第6話 君と一緒に次の春へ歩きたい
数日後の昼休み。陽射しはまるで校舎を特別に愛しているみたいに降り注ぎ、風までほんのりと柔らかな温もりを運んでくる。生徒たちは廊下や校庭、教室の隅に三々五々集まり、私はいつものように星奈と一緒に屋上へと向かった。
「今日の天気、最高すぎない? 完全に休日でしょ」
星奈は伸びをしながら首を軽く回し、陽に揺れる髪をきらめかせる。
私もつられて顔を上げた。青空は水で洗い流したみたいに澄みきっていて、陽光が灰白の床タイルに降り注ぎ、足取りまで軽くなる。
欄干のそばのベンチに腰を下ろすと、風が膝の上の弁当布をふわりと持ち上げた。
「え、今日も手作り?」
星奈が身を寄せてきて、目を輝かせる。
「うん……星奈の好きな卵焼き、入れてあるよ」
少し照れながら蓋をずらし、自然を装って中身を見せる。
彼女は一目で声を上げた。
「わ~っ、この卵焼き完璧すぎるでしょ! しかもハート型のニンジンまで? これ、完全に恋人専用サービスじゃん!」
「ち、違うって……たまたま切っただけだから……!」
顔が一気に熱くなり、マフラーに身を潜めて、目だけを彼女に向ける。
私たちは笑いながら弁当をつつき合い、おにぎり一つが会話のきっかけになっていた。星奈と一緒だと、どんなにありふれた日常も、不思議と楽しくて温かいものに変わっていく。
食べ進めている途中で、星奈がA4の紙束を取り出した。見覚えのある文字に、私は思わず目を輝かせる。
「これ……新しい原稿?」
「うん。昨日の夜、一時まで書いちゃって……つい夢中になっちゃった」
彼女は笑いながら、膝の上に原稿を広げて見せる。
私はすぐに身を寄せ、期待を隠せない瞳で見つめる。
「ちょっとだけ……見せてくれない?」
「ん~だめ」
彼女はあっさりと原稿を引っ込め、まるで宝物を隠すみたいに後ろへ回した。
「えぇぇ~お願いっ! 一段落だけでいいから! 主人公がヒロインとどうなるのか気になるんだよ!」
懇願しながら手を伸ばすけれど、星奈はするりと身を翻してかわしてしまう。
「だ~め~。これはまだ初稿。そんな簡単に見せられないよ。神秘感は残しておかないとね~」
わざと焦らすように笑う彼女は、まるで小悪魔みたいな猫。顔には「絶対見せないよ」と書いてあるような得意げな表情が浮かんでいた。
「……星奈のいじわる」
私は頬を膨らませ、ぷいとそっぽを向いた。
数秒後、星奈はそっと私の耳元に顔を寄せ、小さな声で囁いた。
「でもね、特別に一部だけ読んであげてもいいよ」
思わず目を瞬かせて振り向くと、彼女はさらに近づいて、さっきよりもずっと優しい声で言った。
「物語のヒロインにはね……私がずっと守りたいと思う瞳があるんだ」
呼吸が一瞬止まった。それは小説の一節のようでいて、言葉を超えて、真っ直ぐに私の胸を打ち抜いた。
「……星奈」
俯いたまま、耳が焼けるように熱い。心臓はリズムゲームの難関ステージみたいに、制御不能なほど跳ねていた。
彼女はぱちりと瞬きをして、いたずらっぽく微笑む。
「だめ?」
「……反則だよ」
小さく答えながら、箸を握る手にぎゅっと力が入る。けれど、口元に浮かぶ笑みは抑えきれなかった。
食べ終わった後、私たちは肩を並べて座り、風は静かに屋上の欄干をすり抜けていく。陽射しは影を長く伸ばし、二人の輪郭をやわらかく重ねていった。
「気づけば、もう高一も終わりだね……」
私は校舎の方を見つめながら、ぽつりと呟く。
「うん、本当に早いよね」
星奈も前を見つめながら答える。その横顔は淡々としているのに、奥にはかすかな揺れが見え隠れしていた。
「最初は全然慣れなくて……でも今は、どの思い出も手放したくないんだ」
私は彼女を見つめる。すると、彼女はふっとこちらに微笑んだ。
「だからね、高二になったら新しいことに挑戦してみたい。例えば……生徒会に立候補するとか。何かを変えてみたいし、誰かのために動ける場所に立ちたいんだ」
少し言葉を切り、彼女の瞳がかすかに輝く。
「それと……もしよかったら、一緒にやってほしい」
「わ、私? でも……」
目を丸くし、思わず慌ててしまう。
「私なんて何もできないし、役に立てるかどうか……」
「遥がいてくれるだけで、十分なんだよ」
その声は静かで、けれど確かな安心を運んでくる。
私は視線を落とし、小さく頷いた。
「……星奈と一緒なら、やってみたい」
「それからね、もう一つ小さな願いがあるの」
横を向き、少しだけ期待をにじませた瞳で言った。
「高二も同じクラスになりたいな。できれば、ずっと同じクラスがいい」
その瞬間、陽射しが急に眩しすぎて、思わず俯いてしまった。手のひらをきゅっと握りしめながら。
「……私も」
願いは何度も口にする必要なんてない。その一言があれば、私はずっと、ずっと心に刻んでいられる。
——私も、ずっと君のそばにいたい。小説の中のヒロインでも、現実のまだ未完成なこの物語でも。君が紡ぐ物語なら、私はその登場人物のひとりでありたい。




