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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遥
第10章 付き合いたての甘くてとろける日常

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第9話 付き合ってからのデート

 週末の午後、陽の光は濾過されたミルクのように柔らかく、道行く人々はまばらに歩いていた。でも、私の鼓動は──彼女の姿を見つけた瞬間、一気に加速した。


「……星奈」


 駅の出口に立つ彼女は、淡いグレーのロングコートに、内側は桜色のタートルニット、下はシンプルなスカートとロングブーツ。髪はハーフアップに結ばれ、風に揺れる数本の前髪がやけにやさしく見えた。


「遥!」


 彼女はすぐに私を見つけて、手を振ってくれる。いつもと変わらない明るい笑顔──だけど、私はその一瞬で目を離せなくなった。


「私服の星奈……かわいい……」


 そう思っただけで、頭の中が真っ白になって、顔が熱くなって、呼吸さえ少し苦しくなる。


「ん? 顔、赤くなってるけど?」


 彼女が近づいて、首をかしげながら笑う。


「なんか、変なとこあった?」


「ち、違うよ……ただ、ちょっと慣れなくて……」


「そう? じゃあ、私も言わせてもらうね。今日の遥も、すっごく可愛いよ」


「……!」


 頬が火照って、耳まで真っ赤になったのが自分でもわかった。彼女はくすっと笑い、自然な仕草で、私がどこに置いていいかわからなかった手をすっと握ってくれた。


「さ、行こっか。今日は遥が決めたデートコースなんだもんね」


 ***


 私たちが向かったのは、市内でもロマンチックで知られる水族館だった。


 エントランスにはカップルや家族連れが集まり、館内は落ち着いた照明に包まれ、壁にはやさしい海の青がゆらゆらと揺れていた。まるで夢の続きを歩いているような空間だった。


「クラゲのコーナーから回ってもいい?」


 私は少し照れながら尋ねる。期待が声ににじんでいたと思う。


「うん、私もクラゲ好きだよ。ふわふわしてて、夢の中を漂ってるみたいだもんね」


 星奈は笑顔で応え、目がきらきらと輝いていた。


 私たちは静かで薄暗い展示ゾーンに足を踏み入れた。壁に埋め込まれた巨大な丸い水槽には、青紫色の光が溶けるように射し込んでいて、クラゲたちはゆらゆらと優雅に漂いながら、その長い触手で、まるで海底だけに響く旋律を描いているかのようだった。彼女と私は手を繋いだまま、そっと指を揺らしながら、彼女がそっと囁く。


