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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遙
第11章 影と光の恋
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第7話 彼女を家まで送ったあと、ひどく自分を責めた

 私は保健室でずっと休んでいた。放課後になって星奈が迎えに来てくれて、私たちはゆっくりと家へ向かって歩き出した。


 彼女は静かに私の手を握ってくれた。ほとんど会話はなかった。でも、その沈黙は決して気まずいものではなく、どこか言葉にできない距離感のようなものだった。まるで保健室で交わした言葉たちが、まだ霧のように残っていて、お互いのあいだにふわふわと漂っているようだった。それは少しだけ息苦しくて、少しだけ重たかった。


 私たちは黙ったまま歩いた。


 街の音はいつも通りにぎやかだった。横断歩道のピピピという音、下校中の生徒たちの笑い声――だけど、それがずっと遠くに感じた。私たちはまるで、自分たちだけの小さな世界に閉じこもっているようだった。星奈の手はあたたかかった。でも、そのぬくもりの中に、不安の気配が確かに混じっていた。


 家の前に着いたとき、星奈がようやく口を開いた。その声は風みたいに優しかった。


「……身体、大事にしてね」


「うん。じゃあね……」


 私は小さく返事をして、軽くうなずくと、ドアを開けて家の中へと入っていった。


 ***


(神崎星奈)


 私は彼女の家の前に立ったまま、ゆっくり閉じていく扉を見つめていた。彼女の後ろ姿が完全に見えなくなったその瞬間、私はようやく気づいた。ずっと張りつめていた肩の力が、ようやく抜けたことに。


 扉が閉まる音は、ほんのわずかだった。でも、私の胸の奥には、何かが重く響いていた。まるで言えなかった言葉が、あの扉の向こう側に閉じ込められてしまったような感覚だった。


 家に着いたんだから、もう安心していいはずなのに。なぜか、心の中はもっと乱れていた。私は自分の空っぽの手を見下ろす。さっきまで握っていたその手のぬくもりが、まだ指先に残っている。


 39.2度。


 あんなに高い熱があったのに、顔色も真っ青で、声もかすれていたのに、彼女はずっと無理して笑っていた。まるで、そうすれば何とかなると信じているかのように。


 どうして彼女は、そこまで自分を追い込んでしまうのだろう。もう十分頑張っているのに、もっと良い恋人になろうと、もっと完璧な「自分」になろうと、そうやって必死になっていた。


 身体が限界だったはずなのに、それでも私のために色々してくれて、「疲れた」の一言も口にしなかった。


 でもね、彼女はそんなことしなくてもいいんだよ。そんなに頑張らなくても、愛される理由はもう、ちゃんとそこにある。彼女は最初から、好きになるに足る存在なんだから。


 私は歩道を歩きながら、頭上の街灯が淡く揺れているのをぼんやりと見上げた。その光が地面にぼやけた影を落とし、まるで私の心の中に渦巻く混乱と重なっていた。


 私のどこかが、間違っていたのかな? 私が何か言ったり、したりしたせいで、彼女に「もっと良くならなきゃ」「完璧にならなきゃ」って思わせてしまったんだろうか。そうじゃなきゃ、私の好きにふさわしくないって——そんなふうに。


 でも、私は決してそんなふうに考えたことなんてない。


 私が好きになった彼女は、私に合わせようと頑張る彼女じゃない。期待に応えようと変わろうとする彼女でもない。私が好きなのは元のままの、彼女だ。


 あの人を思い出す。優しくて、まっすぐで、人を大切にできるあの子。恥ずかしがって顔を赤らめたり、笑うとまるで陽だまりみたいにあたたかくなるあの笑顔。自信がなくて、すぐに引っ込んでしまうくせに、それでも必死に「勇気」を手に入れようとしていたあの子。誰かのためにいつも気を配って、そっと隣で支えてくれて、でも「私も疲れた」なんて一言も言わないで、ずっと、頑張っていた彼女のこと。


 私は彼女のことが好きだった。それは、彼女が「十分になったから」でも、「愛されるにふさわしくなったから」でもない。そんな理由じゃない。


 だって、彼女は——最初から、ずっとそうだったから。


 気づけば私は、カバンに付けているペアのキーホルダーを握りしめていた。水族館のデートでふたりで買った、あの日の思い出が、まだ昨日のことのように鮮やかに蘇る。


 クラゲを見て、ペンギンを見て、イルカのショーも見た。そのたびに彼女は笑っていて、その声は泉のように澄んでいた。あのときの彼女は、本当に輝いていた。そして私も、あんなに自然に笑えたのは初めてだったかもしれない。


 きっと、あの時からだったのかもしれない……彼女が不安になりはじめたのは——自分は十分じゃないんじゃないかって、あんな幸せを手にする資格なんてないんじゃないかって、誰かにこんなにも深く愛されるなんて、自分にはふさわしくないんじゃないかって。


 家に帰って、私は引き出しを開けた。そこには、彼女がくれた星のブレスレットが入っていた。あの日、彼女は言ってくれた「この星たちがそばにいれば、もうそんなに寂しくないから」って。


 あの日、彼女がそう言って私に手渡してくれたときの表情を、私は今でもはっきり覚えている。おそるおそる、でもどこか嬉しそうに、私がその想いを受け取ってくれることを願うような、あの瞳。


 ——こんな彼女を、どうして手放せるだろう。


 どうすれば彼女に伝わるんだろう。私は本当に、そんなふうに思ってなんかいないってことを、どうやったら信じてもらえるんだろう。


 彼女が無理してるわけじゃないって、私はちゃんとわかってる。もともと人付き合いが苦手で、自分に自信がなくて、自分なんて特別じゃないって、どこかで思い込んでて……他の人と違う自分が、誰かに嫌われるのが怖かっただけなんだって。


 だから、たとえ私たちが付き合っているとしても、すぐには変われない。これまで積み重なってきた癖や、心の傷は、そう簡単に消えるものじゃないってことも、私は知ってる。


 でも私は、そんな彼女と一緒に、長い長い道を歩いていきたい。時間がかかってもいい。一緒に、少しずつ、変わっていけたらいい。私は、そう思ってるんだ。


 私はそっとため息を吐いた。あたたかい息が夜風に乗って流れていく。その胸の奥から、ひとつの想いがふわりと浮かび上がった。


 今度会えたら、ちゃんと伝えよう。


「私が好きなのは、今のままの君だよ。私の前で、自分らしくいてくれる君が好きなんだ。無理して変わらなくていい。完璧になろうとしなくていい。私を喜ばせようなんて、思わなくていいんだよ」


 だって私は、そんな彼女に出会えたことで——自分自身を、もう偽らなくてもいいって思えるようになったから。


 そして今度は、私が彼女を守れるような人になりたい。彼女が、心から安心して笑えるように。

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