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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第12章 昨日より、もう少しだけ君が好き

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第10話 雨の中でいちばん優しい待ち方

 私は、いったい何を期待しているのだろう。


 放課後の空はどんよりと曇り、霧のように細かな雨が静かに降り注いでいた。遙と私は並んで歩きながら、一つの傘を肩を寄せ合うように差していた。


 彼女の腕が私に絡まり、温かくてやわらかく、そっと寄り添ってくるその感触に、私は思わず歩調を緩めてしまった。ただ、この穏やかな距離をもう少し長く感じていたくて。


 さっきの一瞬、私はキスしそうになった。


 遙はこんなにも近くて、まっすぐに私を信じるような瞳で見つめていた。まつげには細かな雨粒が光り、ほころびかけた蕾のように、壊れそうで、それでいて美しかった。彼女の顔は真っ赤で、唇はほんの少し開いていて、目には不安げな迷いが浮かんでいた。まるで、これから何が起きるのかまったく分かっていないような表情で。


 自分の心音がはっきりと聞こえた気がした。それはまるで「今だよ」と背中を押すように鼓動していた。でも、私は動かなかった。遙のことが好きじゃないからじゃない。むしろ、好きすぎるから。


 遙がわからないんじゃなくて、ただ、まだ心の準備ができていないだけなんだ。彼女の恋愛の理解は、まだときめきや手を繋ぐこと、寄り添うことの間にとどまっている。私のことが嫌いなんじゃない、そんなことはない。遙が本気で向き合ってくれているのは、ちゃんとわかってる。ただ、その気持ちはまだ「もっと近づきたい、心も身体も触れたい」ってところまでは辿り着いていないだけなんだ。


 彼女の照れくささは、本物だった。戸惑いもまた、嘘じゃなかった。もしかしたら、さっき私が近づいたあの瞬間が、私にとってどれほど大きな意味を持っていたのか――彼女はまだ気づいていないのかもしれない。


 私は、遙の準備が整う前に、無理やりその初めてを奪うなんて……できるわけがない。


 遥が戸惑ってしまうのが怖かった。恋愛って、ある段階まで進まなきゃ「本物」じゃない、そんなふうに思い込んでしまうんじゃないかって、心配だった。私が焦ってしまって、まだ知らないことを無理に受け入れようとしてしまうんじゃないかって……それが一番怖かった。


 そして何より、そんなふうにして、この関係そのものを疑わせてしまうのが――私は一番、怖かったんだ。


 私は願ってる。遙の初めてのキスが、心からの想いであってほしい。「恋人なら当然」なんて理由じゃなくて、「彼女に触れたい、近づきたい」って、彼女自身の気持ちで、そう思えたときに、交わすキスであってほしい。


 ……もちろん、本当はキスしたくてたまらなかった。


 それは一時の衝動なんかじゃない。これまで積み重ねてきた想いの深さ、その証だった。私は遙のことが大好きで、大好きすぎて、どうしようもなくて、このキスで、どれほど彼女を大切に思っているか、どれほどそばにいてくれた時間に感謝しているかを伝えたかった。


 私は、あのキスの味さえ想像してしまっていた。たぶん、雨の湿気と遥のシャンプーの香り、そして昼食後に食べたあのデザートの余韻が混ざったような──そんな優しい味。


 それでも、私は堪えることを選んだ。何事もなかったかのように微笑みながら、傘をそっと遥の方へ傾け、彼女の肩に雨粒が落ちないようにして、彼女の手を強く握った。


 遥は、私が突然黙り込んだ理由を尋ねなかったし、あの一瞬の曖昧な空気についても言及しなかった。ただ静かに私の手を握り返してくれて、顔にはうっすらと紅が差し、瞳は何かを考えているようで……でも、言葉にはできないでいる。そんな彼女が、愛しくて、切なかった。


 私は知っている。恋というものは、遥にとってまだ手探りの世界だということを。彼女は今、誰かを愛することを、そして「愛されること」「大切にされること」の意味を、懸命に学んでいる。もう十分頑張ってる。私の手を握り、この傘の下を共に歩こうとしてくれること。それが彼女の、すべての優しさであり、すべての勇気だった。


 心の中には、やっぱり少しだけ後悔が残っていた。キスできなかったことが悔しいんじゃない。ただ「抱きしめたい」「キスしたい」「好きだよ」って伝えたい、そんな気持ちが、もう溢れそうなくらい胸の奥につまっていたのに、それでもまたそっと心の奥に押し戻すしかなかったから。


 それでも、私は待ちたい。遥が準備できるまで、待っていたい。恋愛って「好き」って言葉だけじゃない。そばにいること、頼り合うことだけでもない。言葉にならない想い、心の奥から湧き上がる欲しさや惹かれ合う気持ち、そういうものがあることを、彼女にも少しずつ知ってもらいたい。私はそのすべてに寄り添って、一緒に感じていきたい。一緒に、心の鼓動を覚えていきたい。


 いつか遥が、初めて私にキスをくれるそのとき、それが、私の気配に気づいたからじゃなくて、彼女自身の気持ちで「したい」と思った瞬間であってほしい。


 もし、その日が本当に訪れるなら。きっと、それは私たちにとって、最も優しく、最も深く心に残る雨になるだろう。雨が私たちを近づけたのではなく、私たちがようやく、お互いの心に近づくことを恐れなくなったから。


 その日まで、私は遥を守りたい。急かさず、求めすぎず、ただ静かに、傍にいるだけでいい。だって、彼女は私が足を止めてでも、待ち続けたいと思える人だから。

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