第5話 バレンタインの後のデート
バレンタインが終わった週末、私たちはデートに出かけた。今日のお昼のレストランは、私が自分から選んだ場所だ。
「わぁ! このお店、オムライス専門店なんだ!」
星奈は入った瞬間、目を輝かせて子供が好きなおもちゃを見つけたみたいな顔をした。
「うん、星奈が卵料理好きなの知ってるから、特別に選んだんだよ」
私は小さな声で言った。どうしても隠しきれない緊張が混ざってしまう。
すると彼女は振り向いて、太陽みたいに柔らかい笑顔を見せてくる。
「遥って、本当に優しいね」
たったそれだけの一言で、私の全身は溶けてしまいそうになる。
私たちはメニューを広げてあれこれ相談しながら、それぞれ好きなオムライスを注文した。料理が運ばれてくると、香ばしい匂いと黄金色に輝く卵の皮が食欲を刺激する。
「いい匂い~もうお腹ぺこぺこ」
星奈は両手を合わせて。
「いただきま~す」
窓際の席に座りながら、私たちはおしゃべりを楽しみつつ夢中で昼食を味わった。ふと気づくと、星奈の視線が私のお皿にそっと流れている。
「……食べたい?」
「いいの?」
「もちろん。あーん」
私はスプーンでオムライスをすくい、子供をあやすみたいに彼女の唇の前に差し出した。星奈はためらうことなく「あ~ん」と口を開き、スプーンを軽く噛んで目を閉じる。そしてまるで極上料理を味わっているかのように幸せそうに頷いた。
「うん、すごく美味しい……遥が作ってくれたら、もっと嬉しいんだけど~」
「変なこと言わないでよ!」
顔を真っ赤にしながらそっぽを向いたけれど、頬が緩むのを隠しきれなくて、私はこっそり笑ってしまった。
***
食事を終えたあと、私たちは街をぶらぶらしていると、ゲームセンターの前を通りかかった。
「入ってみる?」
私は尋ねる。
「え? いいの? 私、こういうところ滅多に来ないんだよね」
「せっかくだし体験してみなよ!」
私は笑いながら彼女の手を取った。まるで一緒に小さな世界へ足を踏み入れるみたいに。
ゲームセンターの中は賑やかで、色とりどりのライトと機械音がひっきりなしに響いていた。星奈は少し緊張した観光客のように立ち止まり、きょろきょろと辺りを見渡す。
「中って、こんなふうになってるんだ……男の子しか来ない場所だと思ってた」
「ううん、ここには女の子でも楽しめるゲームがいっぱいあるし、カップルで遊びに来る人だって多いんだよ」
私は彼女を連れて、自分が一番よく遊ぶリズムゲームのコーナーへ向かった。丸い形をした音楽ゲームの筐体の前に立ち、目を輝かせる。
「これが私の一番好きなゲーム。二人でやると四曲連続で遊べるんだ。一緒にやろう?」
「え……でも私、一度もやったことないよ。絶対恥かくやつじゃん……」
「大丈夫大丈夫、チュートリアルもあるし、それに星奈の反応なら私よりずっと速いはず~」
「それって、ただ私を騙してやらせようとしてるだけじゃない?」
彼女は口を尖らせながらも、結局は素直にプレイヤー2の位置に立った。
私は最高難易度のMasterを選び、星奈は初心者用の簡単モードを選んだ。ゲームが始まると、画面から音符が飛び交い、ライトが眩しく点滅する。私はリズムに没頭し、すべての音符を正確に叩いていく。その横で星奈は……うん、やっぱり初めて触れる筐体に手も足も出ず、ドタバタしていた。
そんな彼女の姿を横目で見ているうちに、つい笑い声が漏れてしまった。
「星奈、可愛すぎでしょ……!」
「なに笑ってるの! 私だってめっちゃ頑張ってるんだからね!」
ゲームが終わり、画面には私のオールパーフェクトの結果が映し出され、星奈のスコアは……惨憺たる有様だった。彼女はむくれた顔で私の結果を見上げ、不満げな瞳を向けてくる。
「むぅ……遥が上手すぎて、私がめっちゃ下手に見えるじゃん……」
「そんなことないよ。練習量の差だって! それに……私、すごく嬉しかったんだ。星奈が一緒に遊んでくれて」
私は彼女の手を取り、軽く揺らした。
「星奈が隣にいてくれるなら、私がどんなに上手くても、その成果を半分は分けてあげたいって思うんだ」
彼女は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに頬を赤らめ、小さな声で呟いた。
「……そんなこと言われても、別に許したわけじゃないからね」
でもその直後、彼女はふっと笑みをこぼした。
もしバレンタインが恋の始まりだとしたら、こういうデートはお互いの距離をそっと縮めてくれる魔法みたいなものだ。星奈と一緒なら――どこへ行っても、何をしても、それは私だけの特別な楽園になる。
***
デートが終わったあと、私はひとりで帰り道を歩いていた。空気の中にはまだ昼間の陽だまりの匂いが残っていて、イヤホンから流れてくるのは、今日ふたりで一緒に聴いたあの曲。不思議と足取りが軽くなり、空気さえも甘く感じられた。
さっきレストランで、私が食べさせてあげたオムライスを口にしたときの、あの笑顔。その瞬間が、頭の中に鮮やかに焼き付いている。そして、ゲームセンターでリズムゲームのハンドルを握って、慌てふためくように手を動かしていた姿……かわいい、本当にかわいかった。
まさか自分が、ある日の午後をこんなにも自然に、誰かと丸ごと共有するなんて思ってもみなかった。その「誰か」は友達でもなく、家族でもない——私が好きな人。
これが「恋をしている」という感覚なのだろうか。小説みたいに劇的でもなく、ドラマのように心臓が爆発しそうになる場面でもない。ただ少しずつ、静かに……日常の中に溶け込んでいく温もり。
彼女が笑えば、私の心も自然とやわらかくなる。彼女が近づけば、無意識にもっと近づきたいと思ってしまう。今日みたいな一日が終わったあと、ただひたすらに一瞬一瞬を繰り返し思い返していたくなる。
そのとき、スマホが小さく震えた。星奈からのメッセージだった。
「今日は本当に楽しかった。また遙と一緒にいろんなことしたいな。それと、あのレストラン選んでくれてありがとう。すっごく気に入っちゃった」
思わず笑みがこぼれて、私は急いで文字を打ち込んだ。
「私もすごく楽しかった。星奈と一緒なら、どんなことでも楽しくなる気がする」
すぐさま返信が来る。
「あぁぁ、この言葉、寝るまでずっとリピートしてるからね」
慌てて追記した。
「調子に乗っちゃダメだよ!」
「もう調子に乗ってるけど」
メッセージを返しながら、私はそっとスマホを胸に抱きしめ、そのままゆっくりと歩を進めた。
恋は、たぶんこうして始まるのだろう。花火もなければ、激しいBGMもない。ただ私と星奈、ふたりだけの、誰にも邪魔されない優しい日常を描いていく。
この感覚は、あまりにも現実的で、あまりにも愛おしい。だから私は思う……この道を、ずっと一緒に歩いていきたい。




