第4話 ラノベに隠された秘密
今日は、また彼女と図書館で会話を交わした。ただ、今回の雰囲気はこれまでとは明らかに違っていた。
休み時間、私は黒羽と一緒に図書館へと足を運んだ。
「トイレ行ってくるね。先に本探してて」
黒羽はそう言い残して、すぐにその場を離れた。
私はひとりで書架の間を歩き、指先で背表紙をなぞりながら本を選び、最後にはいつものお気に入りの隅に腰を下ろした。
ページをめくる前に、最近すっかり耳馴染みとなった声が耳に届いた。
「えっ? 今日はこの前のラノベシリーズ、読まないの?」
私は思わず手を止めて顔を上げた。やっぱり、そこにいたのは神崎さんだった。明るい笑顔を浮かべ、その瞳にはまっすぐな好奇心が宿っていた。
「そのシリーズ、もう全部読んじゃったの」
私は本を閉じ、少しだけためらいながら問いかけた。
「……最近、どうしてそんなに私の近くにいるの?」
彼女はくすっと笑って、首をかしげた。
「だって、もっと佐藤さんのことを知りたいから。友達になろうって言ったじゃん? それに、この前はまた一緒にお昼食べようって……」
「ちょっと待って、神崎さん。それは訂正させて」
私は声のトーンを少し上げて、真剣な表情で言い直した。
「前に言ったのは『考えてみる』ってだけで、別に約束したわけじゃないからね?」
「そんなに細かいこと言わなくてもいいじゃん〜」
彼女は少し困ったように笑った。
「でも、そのあと返事くれなかったから、だから私から聞きに来たんだよ」
「……どうせ、私が断っても来るつもりだったんでしょ?」
「うん、その通り」
彼女はあっさりと頷き、まったく悪びれる様子もない。
私は小さくため息をついて、静かに言った。
「ほんと、君には敵わないな……。とりあえず、よろしくね、神崎さん」
彼女は口元をふわりと綻ばせた。
「うん、よろしくね、佐藤さん」
少し間を置いてから、彼女は話題を切り替えた。
「ところでさ、そのラノベ読み終わって、なにか印象に残ったこととかあった?」
私は一瞬戸惑い、視線をそらした。
「……こういう話、退屈だと思わないの?」
彼女の表情はふと真剣になって、優しい眼差しで私を見つめた。
「思わないよ。私はほんとうに、佐藤さんの感想が知りたいんだ」
私は唇を引き結び、小さな声で答えた。
「正直に言うと……あの小説、すごく良かった。作者の文章はすごく繊細で、主人公が外では輝いてるのに、内面では孤独に苦しんでるって描写が、本当に心に響いたの……」
そう言いながら、自然と語気に少し寂しさが混ざった。
「でもね、物語がちょうど盛り上がってきたところで、更新止まっちゃったんだよね……」
彼女はしばし黙ったあと、そっとつぶやいた。
「……それは、たしかに残念だね」
「うん」
私は小さくうなずきながら、本の表紙にそっと指先を滑らせた。
「何度もこの物語の結末を想像したことがあるけど……きっと、もう永遠に読めないんだろうなって」
彼女はふいに複雑な笑みを浮かべ、穏やかな口調で問いかけてきた。
「そんなに、この物語が好きだったの?」
私は迷いなくうなずき、真剣な声音で答えた。
「この小説にはすごく救われたの。中学の頃、ずっとそばにいてくれて……私が前に進むための支えみたいな存在だったんだ」
彼女は少し驚いたように目を見開き、それから俯いて、ぽつりとつぶやいた。
「まさか……私の書いたものが、誰かにそんな力を与えてたなんて……」
「……え?」
私は思わず聞き返した。自分の耳を疑って、まるで夢でも見ているようだった。
「ありがとう、佐藤さん」
彼女は顔を上げ、その瞳にどこか脆さをにじませながら言った。
「私の小説を、好きでいてくれて……本当に、ありがとう」
呆然と彼女を見つめたまま、私はただ息を呑んだ。
「それって……どういう意味……?」
彼女はそっとうなずき、頬にほのかな赤みを帯びながら告げた。
「あのライトノベル……書いたの、私なんだ」
「えっ……!?」
心臓が一瞬止まったような感覚だった。頭が真っ白になって、言葉が出てこない。
彼女の瞳はやさしさの奥に少しだけほろ苦さを滲ませていて、その告白が簡単なものではなかったのだと伝わってきた。
「中一の頃に投稿を始めて、それが出版社の目に留まって……そこから、シリーズとして出すことになったの」
まだその事実を受け止めきれずにいる私の耳元で、突然チャイムの音が鳴り響いた。
「授業、始まっちゃうね」
彼女は廊下の方を見ながら、少しだけ困ったように笑った。
「……うん」
私はうなずいたものの、胸の奥には妙な寂しさが広がっていた。
誰かとの会話が終わってしまうことが、こんなにも名残惜しいなんて、初めてだった。どうして彼女が続きを書くのをやめたのか、すぐにでも聞きたかったけれど、その言葉は喉の奥で引っかかったまま、ついに口にはできなかった。
そのまま私は、彼女のあとに続いて図書館をあとにした。
その瞬間から、私ははっきりと気づいたのだ。彼女への好奇心は、きっともう「ただの関心」という枠を、とうに超えていたのだと。
彼女の心の奥には、一体どんな物語が隠されているのだろうか。