消してほしくて……」
「え? 幽霊の噂?」
「うん、幽霊塔のアリアの噂なんだけど」
「あー、その噂なら何度か聞いたぜ。学校中にかなり広まってるよな」
ルシアン君の話を聞いて、オルフェルはピンと来たようだ。
――幽霊っていうから、エリシアさんのことかと思っちゃった。
つい失礼なことを考えてしまう私。友達の少ない私には、噂話はあまり回ってこない。
「噂では幽霊塔に近づくと、みんな幽霊のアリアに追い返されるらしいよな。んで、最近なんか、ケガしてるやつもいるって聞いたけど……」
「そんな噂があったんだ……」
「うん。実はそのアリアは、僕の姉さんかもしれなくて……」
「えっ? 幽霊がルシアンの姉ちゃん?」
オルフェルが驚いていると、ルシアン君は一冊の古いノートを取りだした。
ノートの表紙には「アリア・エヴァネス」と、女性の名前が書かれている。
「姉さんは僕の五つ年上だったんだけど、いま噂になってる幽霊塔で実験中に死んじゃったんだ……」
ルシアン君の表情が悲しげに曇る。彼のお姉さんであるアリアさんは、四年前までこの学校に通っていたようだ。
そして学校の敷地内にある実験塔で、封印魔法の研究をしている最中に封印に閉じ込められてしまい、そのまま死んでしまったという。
「なんで封印魔法で死んだんだ? 封印魔法って、閉じ込められるだけじゃねーの?」
「封印魔法って言っても、種類はたくさんあるからね。姉さんが閉じ込められたのは、氷結の封印魔法だったんだ。
魚を冷凍して長期保存する研究だったんだけど、開発途中だったからか、誤作動してしまったらしくて。研究仲間が封印を解除したときにはもう……」
「それはつらい話だな……」
「ご愁傷様です」
ルシアン君が言うには、お姉さんが亡くなって以来、その実験塔でしばしば幽霊が目撃されるようになり、いまでは幽霊塔とよばれているらしい。
そしてその建物は、かなり老朽化していることもあり、現在では立ち入り禁止になっているようだ。
「姉さん、恨みを抱いて死んじゃったから、悪霊になったなんて言われてるんだ……。だけど僕の姉さんは、本当に優しい人で……。こんなふうに、姉さんを悪く言われるのはつらいよ……」
「なるほど、それで噂を消して欲しいのか」
「だけど、どうして恨みを抱いて死んだなんて言われてるんですか?」
私がそう尋ねると、ルシアン君はお姉さんのノートを私に差し出した。
「実は、姉はいじめを受けていたと言われてるんだ」
促されてページをめくると、それは日記帳だった。
だけどそこには、凄惨ないじめを訴えるようなことは書かれていない。
わかるのは彼女が封印魔法研究部の仲間たちとともに、毎日切磋琢磨して研究に取り組んでいたということだ。
彼女の充実した学校生活が、その文面から見て取れる。
「どうしてこの日記で、いじめを受けていたことになるんですか?」
「それが、これのせいなんだ……」
彼が最後のページをめくると、そこには暗号文のような文章が書かれていた。