第5話 私の気持ちは彼女に見抜かれていた
小休みの時間、私は廊下に立っていて、手のひらがじっとりと汗ばんでいるのを感じた。ただの誘いの一言なのに……どうしてこんなに心臓が飛び出しそうなくらいバクバクしてるんだろう。
***
「ごめん、遙、明日はまた別の友達と約束しちゃってて……」
黒羽は申し訳なさそうに私を見つめた。
「大丈夫、一人で食べるから」
私は平然を装って答えたけど、心の中はぐらぐらと揺れていた。
もしかして……これ、神崎さんを誘うチャンスじゃない? あの子は今まで何度も私を誘ってくれた。理由はまだちゃんとは分からないけど……一度くらい私から声をかけても、別に変じゃないよね?
でも……本当に言える? もし断られたら? それとも、今までのも全部ただの社交辞令だったら? どんどん不安が大きくなっていく。思わず顔を上げて神崎さんの席を見た。案の定、もう彼女はいなかった。
私は廊下を歩きながら、彼女を探した。すぐに、窓際に立つ彼女を見つけた。数人の、あまり話したことのない女の子たちに囲まれて、楽しそうに笑い合っている。
神崎さんは、あいかわらずあの上品で自然な笑顔で、立ち居振る舞いも洗練されていて、見慣れているはずなのに胸を打たれるくらい輝いて見えた。
……でも、その光景を前にすると、私は一歩を踏み出せなかった。距離はたいして離れてない。勇気を出して「神崎さん」って呼べば、きっと振り向いて、あの優しい笑顔を向けてくれるかもしれないのに。
でも、もし。もしあの子たちが変な目で私を見たら? 「なんであんな地味な子が神崎さんと話してるの?」って思われたら?
そんな想像をしただけで、胸がぎゅっと痛くなって、呼吸すら苦しくなる。結局、何もできないままチャイムが鳴って、小休みが終わった。
席に戻った私は、ひたすら自己嫌悪した。たった一言誘うだけなのに、どうしてこんなに難しいんだろう。
授業の途中で、急にトイレに行きたくなって、先生に許可をもらって廊下へ出た。手を洗って出てきた瞬間、私はぴたりと動きを止めた。
神崎さんがそこにいた。腕を組み、壁に寄りかかって、いたずらっぽい笑みを浮かべて私を見ていた。
「……なんでここに?」
私は呆然として、手の水を拭くのも忘れてしまった。
「先生に教材取りに行けって言われたの。ついでに、あんたを探しに来たんだよ。」
神崎さんはウィンクするみたいに片目をつぶって、ちょっとからかうような口調だった。
「さっきさ、言いたいことあったんじゃない?」
「え、な、ないよ……」
私は慌てて目を逸らし、顔が熱くなるのを感じた。
「ふーん?」
彼女は一歩近づいて、声を低くして笑った。
「でもさ、小休みの時ずっと廊下から私のこと見てたよね?」
「み、見てないし!」
「そうかな?」
神崎さんは突然手を伸ばしてきて、私が反応する間もなく手首を掴み、そのまま軽く引っ張るようにしてトイレの中へ連れ込んだ。
えっ!?
「ちょ、ちょっと! なにするの!」
「廊下で話してると他の人に見られやすいでしょ。こっちの方が安全かなって」
彼女はまるで何でもないことみたいに笑って、ひょいっとドアを閉めた。途端に、二人きりの小さな空間に閉じ込められた私たちを静寂が包む。心臓の音すら聞こえそうなほどの沈黙。
「と、とにかく誤解だってば、別に言いたいことなんて……」
慌てて背を向けようとした瞬間、神崎さんの手が壁について私の退路を塞いだ。
——壁ドン!?
「どこに逃げようとしてるの?」
低く抑えた声が、わずかにイタズラっぽい笑みを帯びて耳をくすぐる。その顔はすぐ目の前。髪がふわりと頬を撫でて、甘い香りが鼻をかすめる。思わず呼吸を止め、全身が固まった。
「素直に言ってくれたら、すぐに解放してあげる」
囁くように言いながら、唇の端をわずかに上げた。
「でも、まだ否定するなら……」
彼女の顔がさらに近づいて、瞳の奥に悪戯っぽい光が揺れる。温かい吐息が耳をかすめて、鳥肌が立つ。
こ、これは反則でしょ!?
顔が一気に熱くなり、もう限界だった。
「わ、わかった! 言うから!」
ついに我慢できずに叫ぶ。
「さっき……本当は、明日一緒にお昼食べないかって、誘いたかった……」
その言葉を聞いた途端、神崎さんはようやく手を離して一歩下がった。目元を柔らかく緩めて、あたたかい笑顔を見せる。
「最初からそう言えばよかったのに」
「だって……周りに人が多くて、声かける勇気なくて……」
視線を落として小さくつぶやく私に、神崎さんはそっと手を伸ばして頭をくしゃりと撫でた。
「バカだな。私たち友達でしょ? 言いたいことがあったら、ちゃんと私に言いなよ」
その声が、驚くほど優しかった。胸の奥がドクンと大きく鳴って、じんわりとあたたかいものが広がった。
「じゃあ決まり。明日12時半、屋上ね」
そう言い残して、神崎さんはドアを開けて先に出て行った。私は一人取り残されて、呆然としたまま熱い頬にそっと手を当てた。
……明日、神崎さんと一緒にお昼だ。
その予感だけで、胸の中に小さな期待がふわりと広がっていった。