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冴えない私が輝く星と出会った  作者: 雪見遙
第10章 付き合いたての甘くてとろける日常
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第6話 ときめきの図書館タイム

 放課後、私は黒羽といつも通り図書館へ向かった。


 今日はなぜか人が多かった。来週テストがあるせいかもしれない。書架の間には静かに話し合う生徒たちの姿があちこちにあり、自習スペースはほとんど埋まっていた。


 私たちは最終的に奥の一角、壁際で少し隠れた場所を選んだ。木製の本棚が静かに立ち並び、空気には紙と古い革表紙の匂いが混じっていて、静寂の中に言葉では表せない落ち着きが漂っていた。


 席に着いたばかりで問題集も開いていなかったその時、不意に顔を上げた瞬間、彼女の姿が目に入った。


 星奈は前方の本棚のそばに立っていて、指先を一冊の背表紙に添えたまま、私のほうを見ていた。口元はほんの少しだけ笑っていて、まるで何かを知っている小さなキツネのようだった。


 彼女は手を振るわけでも、私の名前を呼ぶわけでもなかった。でも私は分かっていた。彼女は、私のために来たのだと。


 歩き方は自然で、本当にたまたま通りかかっただけのように見せていた。そして、私の隣の席を一つ空けた椅子に腰を下ろし、手にしていた小さなノートを開いて何かを書き始めた。


 他人から見れば、ただ偶然近くに座ったクラスメイト。挨拶も会話もなく、視線が交わる頻度すら特に不自然ではない。


 でも私だけが知っていた。彼女が、私を見ているということを。


 ページをめくる音、紙にペンを走らせる細やかな摩擦音、身を少し傾けたときに肩をすべる髪の音さえも――すべてが気になって、私はまったく集中できなかった。問題集を開いたまま、十分以上もぼんやりしてしまって、一文字も頭に入ってこない。


 彼女は何事もなかったような顔で、時おりふいにこちらを振り返る。そして私の視線と重なる。


 目が合うたびに、心臓が一瞬止まり、そして激しく跳ねた。何度か繰り返すうちに、私は耐えきれなくなって視線をそらし、計算式を解いているふりをしたけれど、指先はノートの上で固まって動かなかった。


 そして、彼女は立ち上がった。


 椅子の脚が床をこすれる音が聞こえ、ゆっくりと私の方へと歩いてくる。


 歩き方も自然で、まるでたまたま何かを借りに来たかのようだった。でも黒羽の隣を通り過ぎるとき、ほんの少しだけ歩調を緩めて、声のトーンはまるで親しい友達への雑談のように聞こえたが、その姿勢には、明らかに挑発とからかいが混じっていた。


「仲がいいけど、わざと話さないでその距離感を保ってる」――彼女はその演技を完璧にやってのけた。


 彼女は身をかがめて、私の机の端に片手を添え、まるで何でもないような顔で囁く。


「この累乗の問題って、項を移さないといけないんだよね?」


 黒羽がちらっと視線を上げて、手にしたペンがほんの少し止まる。そのあと、かすかに笑みを浮かべた。


「ねえ、ふたりってどういう関係? 図書館でもアイコンタクトしてて、ちょっと分かりやすすぎない?」


 私は思わず動揺し、心臓が「ドン」と跳ねた。


「な、なにもないよ……!」


 しどろもどろに否定しようとしたその瞬間、星奈が先に、何でもないことのように言葉を返した。


「なにもないよ。ただの友達だよ」


 その声は、まるで天気を話すかのように自然で、無邪気すぎるほどの無害な調子だった。


 でも、彼女は、そのまま去らなかった。


 彼女は少し身を屈めて、唇を私の耳元すれすれに近づけた。声はとても小さく、他の誰にも聞こえないような秘密を囁くかのように、ひそやかに、甘く落ちてきた。


「さっき、何回かこっち見てたでしょ?」


 身体がびくっとして、頬が一気に熱くなる。心臓の鼓動が耳を突き破りそうな勢いで暴れ出した。


「み、見てないよ……!」


 思わず乾いた声で否定する。まるで現行犯で捕まった子どもみたいだった。


「見てた」


 彼女は静かに言った。その声には、隠す気ゼロの笑みが混じっていた。


 その笑みは、耳の奥にそっと注がれる小さな飴玉のようで、甘すぎてどうすればいいか分からなくなる。


 私は思い切って、小さな声で反撃する。


「……星奈だって見てたくせに」


 彼女は否定しなかった。むしろ、さらに一歩近づいてきて、首筋をかすめるようにその吐息を落とした。風のように、熱のように、それは何かを隠しきれない気配だった。


「だってさ、ただ遙が近くに座ってるだけでね――」


 彼女は一度言葉を止める。わざと焦らすような沈黙。そして目尻をきゅっと上げ、囁くような甘ったるい声で続けた。


「可愛いって思っちゃうから」


 カタン、と乾いた音がして、私の手から落ちたペンが机に当たる。まるで、彼女に読まれていたみたいなタイミングだった。


 私は固まったまま動けず、顔が真っ赤に染まっていくのを感じていた。指先まで火照って、何をどう返せばいいのか全然分からなかった。


 空気がねっとりと甘くて、息をするたびに鼓動が加速していく。抜け出せない感情の沼に沈んでいくみたいだった。


 彼女は変わらず、当然のような顔で立っていた。声は出していないのに、目元の笑みがその心のいたずらっぽさをこっそりと告げていた。


 それは、私にだけ見せてくれるやさしさで。私にだけ分かる、特別な言葉だった。


 私は視線を逸らして、机に落ちたペンをそっと拾う。両頬が熱で蒸気でも吹き出しそうだったけど、気づかないふりをして問題集に目を落とした。でも、字なんて一文字も頭に入ってこない。


「大丈夫……ここは静かすぎるから、やりすぎたりしないよ」


 彼女は身をかがめて、私にだけ届く小さな声で、まるで私を包み込むように囁いた。


「……怖くなんかないもん」


 私は小さな声で反論した。声はかすかだったけれど、意地だけはしっかり込めた。ペンをぎゅっと握る手には、かろうじて残った平静をつかむような力が込められていて……同時に、彼女の方を振り返りたい衝動を必死に抑えていた。


 彼女はようやく元の席に戻った。だけど、私たちの間にある一つ分の空席は、もう「距離」なんかじゃなかった。まるで、目には見えない糸──繊細で、けれど確かに光を放つ糸が、私たちをそっと結びつけて、離れさせないようにしているみたいだった。


 彼女がまた私を見ているのがわかった。視界の端に、ふとした瞬間の彼女の横顔がよぎる。そして私も……彼女がまた近づいてくるのを、待っていた。


 そんな図書館の時間は、静けさの中にほんの少しの甘さと、不安、そしてときめきを孕んでいて。まるで、こっそり恋をしている鼓動みたいに、私たちだけに聞こえてくる音だった。


 そして黒羽は――まるで扉の外に立っているみたいだった。手の中には鍵を握っているのに、まだそのドアを開けてはいない。


 私は分かっている。黒羽は、私が最も信頼している友人だ。けれど、今の私たちは、まだすべてを話す準備が整っていない。


 きっと、もっと確かな気持ちになれたとき。あの糸が「ためらい」じゃなく「約束」になるとき。そのとき私は、自分の口で――この恋を、ちゃんと彼女に伝えたいと思う。


 だって、この気持ちは。理解されるべきものだから。祝福されるべきものだから。

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