「ここって……ふたりだけの世界みたいだね」


 私はこっそり彼女の横顔を見た。淡い光に縁取られたその輪郭、伏せた睫毛、微かに笑う口元──その全てに胸がぎゅっとなって、呼吸のリズムさえも忘れそうになる。


 次に訪れたのはペンギンのエリアだった。氷の上をとことこ歩き回るペンギンたち、水に飛び込んでパシャパシャと跳ねる様子に、思わず笑みがこぼれた。


「ねえ、あの隅っこでちょっと恥ずかしそうにしてる子……遥に似てない?」


 星奈が小声で囁く。


「どこが似てるのよ……」


「恥ずかしがりで、かわいいとこ」


 一気に顔が熱くなって、声までふにゃっと崩れた。


「じゃあ……さっき一番速く泳いでた、真ん中に立ってた子……あれ、星奈っぽいかも」


 彼女はふっと目を細め、雪解けのように優しい声で言った。


「私があのペンギンだったら──あの、ちょっと恥ずかしがり屋で可愛いペンギンのこと、きっと大好きになると思う」


 ふたりで見つめ合って、何も言わずに笑い合った。それだけで、言葉にならない気持ちが、ちゃんと届いている気がした。


 そして、私たちは透明な海中トンネルに入った。壁も天井も巨大な水槽で囲まれ、魚やサメがゆったり泳ぎ、揺れる波の光がふたりの影をやさしく重ねていった。


「……童話の中に入り込んだみたいだね」


 星奈が呟いた声には、子供のようなわくわくした響きがあった。


「うん……でも、星奈がいるから、童話よりも現実の方が素敵だよ」


「……え?」


 言ってから、自分でも驚いた。あまりに素直に出てしまって、恥ずかしくなってすぐに俯く。


「べ、別にそんなつもりじゃなくて……!」


「うん、わかってるよ」


 彼女は優しく笑って、空気に溶けてしまいそうな声で続けた。


「でも、すごくうれしいよ」


 そう言って、握った手に少しだけ力が込められた。照れた気持ちも、不意に漏れた本音も──彼女はちゃんと、やさしく受け止めてくれた。


 続いては、イルカのショーだった。星奈は嬉しそうに私の手を引いて、観客席の最前列まで駆けていく。瞳には子供のようなわくわくした光が宿っていて、手を叩きながら、イルカが跳び上がり、回転し、水面に飛び込むたびに、きらきらと目を輝かせていた。


 そして私は──そんな彼女を見つめながら思った。水しぶきよりも、光よりも、彼女の瞳のきらめきの方がずっと眩しくて、美しくて、目を離せなかった。


「今日の遥、大好きだよ」


 ショーの終盤、彼女がそっと耳元で囁いた。


「わ、私も……一緒にいられて……すごく嬉しい……」


 私の声は観客の拍手にかき消されそうなほど小さかったけれど、彼女にはちゃんと届いていた。


 彼女はふっと優しく笑い、目元に夕暮れの水面みたいなやわらかさを浮かべた。ああ、この日、私たちはきっと少しずつ、お互いの世界を、恋の色に染めていっていたんだ。


 ***


 水族館を出た頃には、空はやわらかなオレンジピンクに染まり始めていた。夕暮れの淡い光が私たちの肩にそっと降り注ぎ、まるで世界全体が柔らかなフィルターに包まれているようだった。


 周囲の人混みは相変わらず賑やかだったけれど、その瞬間、私と彼女の間には、互いの呼吸とゆっくり交わる足音しか存在していないように感じた。私はそっと彼女の横顔を見上げる。夕陽が彼女の美しい輪郭をやさしくなぞっていて、その穏やかな光と影が、この一瞬を私の心の奥に深く刻み込んでいった。


 出口の近くには、カラフルなライトがきらめく小さな自販機が並んでいた。「水族館限定」と書かれたカップルキーホルダーが売られていて、そのデザインは、二匹の小さなイルカがぴたりと寄り添い、しっぽ同士がきゅっと繋がっていた。


「わあ、かわいい……」


 私は思わず足を止めて、ぽつりと呟いた。


「一緒に買う?」


 星奈が私の耳元で囁くように言った。その声には、明るさの中に少しの期待が混ざっていた。


 私は一瞬だけ戸惑い、画面に映る寄り添うイルカを見てから、彼女のきらきらした瞳をそっと見返した。心臓の音が少しだけ速くなったけれど、私はそっとうなずいた。


「うん……ずっと、こうやって一緒に歩いていきたい」


 言葉が口からこぼれた瞬間、顔が熱くなって、手にしたキーホルダーをぎゅっと握りしめながら、彼女の表情を直視することができなかった。


 でも次の瞬間、彼女はそっと私の手を取って、指を絡めてくれた。


「私も。ずっと、そう思ってたよ」


 彼女の声はやわらかくて、握られた指先が少しだけきゅっと力を込めてくれた。


 私たちは肩を寄せ合いながら、静かに駅へと向かって歩いていった。分かれ道が近づくと、私はふと立ち止まって、彼女の手を離したくなくて──思わずその手を引き止めた。


「星奈……」


 私は小さく彼女の名前を呼んだ。声は少し震えていたけれど、それでも耳元に近づき、まるで風に紛れ込ませるように、そっと呟いた。


「今日……すごく会いたかった。いつも私のことを好きでいてくれて、ありがとう」


 彼女は少し驚いたように目を見開き、それから少し照れくさそうに、けれどとても優しい笑みを浮かべて、私の手をやさしく握り返した。


「遥にそう言ってもらえたら、今日の幸せ、もうあふれちゃいそう」


 その瞬間、空はすっかり夜の帳に包まれていたけれど、彼女のその言葉が、私の心の中に灯りをともしてくれて、いつまでもきらきらと輝いていた。

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