第4話 ラブレターのサプライズ
夜の部屋で、私はひとり机に向かい、あの想いが詰まった小さな箱を開けた。
《遥へのラブレター》
そのタイトルを見ただけで、いまだに体中が熱くなる。手稿を両手で抱えると、紙の端がわずかに反り返っていて、それが星奈が一枚一枚心を込めて綴った証のように思えた。
部屋の中は静まり返り、聞こえるのは時計の針が刻む音だけ。ページをめくるたびに映し出されるのは、彼女が描いた架空の登場人物と私の物語。初めて出会ったときから、少しずつ近づいて、初めて手をつないだときのときめきまで……どの場面も甘くて恥ずかしくて、何度も両手で顔を覆わずにはいられなかった。
けれど、最後のページをめくったとき、そこに書かれていた文字は印刷ではなく、星奈の直筆だった。まるで私のために用意された「おまけ」のように。読み進めるうちに、自然と目頭が熱くなる。そこにはこう綴られていた。
「遙へ」
「これは小説だって言ったけど、このページだけは違う」
「いつもそばにいてくれてありがとう。いつもあんなに優しい眼差しで見てくれてありがとう。私にたくさんの欠点があっても、それでも好きでいてくれてありがとう」
「私は完璧な人間じゃないし、いつだって遙を笑顔にできる恋人でもない」
「でも、もし遙が望んでくれるなら、迷って不安になるたびにその手を掴むよ。『大丈夫』って下を向いて言うたびに抱きしめて、ずっとそばにいるって伝えるよ」
「このページは小説じゃなくて、遙へのラブレター。私の本心」
「ハッピーバレンタイン。私は遙のことが好きだよ」
気づかないうちに涙が頬を伝い、紙の上にぽたりと落ちた。慌てて袖で拭ったけれど、文字は少しにじんでしまった。
「……ばか星奈……」
思わず呟いた声は震えていたけれど、口元は自然と緩んでいた。
窓の外には静かな夜が広がり、月の光が机の上の紙面をやさしく照らす。指先でそっとなぞったのは、最後の一行。
──好きだよ。
手の中にあるのは小説なのに、そのまま私の心に直接刻まれていくようだった。今年のバレンタインは、私の人生で初めて受け取った、私だけの告白。そして、ずっと心の奥にしまっておきたい愛の形だった。
***
翌朝、私は鞄を抱えながら、その原稿をノートの一番奥の層に大事に挟み込んだ。小説の最後に星奈が自筆で書いた「好きだよ」という一言を思い出すたびに、心の中が羽でそっと撫でられたみたいにくすぐったくなって、ほんのり熱を帯びる。
「小説で告白してくるなんて……」
思わず小さく笑ってしまい、頬が熱くなる。けれど足取りは雲の上を歩いているみたいにふわふわと軽かった。
午前中の授業は、まるで頭に入ってこなかった。いや、正確には、斜め後ろの席に座っている星奈が笑いながらこちらを見るたびに、頭の中が真っ白になってしまうのだ。
昼休み、彼女はお弁当を手に私の席の前に立った。
「一緒に食べよ?」
私は頷いて立ち上がろうとした。けれどそのとき、隣の席の女子がちらりとこちらを見て、顔を寄せ合いながらひそひそと囁き合っているのに気づいた。
「……あの二人、最近仲良すぎじゃない?」
「昨日、神崎さんが佐藤さんに小説を書いて渡したって……本当なの?」
私の動きが止まった。指先が無意識に強く握りしめられ、全身が何か見えない視線に包まれているような感覚に陥る。
「どうしたの?」
星奈が小首をかしげて尋ねる。
「な、なんでもないよ……行こ」
笑顔を作り、彼女と一緒に教室を出た。けれど廊下を歩きながら、私の足取りは自然と遅くなっていく。胸の奥のどこかで、淡い不安が広がりはじめていた。
これまで、私と星奈との距離を気にする人なんていなかった。なのに今は、ほんの少し近づくだけで、誰かの視線が突き刺さり、誰かの囁きが背中にまとわりつく。その見えない拡大鏡のような視線が、あまりにも慣れなくて、私は思わず俯いてしまう。
――これが、「恋人」になった後の現実なのかもしれない。幸せだけじゃなく、言葉にできない重さまで一緒に背負うことになるんだ。




